タグ

Critiqueと哲学に関するquasimoto_sanのブックマーク (72)

  • コミュニケーション的行為(こみゅにけーしょんてきこうい)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    コミュニケーション的行為(読み)こみゅにけーしょんてきこうい(英語表記)kommunikatives Handeln(独) 現代ドイツの社会哲学者ハーバーマスの用語。権力や貨幣といった何かの力によって相手の意思決定に影響を及ぼそうとする「戦略的行為」とは異なり、自分が表明する考えや意思の内容自体に対して、相手の自由な納得と承認を求める行為のことをいう。例えば「水をもってきてください」と教授が学生に頼むとき、それが権力関係にもとづく脅しでなくコミュニケーション的行為であるとする。その際には、「水が近くにあるはずだ」(真理性)、「私の発言は命令ではなくお願いであるから、不当な行為ではない」(規範の正当性)、「私は正直な気持ちを語っていて、そこにウソはない」(主観の誠実性)という3つの点について、暗々裏にその正しさを主張し相手の納得を求めているといえる。だから相手は、そのどれかに納得できないとき

    コミュニケーション的行為(こみゅにけーしょんてきこうい)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 分析美学ってどういう学問なんですか――日本の若手美学者からの現状報告/森功次 - SYNODOS

    シノドス編集部から「分析美学について記事を書いて下さい」と依頼を受けたとき、困ったな、というのが正直な感想だった。ある学問について、よくわからないので知りたいと思うことはある。とりわけ新興の、目新しい学術分野が出てきたときはそうだ。神経倫理学とは? 人口経済学って何? 今回の「分析美学ってどういう学問?」という質問もおそらくこの種の質問だろう。 たしかに近頃、「分析美学」という学問分野は、新しく、盛り上がっている学術分野だという印象を与えているようだ。日では2013年に『分析美学入門』(勁草書房)、2015年には『分析美学基論文集』(勁草書房)といった翻訳が刊行され、2015年秋の分析美学をテーマにしたブックフェア(紀伊国屋書店新宿南口店開催)は記録的な売り上げを残した(注1)。だが困ったことに、分析美学というのは、新しく現れてきた学問でも、最近盛り上がっている学問でもないのだ。 この

    分析美学ってどういう学問なんですか――日本の若手美学者からの現状報告/森功次 - SYNODOS
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2016/05/12
    分析美学ってヒップホップだってのか
  • 『分析美学基本論文集』刊行記念「分析美学は加速する──美と芸術の哲学を駆けめぐるブックマップ最新版」 - 紀伊国屋書店新宿南店ブックフェア(2015年9月8日~10月25日)

    このページは、森 功次さんプロデュースによるブックフェア 「分析美学は加速する」 をご紹介するために、WEBサイト「日曜社会学」の中に開設するものです。 ブックフェアは、勁草書房の企画協力を得て、紀伊國屋書店新宿南店5階にて2015年9月8日から10月25日まで開催されました。フェアの詳細については、紀伊國屋書店、勁草書房の特設ページもご覧ください: 紀伊國屋書店 新宿南店 勁草書房 フェア中、店舗では 選書者たちによる解説を掲載したパンフレットを配布しましたが、このページにはその内容の一部を掲載しています。 2015.12.30 解説文一つを掲載しました。これですべての項目が掲載されました。 2-B.「分析美学の基書」 (森 功次) 2015.12.24 解説文一つを掲載しました。 2-A.「分析美学史」 (西村清和) 2015.12.14 解説文一つを掲載しました。 3-G.「物語」

    『分析美学基本論文集』刊行記念「分析美学は加速する──美と芸術の哲学を駆けめぐるブックマップ最新版」 - 紀伊国屋書店新宿南店ブックフェア(2015年9月8日~10月25日)
  • 高田敦史「分離された内容」と伊藤剛「マンガのおばけ」

    シノハラユウキ @sakstyle マンガなどに描かれているキャラクター(この原稿では「ひだまりスケッチ」のゆのが例に出てくる)について、「かわいい」という時、目が大きいとか鼻が小さいとかいった絵のデフォルメからそう判断しているだろうが、それでキャラクターそのものがかわいいと言えるのか、と 2014-05-10 10:51:05 シノハラユウキ @sakstyle 目が大きいとか鼻が小さいといったのは、あくまでデフォルメであって、当にそのキャラクター自身が、あの目の大きさだったりするわけじゃないだろう、と。つまり、キャラクターの当の見た目なるものは分からない。だったら、「そのキャラクターがかわいい」なんてことも言えないのではないか、と 2014-05-10 10:53:47 シノハラユウキ @sakstyle ここ最近、akadaさんがブログで紹介していた、描写の哲学、マンガの哲学、フ

    高田敦史「分離された内容」と伊藤剛「マンガのおばけ」
  • モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit

    『分析美学基論文集』所収のビアズリー「視覚芸術における再現」のまとめです。 明晰で整理された内容のわりに、文章は読みづらかったというか、長くてしんどかったので、まとめる意義もそれなりにあろうかと思います。 モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」相澤照明訳、西村清和編・監訳『分析美学基論文集』所収、173–243、2015(Monroe C. Beardsley, "Representation in the Visual Arts," in Aesthetics: Problems in the Philosophy of Criticism, 267–317, New York: Harcourt, Brace & World, 1958.) 絵についてなにか言うときの諸概念や焦点が整理・分類されている章です。たとえば美術史の人が絵の構造を記述・分析するときの基的な概念的枠組

    モンロー・ビアズリー「視覚芸術における再現」 - 9bit
  • 西村清和編・監訳『分析美学基本論文集』 - logical cypher scape2

    内容は大体タイトルの通り、ダントー「アートワールド」、シブリー「美的概念」、ウォルトン「フィクションを怖がる」といった有名論文が収録されている。 ただし、「分析美学って何?」って人は、ロバート・ステッカー『分析美学入門』 - logical cypher scape2を先に読むことをオススメする。 また、同じく分析美学の基論文としては、松永さんや森さんがnoteで公開しているモリス・ワイツ「美学における理論の役割」、ケンダル・ウォルトン「芸術のカテゴリー」 - logical cypher scape2もあわせて読みたい。 第1章 「芸術」の定義 1 アートワールド アーサー・ダントー(西村清和 訳) 2 芸術とはなにか――制度的分析―― ジョージ・ディッキー(今井 晋 訳) 第2章 美的価値 3 芸術批評における理由 ポール・ジフ(櫻井一成 訳) 4 美的概念 フランク・シブリー(吉成

    西村清和編・監訳『分析美学基本論文集』 - logical cypher scape2
  • 人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda

    ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影

    人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2015/06/17
    雑な質問によくここまで付き合ったなあ
  • アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い

    稿は、ストリート・カルチャーの諸々の要素が、原因や責任を問われうる証拠=エビデンスを十分残さないでたちまちに変質し霧散していくという、そうした刹那性を、今日の文化状況に抗するかたちで改めて肯定しようとするものである。2010年代の日は、生のあらゆる面において、いわば「エビデンシャリズム」(エビデンス主義)が進展している時代ではないだろうか。 1 エビデンシャリズム批判 稿では、エビデンス(カタカナで言われる、広い意味での証拠・証憑、質的であるより量的なものを望む傾向がある)を残し続けなければならない、エビデンスを挙げていわゆる「説明責任」(アカウンタビリティ)を果たせるようつねに準備しておかねばならない──その種の説明はしばしばひどく形骸化しているが──、という強迫的な「正しさ」の緊張感をいや増しに増すことを「エビデンシャリズム」と名づける。(1)この用語は、エビデンスが健全な議論に

    アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い
  • 本質主義 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "質主義" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年8月) 質主義(ほんしつしゅぎ、英: essentialism)とは、質(事物の変化しない核心部分)を自立的な実体、客体的な実在物であるとみなした上で、個別の事物は必ずその質を有し、それによってその内実を規定されている、という考えをいう。 さらに具体的に、社会科学や政治的な議論において、一定の集団やカテゴリーに、超時間的で固定的な質を想定する立場を指していうことが多い。 事物とその質との関係は客観的で固定的なものであり、個物は質の派生物、あるいは複製として

  • 作者の意図と作品の解釈 - 9bit

    作者の意図と作品の解釈の関係にかんする以下の論文がサーベイとして優秀だったので内容をまとめておきます。 Irvin, Sherri (2006). "Authors, Intentions, and Literary Meaning." Philosophy Compass 1(2): 114-128. [pdf] 分析美学では、文学作品の解釈とはどういうものか(あるいはどうあるべきか)の議論は、ニュークリティシズムの代表者であるWimsatt & Beardsley(1946)による意図主義批判とそれに対する意図主義者Hirsch(1967)からの反論から始まったこともあって、作者の意図と作品の解釈の関係をどう考えるかという論点を中心に展開してきた。 この論文では、この論点に対する諸説が以下のようにまとめられている。 極端な実際的意図主義(Extreme Actual Intention

    作者の意図と作品の解釈 - 9bit
  • 哲学

    Online ISSN : 1884-2380 Print ISSN : 0387-3358 ISSN-L : 0387-3358

  • ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")後半(6〜9章) - logical cypher scape2

    イメージの哲学の教科書 ROUTLEDGEのNew Problems of Philosophyというシリーズの一冊 全部で9章構成で、大きく前半と後半に分けられる。 前半については、ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")前半(1〜5章) - logical cypher scape2 前半では、描写について、経験説、認知説、類似説、ふり説、構造説の5つの説についての紹介がなされた。 後半では、以下の4つのテーマについて紹介される。 リアリズムと非リアリズム 科学におけるイメージ 心の中のイメージ 写真と対象の知覚 科学におけるイメージや心の中のイメージは、美学や描写の哲学ではなく、科学哲学や心の哲学において扱われるテーマであり、書でも科学哲学や心の哲学での議論に言及されているが、そのようなトピックに対して、美学・描写の哲学からアプローチし

    ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")後半(6〜9章) - logical cypher scape2
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • [PDF]性的モノ化と性の倫理学 江口 聡

    sexual objectification M. “Is sex an autonomy-killing, mind-numbing, subhuman passion?” “Yes, but only when it’s good.” Soble, c MacKinnon, , p. a sexual objects things commodities b c , LeMoncheck, Paglia, Soble, b , “Man fucks woman, subject verb object” MacKinnon, Objectification Nussbaum, person treating as an object instrumentality denial of autonomy inertness agency activity fungibility a b

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2014/11/20
    性的モノ化と性の倫理学*
  • レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』 - logical cypher scape2

    ニューメディアとは、CG合成の映画やコンピュータゲーム、web、メディアアートなど、コンピュータを使ったメディア(作品)の総称で、そうしたものについての美学理論入門*1 ニューメディアと(オールドメディアである)映画との連続性を検討している感じの。 アニメーションが映画の一種なのではなく、映画がアニメーションの一種、みたいなこと言ったので有名なでもある。 2001年のアメリカなので、出てくる例は分からないものも多いし(具体的にはゲームが。CD-ROM5枚組のアドベンチャーとかFPSとかが出てくる)、また古いところもあるのだけど、書かれている内容としては分かりやすいし古びてもいない。もちろん、そういう2014年の日人に分かりにくい例だけでなく、有名なハリウッド映画や、もっと日常的な例(Wordとか)も出てくる*2。コンピュータによる映像全般を扱ったもの、と考えてもいいかもしれない。

    レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』 - logical cypher scape2
  • Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ストーリーの同一性について。これ結構おもしろい問題かもしれない。 http://philpapers.org/rec/SMUQIA Smuts, Aaron (2009). Story Identity and Story Type. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):5-14. 1. 序 2. 基的なジレンマ 3. 誤ったフィクショナルな指示 4. 高次レベルタイプの質的属性 5. ストーリーの同一性かストーリーのタイプか 6. 結論 チャトマンなどがいうストーリー/言説の区別はよく受け入れられている。例えば、小説のテキストとそれが表現するストーリーは別だ。私たちは同じストーリーを語る別のテキスト(これ、言説とかテキストとかって、映像でもいいし絵とかでもいいんだけど、いい言葉がないので言説とかテキストと呼ぶ)があることを認め

    Aaron Smuts「ストーリーの同一性とストーリーのタイプ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 「分析美学は薄っぺらい」という意見について思ったいくつかのこと - 昆虫亀

    先週末に美学会(九州大学)に参加してきたんだが、そこで(相変わらず)何人かの方から「分析美学ってなんか薄っぺらいよね」的なコメントを聞いたので、akadaさんのこの記事を読み返していた。 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ 分析美学や分析哲学に対しては、一方の方々は「薄っぺらい」「深みがない」「当たり前のこと言ってるだけ」と感じ、もう一方の(とくに専門的にやってる)人たちは「議論が着実に洗練されていってるとても意義のある分野」だと感じている、というギャップがしばしば見られる。じっさい『分析美学入門』を翻訳したあとしばらく分析美学に対する批判や感想に耳をすましていたこともあって、「薄っぺらい」的な批判はたくさん聞いてきた。面と向かって直接言われたこともしばしばある。このギャップはどこから来てるんだろうか、という点は前々から気になっていた*1んだが、最近ちょ

    「分析美学は薄っぺらい」という意見について思ったいくつかのこと - 昆虫亀
  • アイロニー - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アイロニー" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年7月) この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 ご存知の方は加筆をお願いします。(2019年7月)

  • 東浩紀の伝言ゲーム――アーキテクチャー論をめぐる、大塚英志との論戦について|しんかい37(山川賢一)

    大塚VS東 大塚英志と東浩紀の対談集『リアルのゆくえ』には、〇一年から〇八年にかけて行われた四の対談が収められている。まずは〇一年の、大塚の発言からみてみたい。 ……まあおたく産業でおたくが気持ちよく引っかけられてることに水差すのは無粋かもしれないけれど、それが別の水準、たとえばやっぱり国家には権力システムはあるわけでしょう。それは自分が認知する、しないというレベルでは済まないと思うんだけど、そこに対する問題設定が見えてこないんだよね。(『リアルのゆくえ』、p25) 東によれば、「動物化」したオタクは、作品に「萌え要素」の「データベース」を求めているだけであり、作家の意図だとか、企業のマーケティング戦略などには無関心である。そして東は、こうしたふるまいがアニメやゲームの消費にとどまらず、ポストモダンの人々の生活態度すべてに及ぶことを匂わせてもいた。 すると、もし東のいうとおりなら、ポスト

    東浩紀の伝言ゲーム――アーキテクチャー論をめぐる、大塚英志との論戦について|しんかい37(山川賢一)
  • 哲学研究者麻琴さん、『動物化するポストモダン』を読む。(そして、そのかたわらではしゃぐ怨念批評家しんかい)

    タイトルの通り、麻琴さんが動ポモに突っ込みを入れ、ぼくことしんかい36(山川賢一)が歓喜のあまり転げまわるみたいな内容です

    哲学研究者麻琴さん、『動物化するポストモダン』を読む。(そして、そのかたわらではしゃぐ怨念批評家しんかい)