教育基本法改正案は、憲法草案との整合性をチェック済みであるという文科相の発言はあまり不思議な発言ではない。文科相自身、あたりまえのこととして述べたのだろう。このあたりの背景は、こちらのKouさん(秋扇巵言)による力作「教育基本法改正と公共精神」を読んでいただければ、それが戦後以来の数十年の歴史の中に位置づけられる話しであることがわかるだろう。日教組撲滅などという虚飾は実になまやさしいその場限りのウソで、あたかもそれが重大なことであるかのように論じる教育再生会議や政治家の詐欺師ぶりにはあっけにとられるしかない。 簡単にいえば、国民が体制に盲従することを規定する憲法と、そのことに疑問を抱かない国民を供給するマシーンである教育の両輪だ。このクラシックなシステムがどれだけ日本の政治家・官僚・財界などのエスタブリッシュメントにとって都合がいいのかは、別に説明するまでもない。のであるが、抽象的な点だけ
bewaadさんが刑務所がハンディキャップドの人々の受け皿になっている件について書いていたので、 知的障害にしろ、発達障害にしろ、身体障害者にしろ正常との境界が連続的なので(というよりうまくいってれば正常という定義)法律上の定義は本質的にはあまり意味がないと思っています。 世の中の9割の人が二階にジャンプして上がれるのなら、階段が必要な私は身体障害者でしょう。それでも、一割の人のために階段を作る余裕があれば、特別の福祉は必要ない。 多くの人が適応できる社会を作らないと福祉ではカバーしきれない気がします。 なぁんてノーマ「リ」ゼーション*1についてちょっと考えた事があるってだけの浅薄な考えを披露してしまったのだけれど、 >kumakuma1967さん 結局は、健常者と自認する者にとって、その認識の正否は脇に置くとしても、自分が交通事故等により障碍を持つ身となる可能性、あるいは自分の子どもがそ
「政策目標としての潜在成長率の政治的利点」のコメント欄でのお話の続きです。 経済学者は、いい経済政策、つまり国民の所得を上げたり、失業率を下げたり、所得の分配を改善したり、要するに国民を幸せにする経済政策を提案します。所謂、「シバキアゲ政策」を主張する方も、最終的にはそれが最終的には国民を幸せにすると考えるから、「シバキアゲ」を主張されるのであって、「シバキアゲ」そのもののために「シバキアゲ政策」を主張することはありません。これが素人だと、道徳的に正しい経済政策を主張したりすることがありますが、経済学者はそういうことはしません。普通はです。 で、政策を考えたら、啓蒙を通じて、政策の採用を訴えるわけです。それを他の人に任せる方も多いでしょう。 では、誰に売り込むかと言えば、政策を決定できる人にです。最近は政治家が対象になることが多いようです。もちろん野党の政治家という場合もあります。 では売
弱者の共済、消滅の危機 2008年法人化義務、予算・人手不足が壁 民間の保険が利かない出費を賄ってきた知的障害者らの共済制度が、大きな岐路に立たされている。 今年4月に施行された改正保険業法で、いわゆる無認可共済は、法人組織にして厳しい管理体制をとることが義務付けられたが、予算や人手が不足して法人化は簡単ではないためだ。このままでは、2008年にほぼ消滅し、障害者らの肩にずっしりと負担がかかることになる。各団体は、金融庁に同法の適用除外を求めているが、同庁は「運営の透明性を高めることが必要」と認めない方針だ。 法律に基づかない無認可共済を巡っては、1996年に社会問題化したオレンジ共済事件のように、加入者が負担金をだまし取られるなどのトラブルが相次ぎ、監督する必要性が指摘されていた。このため、改正保険業法では、会社内で社員同士で作る共済や、公益法人化した共済などを除き、〈1〉今年9月末ま
AFTERTOUCH surreal SxGx maniac cinema&book; review *めぐりあうたびに溺れて 見失うたびに胸焦がしてた* InverseDiaryFunction SxGx キェェェェ N山家の人々 Dairy ☆質問ダイアリー☆ ネタ帖 むらみぃ 世の中とあたしの繋がり GOOBERS ++今日のechiko++ ロストマインドガール * mayumi blog * モウソウtagebuch 読書感想日記☆ネタバレ注意警報! 癌と煙草と酒と 俺の道 toro's blog. ++ torog ++ ココアシガレット・アンダーグラウンド Deportare gorf net AFTERTOUCH surreal 2ちゃんねるの超怖い話 maniac cinema&book; review CARLTON1976 平凡な日々 秘密のホンネ ゴリラ秘話。 L
著作権の70年延長が単に自国の権益を他国より拡大しようという大変に利己的な方針であるのは論を俟たない*1が、一国が権益を不必要に拡大して他国がそれに追従し、それを繰り返してどこまでも際限なく拡大する……そんな構造に既視感があると思ったら冷戦構造下の戦力拡充、とりわけ核配備であった。 自分だけが持つことで得られる力と、一国のみが突出することへの不満と不安から来る追従。まったく、彼の国は(そして我が国は)いつまでこんな幼稚なことを繰り返すのか。 例のネズミやソフトウェアの影響力がこれほど大きくなければ、単に「権利拡大→利用機会減少→収入減」で済むものを、自国の力というものを充分に自覚した上での所業であるあたり性が悪い。 然し、他の国はこの流れに追従したところで大して得るものがないことを理解しているのだろうか?どの国も、コンテンツのみに限れば輸出入の収支は明らかに赤字だ。ということはその部分の利
先日のエントリ、「母子加算の廃止と労働・出産インセンティブ」 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20061202 に対して、mojimojiさんから批判を頂いた。 生活保護・母子加算廃止問題 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061204/p1 そしてコメント欄でも長々とやりとりをさせていただいた。私が何を言いたいのかはおいておくとして、mojimojiさんの議論の軸はしっかりしていて、それは一言でいえば、「就労インセンティブの議論と生活保護で保障すべき最低水準の議論は区別できるし、区別しなければならない」というものだ。問題はここでいう「保障すべき最低水準」とは何か、というものだ。mojimoji氏の文章を読む限り、mojimoji氏が寄っているのは、後藤玲子氏の論文である。 そこで、ちょっと回り道になるが、私もmojimoji氏もたび
私が就職して二年目の授業の講義ノートのはじめの部分です。この頃はしゃべるのに自信がなくて、原稿つくんないと恐くて講義ができませんでした。 http://osaka.eco.toyama-u.ac.jp/~osaka/01kogi/all97 なぜ経済学をするのか ご飯を残す子どもに、残さないようにしつけをするときに、「お百姓さんにもうしわけないでしょう」と昔はよくいわれました。この言葉には社会についての重要な見方が含まれています。つまり、お米はお百姓さんという他人が作ったもので、そういう他人との関係の中で人間が生きているという見方です。 しかし、今はそうした他人とのつながりが見えにくくなっています。もし、お百姓さんからじかにお米を買ったり、彼と物を交換したりして、生活しているのなら、その人は、お米を作っている人とどう関わるかが生活の中心になるでしょう。しかし、コンビニエンスストアーで、弁当
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