高い建物が林立する仁川市富平区富栄路(インチョンシ・プピョング・プヨンノ)の住宅街のど真ん中に「廃屋村」がある。単層の小さな家80軒余りがずらりと列をなして寄り添うように立っているここの家は、古いというよりは今にも崩れそうだ。屋根が落ちて空が見えていたり壁の一部が崩れているところもある。日帝強占期だった1938年、機械製作会社「弘中商工」が朝鮮人労働者受け入れのために作った長屋街だ。1940年代軍需物資の補給倉を運営していた三菱重工業が買収して、その後「三菱チュル社宅」と呼ばれる。チュルは韓国語で長細いものを指すが、この旧三菱社宅は細長く列をつくるようにして建てられていることからこう呼ばれている。 内部にトイレもない、築80年を超える古い建物なのに、まだ10世帯余りが暮らしている。ここは毎年三一節(独立運動記念日)や光復節(解放記念日)など日帝強占期に関連した日が近づくと「論争」になる。「