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歴史に関するringonouenのブックマーク (93)

  • モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ

    ほんごう・かずと/1960年、東京都生まれ。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日中世政治史、古文書学。『大日史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日史』(朝日新書)、『乱と変の日史』(祥伝社新書)、『考える日史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日史』(ダイヤモンド社)など多数。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 鎌倉時代、2度にわたってモンゴルに攻め入られた日。そんな大国の侵攻から日を救った英雄とみられているのが、北条時宗だ。しかし、モンゴルが日に攻め入った経緯を

    モンゴル帝国から日本を救った北条時宗が「英雄」とは言い難いワケ
  • 嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち(Yahoo!ニュース 特集)

    歴史的事実の検証に必要な古文書。だが、その中に嘘が含まれているものもある。そんな偽文書の一つが、江戸時代後期に国学者の椿井政隆によって作られた「椿井文書(つばいもんじょ)」だ。京都や滋賀を拠点に偽の歴史を大量につくったとされる。それを検証するが昨年出版されると、各地で困惑する人が出始めた。椿井文書には何が記され、どんな影響を与えているのか。取材した。(取材、撮影:ノンフィクションライター・伊田欣司/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち(Yahoo!ニュース 特集)
  • 7000年前のスウェーデンの女性を復元、特別な存在

    現在のスウェーデン南部で7000年前に亡くなった女性。遺骨とDNAと埋葬時の様子を基に復元された。(PHOTOGRAPH BY GERT GERMERAAD, TRELLEBORGS MUSEUM) 考古学者らは、その女性に「22」という番号を振った。実物大の像を復元した彫刻家は「シャーマン」と呼ぶ。それを展示する博物館のスタッフにとっては「座る女」だ(少なくとも今のところは。他にいい呼び名があれば受け付けるそうだ)。 彼女の名を最後に口にしたのは、およそ7000年前、現在のスウェーデン南部に広がる豊かな湿地帯や森に住んでいた誰かに違いない。その名前は歴史のかなたに失われてしまったが、考古学者であり彫刻家でもあるオスカー・ニルソン氏らのチームによって女性が復元され、この11月17日からスウェーデンのトレレボリ博物館で公開される。 女性は動物の角の上にあぐらをかき、頭を上にして埋葬されてい

    7000年前のスウェーデンの女性を復元、特別な存在
  • https://www.elle.com/jp/culture/a34474905/adieu-parisiennes-vol4-nobless-privilege-201105/

    https://www.elle.com/jp/culture/a34474905/adieu-parisiennes-vol4-nobless-privilege-201105/
  • 雪の札幌、はかないナイトライフ

    ナショナル ジオグラフィック英語版1960年12月号より。写真:JOHN LAUNOIS, BLACK STAR 2階の窓に映った妖しい人影。女性が男性に酒をついでいるのだろうか。1960(昭和35)年12月号に掲載された札幌の夜の街角だ。詳しい撮影場所は不明だが、通りの向かいに「薄野(すすきの)みなみ」という看板が見えることから、おそらく札幌の有名な歓楽街の酒場なのだろう。 電柱に掲げられた産婦人科の広告から場所の見当をつけ、すすきのの南側を歩いてみた。古い市場で尋ねたところ、どうやら1959年頃に同名の店がこの界隈(かいわい)にあったようだ。その場所に行ってみると、今はジンギスカン店になっていて、酒場の面影はまったくない。無数の飲店がしのぎを削り、変わり続ける夜の街。そこで生き残る難しさ、そして、雪まつりの雪像にも似たはかなさを、しみじみと感じた。 この記事はナショナル ジオグラフィ

    雪の札幌、はかないナイトライフ
  • 戦中戦後の日本を米国人記者はこう見ていた

    大戦の前後、日は敵国であった米国の記者にどのように見られていたのだろうか。 1888年に創刊したナショナル ジオグラフィック誌は、創刊当初から日の素朴な人々やすぐれた文化、美しい自然について数多く紹介していた。 生け花を習う女学生たち。花嫁修業の重要な一つと考えられていた。(KIYOSHI SAKAMOTO/National Geographic 1933年3月号「長い歴史をもつ若い国」より) たとえば戦前、1933年3月号に掲載された特集「長い歴史をもつ若い国(Japan, Child of the World’s Old Age)」はこんな具合だ。 「日人女性の和服には自然の趣が感じられる。乙女が美しい着物や髪飾りで着飾った姿には、感嘆の声を上げずにはいられない。しかし、詩人たちは女性を称賛する以上に、美しい景色や自然の造形美を詩に詠んできた。雲や霞、曙や夕暮れの輝きが生き生きと

    戦中戦後の日本を米国人記者はこう見ていた
  • 嘘の国を売った史上最悪の詐欺師、270人が死の入植

    ナショナル ジオグラフィックの書籍『世界をまどわせた地図』で紹介する国、島、都市、山脈、川、大陸、種族などは、どれもまったくの絵空事だ。しかし、かつては実在すると信じられていたものである。なぜだろう? それらが地図に描かれていたからだ。 神話や伝承として語り継がれていたものもあれば、探検家の間違いや誤解から生まれたものもある。なかには、名誉のため、あるいは金銭を集めるための完全な「でっち上げ」すらある。その代表例として、ここでは「ポヤイス国」の物語を紹介する。史上最悪の詐欺師グレガー・マグレガーによる嘘の国だ。 世界一の大ぼらふき、グレガー・マグレガー 1822年頃のヨーロッパは不景気の中にあり、コロンビアやチリ、ペルーなどの南米の国々はチャンスを期待する投資家たちの人気を得つつあった。それらの国の国債は利回りがよく、見逃せないもうけ話だったのだ。そんな時代に、モスキート・コースト国のジョ

    嘘の国を売った史上最悪の詐欺師、270人が死の入植
  • 17世紀イタリアに衝撃を与えた型破りな女流画家、暴力的な画風の背景

    1620年に描かれた新バージョンの「ホロフェルネスの首を斬るユディト」。古いバージョンは、1612年に絵の指導を受けていたタッシから性的暴行を受けた後に描かれた。ユディトの物語は、当時男性画家の間で人気の題材だったが、ジェンティレスキの描くユディトには断固とした決意と力強さがあり、侍女との結束力を感じさせる。暴力と復讐を、17世紀初期の女性という独特の視点から見せてくれる作品だ。(BRIDGEMAN/ACI) 17世紀のイタリアに生きたアルテミジア・ジェンティレスキは、画家として当時の女性としてはあり得ないほどの成功を手にしたが、女性であるがゆえに傷つけられることも多かった。根強い偏見と闘い、積み重ねたつらい経験を、彼女は絵画にぶつけ、数々の偉大な作品を生み出した。 アルテミジアは、1593年にイタリアのローマで誕生した。父親のオラツィオ・ジェンティレスキもまた、画家として高い評価を受けて

    17世紀イタリアに衝撃を与えた型破りな女流画家、暴力的な画風の背景
  • 「呪い」は本当? オリンピックの混乱の歴史

    1964年東京五輪の開会式で、聖火リレーの最終ランナーを務めた坂井義則。1964年東京五輪は日で初めて開催された五輪。1940年も東京で開催される予定だったが、第2次世界大戦が現実味を帯びてきたため、中止を余儀なくされた。(PHOTOGRAPH FROM SANKEI ARCHIVE, GETTY) 新型コロナウイルス感染症によるパンデミックを受け、延期が決まった2020年東京オリンピック。 五輪がこれほどの大混乱に陥るのは戦後初めてだが、歴史を振り返ればボイコットや参加禁止、火山の噴火など、多くの混乱や危機に見舞われてきた。 ローマからロンドンへ ローマは1904年、ベルリン、トリノなどを抑えて1908年五輪の開催都市に決まった。ところが、準備開始から2年後にベスビオ山が噴火、麓の街が破壊され、ナポリは都市機能が麻痺した。復興に多額の費用がかかることから、イタリアはローマ五輪の開催を断

    「呪い」は本当? オリンピックの混乱の歴史
  • 「英雄」の銅像撤去相次ぐ、コロンブスやガンジーも

    2020年6月19日、ワシントンDCでアルバート・パイクの像を倒そうとする人々。(PHOTOGRAPH BY EVELYN HOCKSTEIN, THE WASHINGTON POST/GETTY) 米国で、かつて英雄とされた人物の銅像の撤去が相次いでいる。 バージニア州は、19世紀の南北戦争で奴隷制度を支持する南部の州として戦った。その州都リッチモンドに、モニュメント・アベニューと呼ばれる大通りがある。ここにはかつての南部軍人の像が立ち並んでいるが、今、それらが次々に倒され、撤去されている。州知事は、南軍司令官だったロバート・E・リー将軍の像の撤去を正式に発表した。

    「英雄」の銅像撤去相次ぐ、コロンブスやガンジーも
  • 【解説】ナゴルノ・カラバフ、なぜ争いが絶えないのか

    2020年の停戦協定後、「ナゴルノ・カラバフ共和国」の首都ステパナケルト(ハンケンディ)に戻るアルメニア系住民たち。カフカス山脈南部のこの地は、何千という犠牲者と多くの避難民を出す地政学的な争いの中心となってきた。(PHOTOGRAPH BY ANASTASIA TAYLOR-LIND, NAT GEO IMAGE COLLECTION) 2023年9月19日、カフカス山脈南部のナゴルノ・カラバフでアゼルバイジャンが大規模な軍事作戦を開始し、何世紀にもわたってくすぶり続けてきた衝突の火をあおり立てた。作戦は成功を収め、現在は何万人というアルメニア系住民が続々と逃げ始めている。これはアゼルバイジャンにとって、ソビエト連邦の興亡とともに形づくられた飛び地における最新の、そしておそらく最後の勝利だろう。 この面積約4400平方キロメートルの領域は、公式にはアゼルバイジャンの一部とされ、ロシア語で

    【解説】ナゴルノ・カラバフ、なぜ争いが絶えないのか
  • コロナウイルス発見の物語、却下された彼女の論文

    1963年、カナダ、トロントにあるオンタリオがん研究所で、電子顕微鏡を操作する科学者のジューン・アルメイダ氏。1年後、氏は自らが開発した顕微鏡技術を用いてコロナウイルスを発見した。(PHOTOGRAPH BY NORMAN JAMES, TORONTO STAR/GETTY) 1964年、電子顕微鏡を覗き込んだジューン・アルメイダ氏が目にしたのは、周囲を小さな突起に覆われた灰色の丸い粒子だった。アルメイダ氏と同僚らは、ウイルスの周囲を突起がぐるりと取り囲んでいる様子が、太陽の周りに現れる光の輪、光冠(コロナ)に似ていると記している。 やがてこのウイルスは「コロナウイルス」として知られるようになる。驚くべきことに、このウイルスの同定に大きな役割を果たしたアルメイダ氏は、当時34歳だったが、正式な学校教育を終えていなかった。 英国スコットランド、グラスゴーのハート家に生まれたアルメイダ氏は、バ

    コロナウイルス発見の物語、却下された彼女の論文
  • 感染の原因、私たちはなぜ知らない人と握手するのか?

    紀元前9世紀、バビロニア人と握手をするアッシリア王シャルマネセル3世をかたどったレリーフ。握手は古代の美術品にたびたび登場するモチーフだ。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY) 私たちははるか昔から、友情を示したり、商取引を成立させる際に、握手やキス、ハグをしてきた。ただし、他人に触れるという行為は、不適切なものも相手に伝えてしまう。 新型コロナウイルスの感染者が増えるなか、フランスでは国民的な習慣となっている頬へのキスを当面控えるようにとの警告が発せられた。世界中のビジネスの場では、握手のかわりにひじをぶつけ合う挨拶が採用されている。 知らない人と触れ合うこうした習慣は、いつどのように始まったのだろうか? かつての感染症の流行の際に変化はあったのだろうか? 握手の起源として有力な説は、平和の意思表示として始まったというものだ。互いの手を握るという行為は、武器を

    感染の原因、私たちはなぜ知らない人と握手するのか?
  • 元祖スーパースプレッダー「腸チフスのメアリー」が残した教訓

    アイルランド出身の料理人メアリー・マローン。腸チフスが集団発生した際、初めて保菌者と特定された人物だ。メディアはマローンを「腸チフスのメアリー」と呼び、マローンの裁判と強制隔離は世間の注目を集めた。1909年ごろに公開されたこのイラストでは、マローンが頭蓋骨を割ってフライパンに入れている。(CHRONICLE, ALAMY) ジョージ・ソーパーはいわゆる探偵ではなかった。彼は土木技師だったが、公衆衛生の専門家のような存在になっていた。そのため1906年、米国ニューヨーク州ロングアイランドの家主が腸チフスの発生源の追跡に苦労していたとき、ソーパーに声がかかった。その夏、家主はある銀行家の家族と使用人にロングアイランドの家を貸していた。8月後半までに、この家に暮らす11人のうち6人が腸チフスに感染したのだ。 ソーパーは以前、ニューヨーク州の職員として感染症の調査を行っていた。「『エピデミック・

    元祖スーパースプレッダー「腸チフスのメアリー」が残した教訓
  • 手洗いの大切さ、発見したが報われなかった不遇の天才医師

    ドイツの医院で医師たちが手術前に手を洗う。手洗いは、19世紀後半になるまで一般的ではなかった。(PHOTOGRAPH BY JOKER, DAVID AUSSERHOFER/ULLSTEIN BILD/GETTY) インフルエンザや新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐ最も効果的な方法のひとつは、手を洗うことだ。これに異論を唱える人はほとんどいないだろう。米疾病対策センター(CDC)は、せっけんを使って20秒間手を洗い、流水ですすぐよう推奨している。(参考記事:「新型コロナウイルスに感染するとこうなる」) だがこうしたアドバイスは、いつの時代も常識だったわけではない。19世紀においては、むしろ非常識ですらあった。 1840年代のヨーロッパでは、子どもを産んだばかりの母親が、産褥(さんじょく)熱と呼ばれる病気で亡くなるケースが多かった。最良の医療を受けられた女性たちでさえ、そうだった。ハンガリー

    手洗いの大切さ、発見したが報われなかった不遇の天才医師
  • トイレットペーパーがない時代、人々はどうやって尻を拭いたのか?

    トイレットペーパーの大量生産は米国では1857年に始まったが、古代より様々な方法が世界中で用いられてきた。(PHOTOGRAPH BY HANNAH WHITAKER) 新型コロナによるパニックで、トイレットペーパーの買い占めが起きている。スーパーや薬局へ買いに走る時、あなたは何を思うだろうか。いつでも買えたあの頃を思い出すかもしれないし、トイレットペーパーがなかった時代に人々は何を使ってお尻を拭いていたのだろうと思いをはせるかもしれない。 現在、世界の何億人かは、トイレットペーパーがないからといって困ることはない。紙を使う代わりに、水で洗うからだ。しかし、昔から世界の人々は様々な方法で尻を拭い、考古学者や人類学者はその歴史を解き明かしてきた。世界の「尻拭い」の例を紹介しよう。 古代ローマのスポンジ棒 古代ローマの公衆トイレでは「テルソリウム」を使って尻を拭いていた可能性がある。この古代の

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  • どん底の世界恐慌に立ち向かった、大統領ルーズベルトの決断

    逆境だらけの人類史 英雄たちのあっぱれな決断 窮地に陥ったり、不遇や失敗にまみれたりした人たちが、劇的な逆転を遂げるに至る決断を47例集めた、歴史読み物。 定価:2,860円(税込) amazon 楽天ブックス

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  • 7500年前のイベリア女性の顔を復元、アナトリアのDNAが90%

    ジブラルタルは、スペインの南、イベリア半島の南端に位置する英領だ。1996年、ここで考古学者らが調査を行い、洞窟の中から頭蓋骨を含む人骨の埋葬地を発見した。 この埋葬地が非常に古いことはすぐにわかった。動物の骨や石器が堆積した層の下で見つかったからだ。頭蓋骨は損傷を受けていたが、ジブラルタル博物館に収蔵された。 この頭蓋骨がいつの時代のものかは謎のままだったが、2019年、DNA分析によって7500年前の女性のものと判明した。ジブラルタルで見つかった現生人類の女性としては、最古のものだ。 さらに、頭蓋骨の持ち主の祖先はイベリア半島のはるか東から来たことも判明した。農耕がヨーロッパに広がっていった時期に、古代人類がどのように移動していったのかを知る新たな手がかりとなる。 ジブラルタル博物館の研究チームは、彼女の顔を法医学的・解剖学的に復元することに取り組んだ。破損した骨をコンピュータースキャ

    7500年前のイベリア女性の顔を復元、アナトリアのDNAが90%
  • 実は独立記念日でなかった「カナダの日」 その誕生の歴史

    1867年7月1日、英国の3つの植民地が統一され、カナダが誕生した。この新しい国は自治権を持っていたが、厳密には、その後数十年もの間、英国の統治下に置かれていた。

    実は独立記念日でなかった「カナダの日」 その誕生の歴史
  • 現代カナダに今も息づく「ヌーベルフランス」の文化

    1534年以降、フランスの探検家ジャック・カルティエは3回にわたって、後にヌーベルフランスと呼ばれる土地を探検し、セントローレンス川沿いの内陸を初めて正確な地図に表した。この絵は、現在のケベックシティがあるスタダコナの村に十字架を建てるジャック・カルティエ。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY) かつて「ヌーベルフランス(新フランス)」と呼ばれる土地が、北米にあった。北は現カナダのハドソン湾から南はメキシコ湾に至るまで、5つの領土から成る広大なフランスの植民地だ。毛皮商人や兵士、フランス国王が送った花嫁たちが入植して新たな生活を築いたが、そこは昔から先住民が暮らす土地でもあった。 ヌーベルフランスの歴史は1608年から1763年までと短いが、そこで生まれた独特の言語、文化歴史は、今もカナダ国民のなかに深く根付いている。 ヌーベルフランスの誕生 フランスの探検家

    現代カナダに今も息づく「ヌーベルフランス」の文化