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2010年1月3日のブックマーク (9件)

  • 『「上から目線」の自己責任論が、自分を責め抜き疲れ切っている弱者を黙らせさらに痛めつける』

    すくらむ国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。 みどりさんのブログ「労働組合ってなにするところ?」 で知ったのですが、「東京新聞」(8/19朝刊)に以下の記事が掲載されています。 怠けている連中に税金払う気なし 厚労相、「派遣村」で言及 舛添要一厚生労働相は18日午後、横浜市内の街頭演説で、昨年末から今年1月にかけて東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」に関し、「(当時)4千人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。 これに対し、派遣村実行委員だった関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は紙の取材に「求人として紹介されたのは確かだが、誰も応募しなかったというのは全くのでたらめ。たくさんの人が応募したが、

    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    「自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることだ。弱っている相手を黙らせること。これは弱い者イジメだ」
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    「一刻も早くセーフティーネットとしての生活保護と高齢者の生活保障を切り離すべきだ」/勤労所得への課税強化には反対だが不労所得や保有資産への課税強化は賛成。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

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  • “生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代” - シロクマの屑籠

    ちっぽけな人間が、無数に生まれて無数に死んでいく。 そのこと自体に意味があるのかどうかは、私には分からない。 しかし、そのちっぽけな人間の一人一人にとって、“自分自身の生が無意味である”という認識が、寂しくて耐え難いものだというのは私にも分かる。だから、自分自身の生に意味づけをし、生き甲斐やレゾンデートル(raison d'etre:生きている意味)を与えてくれる“命綱”のような存在を私達はありがたがる。世間を見渡せば、それらにしがみつく人達の姿で溢れているわけだが、“他人事”と笑って済ませるのは難しい。 日では、20世紀の後半ぐらいから、生き甲斐やレゾンデートルを求め、自分自身の生に意味を見出そうとする人が増えてきた。昨今、こうした生き甲斐やレゾンデートルに相当するものを提供するビジネスがビジネスとして成立してしまうのも、要は、それらを必要とする・それらを欠いていると感じている人が、そ

    “生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代” - シロクマの屑籠
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    空気を読むことは、承認欲求の充足や経済的安定という見返りなしに、共同体への一方的服従として要求されるものになった。空気嫁的なものの暴走は近年の日本企業のブラック労働環境や就活なる茶番劇にも相通じる。
  • なぜ僕が美少女戦士になりたかったのか? - 地下生活者の手遊び

    撫でたい、さすりたい、のに・・・ ニンゲン、自分にとっていとおしいと感じられるものは撫でたりさすったり頬ずりしたりしたいものですにゃ。これは大人になってもそういうもので、撫でたりさすったりする対象がほしくて僕たちはペットを飼ったりするわけですにゃー。ニンゲンにとってはニンゲンが愛情の主な愛情の対象のひとつであるわけで、だからニンゲンはニンゲンを撫でたりさすったりすることが好きですにゃ。これはガキが小さいうちの親子関係とか、性的なパートナーシップにおいてよく見られますにゃ。 ところが、成人同士の社会的な関係性においては、一般的に身体的接触は忌避されますにゃ。身体的接触は性的な意味を持たざるをえにゃーので、そのあたりが忌避されているのでしょうにゃ。とはいえ、♀同士の身体的接触は♂同士のそれほど忌避されてはいにゃーようだ。女の子同士で手をつないでいっしょにトイレに行くところなんかは、中高生のとき

    なぜ僕が美少女戦士になりたかったのか? - 地下生活者の手遊び
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    「あるいは、『非コミュ』自身も、関係性獲得とその強化、そして集団での目的達成というサイクルの前で、少年ジャンプ的勝利の方程式の前で、どうしたらいいかわからなくて呆然としているのかもしれにゃー」
  • 異性愛というありふれたヘンタイ(再追記アリ - 地下生活者の手遊び

    前回・前々回のエントリにid:otomoから http://h.hatena.ne.jp/otomo/9234091190530457479 という批判をいただいたので応答しておく。 できのよくない話をネタとして繊細さを欠く記述をすると、あとあと面倒なことになるな、我ながら。まあ自業自得だ、仕方ない。 異性愛に悩む秀吉 まず、性的な嗜好/指向には正常だのノーマルだのといったものはないと考える。具体的な他者に直接危害を与えるものでない限り、どのようなヘンタイさんが何をして満足をえようと、どのような性的な嗜好/指向に拘泥しようと、第三者も社会もクチバシをつっこむべきではない。 このあたりは基のキの字だね。 ところが、どうも性について社会はクチバシをつっこみたがる。 例えばプルタルコス*1「愛をめぐる対話」から、当時、異性愛についてどんなことが言われていたかちょっち拾ってみよう。 愛をめぐる対

    異性愛というありふれたヘンタイ(再追記アリ - 地下生活者の手遊び
  • 美少女戦士は無理だけどヘンタイにはなれる、かも - 地下生活者の手遊び

    前回記事の補足ですにゃー。 ホモフォビアの指示内容 前回記事で、〜フォビアという語を「忌避」と捉える扱いが軽すぎるという指摘を複数受けておりますにゃ。代表的なものとして、コメ欄で「てつ」氏によってロングマン現代英英辞典から引用された記述があり、これだけでも僕の不勉強とイイカゲンが証明されたようなものですにゃ。赤面した。 ただ、〜フォビアを「忌避」と認識してしまったことについては理由がなくもにゃーので、そのあたりの言い訳からはいりますにゃ。 ホモフォビアは、一般的にレズビアンやゲイ男性など同性愛者に対する否定的な態度・感情、嫌悪を指します。そして、その現れ方には、大きく分けて以下のようなものがあります。 1. ホモフォビック(同性愛嫌悪的)な態度:同性愛は異常・病気だとする感情や信念) 2. ホモフォビアに基づいた異性愛主義:異性愛のみが正しいとする考え方 3. ホモフォビックな言葉:冗談・

    美少女戦士は無理だけどヘンタイにはなれる、かも - 地下生活者の手遊び
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    「男らしさ」という概念・規範性そのものに女性や性的マイノリティへの蔑視が含意されているという話。/「『ぜんぶノーマル』では、日比野も批判している『○○中心主義』から抜け出すことはできにゃーしな」
  • 男性ジェンダーと加害性 - 地下生活者の手遊び

    もともと韜晦フルチャージのネタから始まった話とはいえ、どうも韜晦のレトリックにばかりひっかかって論旨の理解をさまたげているようだ。よって韜晦抜きでまとめて、この件はとりあえずの終いとする。かぶり文体で書くと韜晦の磯の白浜で泣きぬれてカニと戯れることになるので、今回はにゃーにゃー言わない。 引用先は特に断らないかぎり、前回エントリにつけられたブクマコメ。 id:hituzinosanpo 社会 ひとつ疑問。インターセックスが同性愛と、どんな関係があると? そもそも「同性」って なんだろうねという文脈なら わかる。 異性愛中心主義の荒っぽく狭量な認識においては、性自認と身体的な性が葛藤なく一致し異性と性愛関係にあるもののみが「正常」とされ、それ以外は同性愛くらいの乱暴なくくりとなっているのではないか? LGBIT というけれど、それらの差異などおかまいなしに、みな同性愛くらいの認識がされてい

    男性ジェンダーと加害性 - 地下生活者の手遊び
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    「例えば『結婚して家庭をもって男は一人前』などの言説」/男性嫌いな男だがまるで結婚願望がわかない。結婚がホモソーシャル社会や「世間」からの同調圧力的承認と結びついているがゆえに結婚を忌諱しているのか。
  • 御法度を生み出すもの - 地を這う難破船

    ⇒誰でも美少女戦士になりたいはずだ - 地下生活者の手遊び ⇒なぜ僕が美少女戦士になりたかったのか? - 地下生活者の手遊び ⇒はてなハイク サービス終了のお知らせ ⇒異性愛というありふれたヘンタイ(再追記アリ - 地下生活者の手遊び 「大島渚テーゼ」と私が勝手に呼び習わしている観念があって。「男たちは愛し合う代わりに殺し合わなければならない」という。そして、愛し合う代わりに殺し合わなければならない男たちは、殺し合う代わりに社会を作った。現行の社会を。その秩序ある社会を、ホモソーシャルと言う。あるいは国家を。それは、男たちの都合により、愛し合うことと殺し合うことを忌避することによって成り立っている。その「都合」を、オブセッションともポスト近代な現在では言う。 別に大島監督がそういうことを説いていたわけではない。ただ「男たちは愛し合う代わりに殺し合わなければならない」ことを――その代替物とし

    御法度を生み出すもの - 地を這う難破船