徳川慶喜と毛利輝元の共通点とは、優柔不断なところです。 味方と敵の間で、どのように戦うのか、あるいは降伏するのか悩み抜いたところが似ています。 この二人は、本音では早く降伏して国、あるいは家の存続を守りたい、と思わせるような行動が目立ちます。 降伏するために、重臣や家来からの不満を押さえるために、苦心していた感じです。 しかし、優柔不断と決めつけるのは偏った見かたではないでしょうか。 良い方にとらえれば、先見の明があった、といえます。 勝てる確率が非常に低い戦をして、国や家を滅ぼすよりも、降伏してそれを避ける道を選択したのです。 『孫子の兵法』に「勝算なきは戦わず」とあります。 武田信玄や織田信長、古代中国の劉邦などの名将は、負けて逃げることが得意でした。 しかし、徳川慶喜と毛利輝元は、おかれた状況が複雑だったため、後に優柔普段の印象を残すことになりました。 昭和初期の日本の軍が、どこかの