タグ

2010年9月23日のブックマーク (12件)

  • JavaとEclipseとドメイン駆動設計の特集記事を書きました - かとじゅんの技術日誌

    9月24日発売の日経ソフトウエア 11月号の特集2で「最新Eclipseで良いJavaプログラムを書こう」という特集記事を書かせていただきました。 日経ソフトウエア 2010年 11月号 [雑誌] 作者: 日経ソフトウエア出版社/メーカー: 日経BP社発売日: 2010/09/24メディア: 雑誌購入: 3人 クリック: 39回この商品を含むブログ (9件) を見る 記事としては、「良いJavaプログラムを書くには」何をどうしたらよいのか、という興味深いテーマです。 記事の構成としては、以下のとおりです。 基礎編:Eclipseとプラグインを使ってプログラムを効率よく書こう コラム:ポリモーフィズムを生かした実装をしよう 準備編:良いプログラムを開発するための考え方と実践方法を学ぼう コラム:Javaプロジェクトの作成と設定/ソースアーカイブの動かし方 実装編:SQLでスキーマを作成するア

    JavaとEclipseとドメイン駆動設計の特集記事を書きました - かとじゅんの技術日誌
  • 夢とどこで折り合いをつけるか。 島国大和のド畜生

    就職相談を受けることがある。主に新卒。 (既にキャリアのある奴は俺に聞いても仕方が無いのを知っている) 例えば、自分の身内が仕事を探してるとして。 絵描きでいたいと言ったら、絵を見て止める。 文章でいたいと言ったら、ノータイムで止める。 ゲーム仕事にしたいと言ったらナチュラルに止める。 簡単な事を言えば 「60歳でその仕事をしている自分を思い浮かべる事が出来るか?」 に尽きる。 自分がゲーム業界を就職先に選んだ時は、結婚と子供を半分諦めたよ。 好きを仕事にするってのはそういうレベルだ。 逆に言えば、一人暮らしだったら余裕で死ぬまでえるとは思ってた。(えなくなったら死ねばいい) 当時比較的バブってたり、なんかギリギリえそうだったので、諦めずに済んだし、結婚も子供も結果的にはして良かった、出来て良かったと思っているけど、今後の情勢はそれなりにキビシイだろう。 ちなみに当時の自分は絵

  • 第6回ジオメディアサミット開催いたしました。

    今回で6回目となるジオメディアサミット。駒場東大で開催し、330名を超える来場者を集めた前回のジオメディアサミットを経て、今回はG空間EXPOというイベントの中で開催させていただきました。 今回は席数が176席と少なかったこともあり、受付開始早々に定員に達してしまいました。 私は、主幹事及び総合司会、ビジネスセッションの司会を担当しましたので、イベントを振り返ってみたいと思います。 基情報 第6回ジオメディアサミット 9月20日 10:00〜17:00 パシフィコ横浜 アネックスホール プログラム: http://atnd.org/events/6799 Ustreamによる録画を、TechWaveさんのチャンネルで閲覧できます。 http://www.ustream.tv/channel/techwavejp 初の試みとなる、終日イベント 終日開催というのは、これまでにない

  • パソコン大百科 | パソコン総合情報サイト

    【最安から最強まで】おすすめの4Kゲーミングモニター5選|PCPS5、次世代ゲームのグラフィックを堪能しよう

  • http://www.d3.dion.ne.jp/~xx_sakai/EmbeddedSoftwareManufactory/TopLinks/Architect.htm

  • ある程度の年齢を迎えたプログラマが生き残るには - ひがやすを技術ブログ

    ある程度の年齢を迎えたプログラマが抱える悩みに、「若手のプログラマと比べて、どうやって価値を出していくか」という問題があります。これは言い換えれば「同じような生産性であれば、相対的に給料の低い若手のプログラマに置き換えられてしまうのではないか」という悩みです。 35才(2004年)でプログラマとしてオープンソースを始め、今年で42才になる俺が通りますよ。 35才までは、SIerの中でSEをやってたので、そんなにプログラムは書いたことがないです。 上記のエントリには、いろんな戦略が書いていますが、ぶっちゃけ戦略は一番重要なことではなく、一番重要なのは、常に自分の価値を高めるために努力し続けることです。 努力や挑戦をやめたら、自分の価値はどんどん陳腐化して下がっていくのは当たり前なのです。 自分がどんなことに挑戦してきたのかちょっと書いてみますね。 2004年1月、プログラマとして何か新しいこ

    ある程度の年齢を迎えたプログラマが生き残るには - ひがやすを技術ブログ
  • ステディカム - Wikipedia

    的なステディカムの装備。まず、カメラマンは専用ベストを上半身に装着する。次に、固定アーム(縦の棒の部分)の上部にカメラやマイク、下部にバランサーやモニターを接続し、最後に腰部分のジンバルやサスペンションで固定する。使用中はカメラのファインダーが覗けなくなるので、下部のモニターを確認しながら操作を行う。 役者とカメラマンが一定間隔を保ちながら一緒に歩いて撮影するロケ現場の様子。以前であれば、地面にレールなどを敷いて台車に乗って撮影するような手段しかなかった。また、その場合はレールを画面に入れないように撮影しなければならない。ステディカムの登場は、スムーズな移動撮影の簡便化だけでなく、画面設計の自由度も向上させたことになる。左から2人目にステディカムを身体に装着したカメラマン、中央奥に帽子を被った役者、右端にディレクターがいる。 ステディカム(英語: Steadicam)とは、カメラマンが

    ステディカム - Wikipedia
  • 戸田奈津子が翻訳してみたZガンダム

    新訳じゃなくて、戸田奈津子訳「機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者」

    戸田奈津子が翻訳してみたZガンダム
  • 社長の代わりに糸井重里さんが訊く「スーパーマリオ25周年」

    みなさん、こんにちは。任天堂の岩田です。 1985年9月13日、ファミリーコンピュータ向けに 初代の『スーパーマリオブラザーズ』が発売されてから、 今日でちょうど25周年となりました。 世界中のお客様のご支持のおかげで、 最初のスーパーマリオ発売から25年が経過した今も、 マリオは今日もたくさんのゲーム画面の中で、 元気いっぱいジャンプを続けています。 四半世紀に渡り、世界中のお客様にご愛顧いただき、 当にありがとうございます。 任天堂では、「スーパーマリオ25周年」を記念して キャンペーンをさせていただくことにしましたが、 これと並行して、 スーパーマリオの歴史にちなんだ「社長が訊く」を 数回に分けて順次公開させていただく予定です。 当然のことながら、最初に、 スーパーマリオの生みの親である宮との話を みなさんにお届けしようと考えましたが、 これまでの「社長が訊く」において、 宮

  • 社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 ファミコンとマリオ篇

    今日は2人の大先輩からお話を訊かせていただきます。 今年の9月13日で『スーパーマリオブラザーズ』の発売から ちょうど25年になりますが、 多くのみなさんにご愛顧いただきつづけることができたおかげで、 登場から四半世紀が経ったいまも、『スーパーマリオ』は元気です。 今回、ご支持いただいたみなさんへの感謝を込めて 25周年を記念したキャンペーンを展開させていただくことになりました。 それと同時に、 任天堂がトランプ・花札の会社から、 ふとしたきっかけでおもちゃをつくるようになり、 電子機器技術に出会い、 そしてビデオゲームの会社として変貌していくときに、 会社の中心におられたお2人にとって、 『スーパーマリオ』が生まれていく過程がどう見えていたのか、 そういったお話をいまお訊きして 何らかのかたちで残しておくことは、 歴史上、とても意義があるのではないかと思いまして、 今回、「社長が訊く」へ

  • The Uniscala Project

    Granite is becoming quite stable and a beta will be released soon. Curious developers can check it out with SVN from the SourceForge project. To get started, see the brief Getting Started guide. Please contact us if you have any questions or problems. Uniscala Granite is a lightweight framework for the rapid development of web applications. It includes everything you need to get your solution up a

  • TGSで出会った3つの「間」・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第2回 / GameBusiness.jp

    ヒットするゲームコンテンツには共通項があります。それを私は「3つの『間』」と呼んでいます。語呂合わせをすれば、3間=サンマです。 「3つの『間』」は、現在のヒット作のトレンドであるばかりではなく、ゲームの未来の主要な構成要素となるでしょう。 第一の「間」は、「人間」の「間」です。 1983年に発売されたファミリーコンピュータにコントローラが2個接続されていたことが示すように、対戦する、協力プレイをするゲームは昔からありました。 ところが、インターネット、携帯電話の普及と技術的な進化によって、「人間の遊び」のバリエーションは一気に広がることになります。多人数が同時参加する。自分のゲームの成果を日記に書きとめ、参加者たちに読んでもらう。グループを募って、見知らぬ人と出会う。集団対集団で戦ううちに、連帯感が高まっていく。人間と人間がつながると、ゲームおもしろさは増幅されます。 そうで