知人に言われて以下のブログ記事を読んだんですが、 http://d.hatena.ne.jp/trailblazing/20091223/1261525991 私は過去「ナショナリズム」について発言した時、我ながらワンパターンで申し訳ないと思うくらい、以下のことしか言っていないです。日本語圏の「ナショナリズム」をめぐる議論においては、多くの場合その概念定義が間違っている。その間違った概念定義の上でたとえば「若者の右傾化」という問題設定がなされるならば、それが真か否かを問うこと自体に意味がない。 また、学者の世界と、それ以外の出版界隈との間には、ものすごい認識ギャップがあるようでですね……。 社会意識を世論調査の、政党政治の動向を投票行動の、統計的実証分析で説明するというのは、どこの国でもとうに主流の研究手法であって、英語圏に追随してアカデミックな社会学や政治学でそういう手法ばかりが世界的に
韓国に来てから少々だらけムードだったが、たまに日本に帰って知人たちの活躍を見ると、「いかんな」という焦りがつのる。反省して頑張ります。 そんな中、往来時のデータ持ち運びに使っていた外付けHDDがぶっ壊れ……突然電源が入らなくなったので、HDD自体じゃなくてケース周りの故障かと思ったのだが、修理に持って行ったら「ケースを換えてもHDD自体に電源が入らない」そうで。基盤損傷ってやつですか。わあ勉強になるなー(棒読み) そんなのは序の口で、おおっぴらに書けないようなこともものすごくいろいろ発生し……友人たちから「お前はいろいろ経験できて良いなあ」(笑)とか皮肉られる日々です。 それはともかく、この本。慰安婦・竹島(独島)・靖国その他、こちらでは絶対的なタブーというか、ある決まった回答以外を考える人がいないし、いたとしてもそういうことを公に発言すると学者生命・政治家生命・ジャーナリスト生命その他
先日来韓されたcharlie氏に、いろいろマジ説教されて、いまだ立ち直れない気分の高原基彰です(うそ)。それはともかく、お疲れ様です。大変だったけど、有意義でしたね。やっぱ普段から、調査とかどんどん出向かないといかんな。それも含めて、熱い刺激をもらいました。 ……前々回のLife、本田由紀さんすごい。 さてまた間が空いてしまいましたが…… 最近、韓国の人文系の話題の一つといえば「ニューライト」。かなり日本の「新しい教科書を作る会」と似ている。これまで主流だった「左派的歴史観」へ再検討を迫ろう、という主旨で。 しかしこちらのニューライトは「反民族主義」であり、取りようによっては「反ナショナリズム」的な側面も含んでいる。実際、「本質主義批判」みたいなポストモダン的思考を、日帝植民統治期解釈にも取り入れよう、とか言ってるのはこちらの陣営で。同じ「保守化」と言ってもベクトルというか文脈が全然違う。
前回のエントリは、他者攻撃をし過ぎた感じがある。かっとなってやった。今は反省している。 さて更新をさぼってたので、その間に読んだものとかいろいろ書いていこうと思っていてですね。その1。 韓国は不景気の真っ最中なので、特に経済系では暗いニュースが多いです。しかしこういうニュースも、客観性のあんまないものが多く、きれいに政治的色分けに沿って報道される。保守系メディアは(この週刊誌もそう)、結局の所「盧武鉉がダメだ」と言いたいだけで、文句のネタに経済問題を使っているだけの場合が多い。 そういうのは割とどうでもいいんですが……なんか普通に人と話してても、「先進国にならないといけない」みたいな話がすごく多いんですね。まだ韓国は先進国じゃないという。 この記事は韓国の構造的不況が長期化していて云々というものなのですが、「専門家たちは、韓国が『中進国病』にかかっているのが根本原因と見ている」と。 -ソ・
風邪が治らなくて、延々ずっと体が本調子でない。そろそろ病院行かなきゃダメかも。 私はソウル大学院の言論情報学科という所の交換留学生ということになっている。 しかし……ここには本当に失望した。基本的に英語の古典理論を読むというのが重視されていて、韓国の近代史を教えたりしてる人はすごくマイノリティ(その韓国の近代史も大体英語の資料なんだけど)、という話は前にしましたが……。 こっちでは社会学のヴァリエーションが少なくて、要するに官僚と一緒になって政策立案する人――大体統計を使う「実証派」――と、「それ以外」という感じ。 政治学だったら、東大社会科学研究所みたいなことやってる人も、いるにはいるんだが。 そんで「それ以外」は、まとめて「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれている。日本で言う、ポストモダンも、記号論も、消費社会論も、何もかも「カルチュラル・スタディーズ」として90年代初頭くらいに流入
一度統計でちゃんと調べたら面白いと思うのだが、どう見ても韓国には空恐ろしいほどの数の若年失業者がいる。親元に住んで何もしていない人、つまりは日本風に言う「ニート」で「パラサイト」。 大学院なんて、彼らの代理収容所みたいなものになりつつある。学部卒後に即就職する人は本当に少ないので、大学院進学が増えて、文系でも修士卒はごく普通。 それ以外に、ホンデみたいな街に出てみても、何をしているのか分からない子たちが本当に多い。 ところが、それを「問題」とする発想が、そもそもこちらでは希薄である。30代初めくらいまで、親元に住むどころか、親が生活費を全負担するのは、ごくごく普通のこと。むしろそうしたがる親が多いように見える。 「日本では『ニート』というのが話題になってる」とか言っても、たいてい「働かないで実家にいて何が悪いの?そんな人、山ほどいるけど。 ポカン」みたいな反応です。 もちろん、「就職が大
ありがたいことに、また新しいお仕事がいくつか来た。かなり心配ですが、頑張ります。はい。 ところで、先ごろ出たこの本。著者の韓東賢(ハン・トンヒョン)は、私の姉貴分です。拙著『不安型ナショナリズムの時代』にも、いろいろコメントしてもらいました。なんだかんだ言って結構古い付き合いで、この本の元になった修士論文も、提出当時に読みましたね。 本書は4章構成になっていて、第一章が衣服・ジェンダーを軸にした「在日なるもの」の理論的考察、第二章はチマ・チョゴリを起点に見た「在日慨史」、第三章がチマ・チョゴリ制服に関わってきた人々のインタビュー集、第四章がそのインタビューの考察、となっている。 面白いのは、具体的な事例の記述が続く二章と三章。朝鮮学校の制服とか言う前に、在日というものについてどれだけ文脈情報が共有されているかというと、かなり心許ない現状がある訳で……不可避的にそこが厚くなるんだと思うんです
コイル,ダイアン,室田泰弘,矢野裕子,伊藤恵子訳,2001(=1997),『脱物質化社会』東洋経済新報社. 週末だらだらしたら、だいぶ回復した。ふう。 どうでもいい話だが、私は身近に人望がまったくない。たまに用があって出身大学院などに立ち寄っても、ただの一人も話しかけてくれない。ほとんど不審者扱いである(笑)。 最近よく出入りしているのは、出身とは違う研究室。そこに「マサヒロ」という、私を先輩っぽく慕って、いろいろ手伝ったりしてくれる、ほぼ唯一の弟分がいる。 先週はやたらと疲れ気味だったので、彼にものすごい勢いで八つ当たりしていた。すまんマサヒロ。しかし来週以後もなんかいろいろある。また八つ当たりすることもあると思うんだが(笑)、おごるから許せ。 それはさておき、この本。この間書いたような、「流動性の偏り」にまつわる「最近の若者が感じがちな不満」と、かなりシンクロする本だと思う。とい
ものすごい私事で恐縮ですが、最近すごく疲れやすい。いろいろ、やることが溜まってるんだけどな……。 たぶん、肝臓がまずいんじゃないかと思う。大昔に、北東アジアから南アジアにかけて一度だけ大きな旅行をした際、軽度の肝炎にかかった時の感覚に似ている。お酒は控え目に。 ところで、最近漠然と考えていること……近頃、私より年下の世代から「とにかく流動化が(上の世代に)拡大すればそれで良い」という意見を聞く機会が増えている。私もこれまで、そちらに力点を置いて書き物をすることが多かったんだけど……そういう声があまりにも急速に増えているような気がする。 そうなると「そっちはそっちで何かおかしい」と感じざるを得ない。何かの話が、一言でまとめられるスローガンになった時は、大体どこかがおかしくなっているもので……。もうちょっと細かく、いろいろ腑分けしていかないといけないな、という感覚の方が強くなっている。 個別の
研究室の後輩に風邪を移され、咳など出しながら更新している春の夕方。 ところで、姜尚中という人は、大学院における私の指導教授であり、大学の世界では普通に「師匠」という言い方をする。 といっても、何か直接「指導」してもらったことなんてほぼないし(笑)、単著にしろ雑誌にしろ、仕事に口をきいてもらったことも一度もないし……というか、私が彼の「弟子」になってから、早いもので8年近く経ったのだが、その間に二人きりで話したことなんて7-8回しかないし(笑)。ちょっと前までの日本の大学院というのは、大体どこでもそんな雰囲気だったんじゃないでしょうか。良くも悪くも。 なので、そうでなくとも当然のことなんですが、とりあえず私と彼は「別人格」ということでお願いできないかと思っている、今日この頃です。はい。 彼の著作や来歴などについても、私なんかより、コアなファンの方々の方がよっぽど詳しいと思います。 私が知って
金曜日はまたしても「たぶんどこ出しても恥ずかしくない激務」で、帰ったらすぐに寝てそれから10時間ほど起きなかった。まあ後半は、激務とか関係ない「単なる寝坊」。ま、土曜だからいいんじゃね。 ビデオを貸してもらったN先生は、ご多忙らしくお話できなかった。 そして今日は……もちろん家で書き物・調べ物。遊びに行きてえなあ。時間は作ろうと思えばまああるのだが、遊ぶような「友達がいない」から、結局「家で作業すんべ」に落ち着く週末がすっかり定着した最近の私。すいませんどうでもいい話で。 ところで、こないだの内輪の会合でもちらりと出たこの話題。最近の学生さんを見ていると、フリーターに対する妙な「上から目線」を感じる。「あいつらはバカだ」と。そして彼らの発想が向くのは「正社員」である。「おれは正社員になるからあいつらみたいにはならない」と。それがごく普通の若者の心情となりつつあるように思う。 そして「正社員
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