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五一五事件 影響の検索結果1 - 32 件 / 32件

  • 五・一五事件から90年 小山・帝京大教授に聞く 背景に「格差拡大という現代との共通項」 実行犯に甘かった新聞に責任も:東京新聞 TOKYO Web

    1932年5月15日、海軍青年将校らが犬養毅首相を殺害したクーデター未遂事件「五・一五事件」から90年を迎えた。政党政治家へのテロは軍部の台頭と専横を招き、議会制民主主義を崩壊させる重大な端緒となった。事件研究の第一人者の小山俊樹・帝京大教授は、背景を「格差拡大や社会不安の増大という現代との共通項もあった。実行犯に甘かった新聞の影響も小さくない」と語る。(小松田健一) 五・一五事件 海軍青年将校や陸軍士官候補生、政治塾構成員らが首相官邸、警視庁、日本銀行などを襲撃し、犬養毅首相と首相官邸を警備する警察官1人が殺害された。後継首相に海軍出身の斎藤実(まこと)が就任し、当時の2大政党が首相を出す「憲政の常道」が終わる。軍人の実行犯は軍刑法の反乱罪で起訴されたが、首謀者は法定刑が死刑しかないにもかかわらず禁錮15年など、判決は各被告とも求刑より大幅に軽かった。

      五・一五事件から90年 小山・帝京大教授に聞く 背景に「格差拡大という現代との共通項」 実行犯に甘かった新聞に責任も:東京新聞 TOKYO Web
    • 農業を守ろうとした農学が、満蒙開拓へと日本を突き動かした 藤原辰史さんが歴史を検証|じんぶん堂

      記事:じんぶん堂企画室 藤原辰史さん。京都大学の研究室で 書籍情報はこちら 農本主義が日本の近代化を性格付けた ――『農の原理の史的研究』を1月末に出版されました。明治から昭和にかけて農学者たちを論じた内容ですが、キーワードである「農本主義」とはどんな考え方なのでしょうか? 農本主義という言葉をつくった日本の農学者、横井時敬(ときよし)には、資本主義化で工業が産業の中心になりつつある中で、日本の農業を守っていこうという意識は強くあった。けれど、単に農業を守れといったのではなく、農の原理を抽出した上で、その原理のもとに農業の利益を守っていく。農業が国の中心にあり、それが潰れれば国が潰れるという切迫感が農本主義の背景にありました。 戦争直後に農本主義という言葉が有名になったのは、日本の戦争を招いた、日本を軍国主義に走らせた大きな原因が農本主義だったと指摘した丸山眞男の研究のおかげです。日本の近

        農業を守ろうとした農学が、満蒙開拓へと日本を突き動かした 藤原辰史さんが歴史を検証|じんぶん堂
      • テロってなんだっけ。磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ。

        磯部涼『令和元年のテロリズム』という本を読んだ。 はて、「令和元年のテロリズム」はなんだろうか? あるいは、どれだったろうか? 川崎殺傷事件 取り上げられているのは、まず「川崎殺傷事件」。これについては、あまり記憶になかった。 朝、私立小学校のバス待ちの列に包丁を持った男が襲いかかり、児童一名、その児童とは別の児童の保護者一名の生命を奪った。 ひょっとすると、覚えている人はあまり多くないかもしれない。 なぜならば、犯人が事件直後に自殺しており、なおかつその犯人は実社会にもネットにもなんのつながりもなく長年引きこもっていたからだ。 捜査関係者が「本当に実在したのか」と言うくらい、なんの人生の痕跡も、犯行への意思も残されていなかった。 生まれ育ちからある程度はストーリーが構築できないではないが、直接的な動機については謎である。 元農林水産省事務次官長男殺害事件 とはいえ、この事件の影響があった

          テロってなんだっけ。磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ。
        • 過去には現役首相暗殺も 国内の主な政治家襲撃事件

          自民党の安倍晋三元首相が街頭演説中に銃で襲われた。国内では過去にも、首相経験者ら大物政治家が襲われる事件が複数発生しており、現役の首相が暗殺されたケースもある。 戦前では、わが国で初めて本格的な政党内閣を誕生させた原敬首相が大正10年11月、東京駅で男に刺殺されたほか、浜口雄幸首相が昭和5年、東京駅で右翼活動家の凶弾を受け重傷を負い、翌年に死亡している。 7年2月には右翼結社の血盟団の団員が井上準之助前蔵相、三井財閥の総帥だった団琢磨氏を相次いで射殺した。また同年5月には青年将校が犬養毅首相を暗殺した「五・一五」事件が発生した。11年2月26日にも、陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った「二・二六事件」が発生。天皇親政を唱えて首相経験者の高橋是清蔵相や斎藤実内大臣ら政府要人を殺害し、永田町一帯を占拠した。これらの事件は後に軍部が影響力を増す契機となった。 戦後も政治家襲撃が相次いだ。昭和

            過去には現役首相暗殺も 国内の主な政治家襲撃事件
          • 【我流~社会部発】「歴史」にふたをするのか 安倍氏銃撃現場に銘板すら残さず

            車道や歩道に整備され、慰霊碑なども一切置かないことが決まった銃撃現場=7月、奈良市毎日多くの人が行きかうJR東京駅には、床に「マーク」をした場所が2つある。1つは丸の内南口改札近くで、首相の原敬(たかし)が青年に短刀で襲われた現場に小さな丸い印がある。大正10年11月4日、原は右胸を刺され、ほぼ即死だった。「平民宰相」と呼ばれた原の暗殺後、軌を一にするように日本の政治はきな臭くなっていった。 もう1つは東北・上越・北陸新幹線の改札近くで、昭和5年11月14日、風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた首相の浜口雄幸(おさち)が右翼の青年から腹部に銃撃を受けた。この傷がもとで首相を退任し、翌6年8月に死去した。その後、犬養(いぬかい)毅首相らが暗殺された五・一五事件(昭和7年)といったテロの時代に突入した。 いずれも普通に歩いているとなかなか気づかないが、近くには事件を伝える銘板がある。この目印や銘

              【我流~社会部発】「歴史」にふたをするのか 安倍氏銃撃現場に銘板すら残さず
            • テロに「意味」を与えるマスコミはテロリストの共犯者

              安倍元首相の殺害事件は、本筋と無関係な統一教会(世界平和統一家庭連合)の霊感商法の話になり、自民党の政治家が統一教会に支援されていることが問題になっている。ここでは次の三つの問題が混同されている。 安倍元首相の暗殺 統一教会の違法行為 政治家と宗教の関係 今回の問題は1であり、2は無関係である。安倍氏を殺害した山上徹也が「統一教会が母親に多額の献金をさせて家庭が崩壊した」と供述したことは事実らしいが、それは彼の家庭の私的な問題であり、殺人の理由にはならない。安倍氏と統一教会を関連づけること自体が、犯人の思う壺なのだ。 統一教会たたきは犯人の「思う壺」 山上は安倍氏を殺せば、教会に注目が集まってマスコミの攻撃が始まると思ったようだが、マスコミはそのねらい通り統一教会たたきを始め、内閣改造にまで影響を与えている。 これが犯人の思う壺だという批判には、郷原信郎氏も「犯人の意図するとおりの結果にな

                テロに「意味」を与えるマスコミはテロリストの共犯者
              • GHQ焚書点数第1位の野依秀市が著した軍部批判の書

                野依の本は復刊もされておらず、Amazonではなぜか一冊も販売されていないのだが、日本の古本屋というサイトで二百冊近い彼の著作が販売されている。GHQ焚書は割高な本が多いのだが、野依の著作に関してはたまに手ごろな価格で買えることがある。 今回は最近入手した『軍部を衝く』という本から「五・一五事件の断罪に就いて」という標題の論文の一節を紹介したい。ちなみに、五・一五事件は昭和七年(1932年)に海軍の青年将校が『昭和維新』と称して、犬養首相らを襲撃した事件である。犬養の後任首相は鈴木喜三郎となる予定であったが、陸軍の少壮将校が反発して不穏な情勢となり、海軍穏健派の斎藤実が後継の首相に就任した。また、事件を起こした青年将校に対しては助命嘆願運動が巻き起こり、軽い判決で終わったのだが、野依はそうならないように結審の前にこう述べていた。(論文日付 昭和八年五月十日) ◇国法の尊厳のために憂う 五・

                  GHQ焚書点数第1位の野依秀市が著した軍部批判の書
                • 第34回「いだてん」より二・二六事件 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

                  「いだてん」を今日の再放送で観ました。 第34回の「いだてん~東京オリムピック噺~」は「226」 そう。昭和11年の二・二六事件です。 www.betty0918.biz 今日は二・ニ六事件について少し述べさせてください。 目次 「いだてん」の中の二・二六事件 二・二六事件の概要 昭和天皇の気持ち 二・二六事件がもたらした国家への影響 「いだてん」の中の二・二六事件 第34回「いだてん」では前半に二・二六事件についてパニックになる新聞社などの様子が描かれていたものの、事件そのものについては、サラリと流す程度でした。 後半はオリンピック招致に向けての物語ですね。 「いだてん」はオリンピックの物語ですし、それは当然なのですが、私は大河ドラマでもっと二・二六事件について触れてほしかった。 関東大震災から太平洋戦争集結までの暗い時代を大河ドラマで扱うことは決して多くありません。視聴率とれそうにない

                    第34回「いだてん」より二・二六事件 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ
                  • 「いだてん」から学ぶ五・一五事件と二・二六事件 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

                    大河ドラマ「いだてん」視聴率低迷しているようですが、私はなんとなく観続けています。 第28話のなかで五・一五事件が扱われていました。 明治がいつの間にか終わり、関東大震災の描写はあったものの、あっという間に昭和になり、政治的な物語はほとんどなかった「いだてん」ですが、ここで五・一五事件を観ることになるとは。 なんとなく観ている「いだてん」ですが、私はこの五・一五事件を描かれた第28話、BSと地上波と、そして先ほどの再放送と3回も観てしまいました。 目次 五・一五事件 二・二六事件 おまけ~母とサツマイモ おまけ~わたしのイチ押しアイス 五・一五事件 ■五・一五事件■ 1931年暮れに犬養毅内閣登場。1932年に「血盟団事件」、そして「五・一五事件」が起きる。これによって犬養毅が暗殺され、政党内閣も断絶。 五・一五事件では、海軍士官と陸軍士官候補生、農民有志らにより首相の犬養毅が惨殺されまし

                    • 【テレビアニメシリーズ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』】本作で描かれた核抑止兵器「日本の奇跡」こそ、被爆国・日本が進むべき唯一の道。 - ioritorei’s blog

                      テレビアニメシリーズ 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』とは あらすじ(「個別の11人事件」) 登場人物 公安9課主要メンバー プロト アズマ 矢野 クゼ・ヒデオ パトリック・シルベストル 茅葺よう子 高倉 内務大臣 合田一人(ごうだかずんど) 本作に登場する用語 内閣情報庁 日本の奇跡 招慰難民※ 出島 初期革命評論集 個別の11人※ 難民問題 主題歌 オープニングテーマ 前作と比べシナリオはより高度により現実的に より現実的になったシナリオと設定 極めて高度な政治的駆け引き 核抑止兵器「日本の奇跡」 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』とは 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』(こうかくきどうたい スタンドアローンコンプレックス セカンドギグ)は、『攻殻機動隊 STAND AL

                        【テレビアニメシリーズ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』】本作で描かれた核抑止兵器「日本の奇跡」こそ、被爆国・日本が進むべき唯一の道。 - ioritorei’s blog
                      • 《血盟団、五・一五、二・二六…》日本社会の底流にある「政治テロに影響されやすい思想的傾向」 | 文春オンライン

                        私は今回の事件を知った時、瞬間的に2つの犯人像を考えた。一つは安倍元首相の憲法改正への執心や安全保障政策などを全否定する極左勢力。もう一つは、そうした安倍元首相の政策と政治手法をむしろ「手ぬるい」とみる極右勢力である。 安倍元首相 だが、現時点で報道を見る限り、容疑者の動機はどちらでもない。容疑者の母親が統一教会にのめり込んで莫大な財産を献金し、家庭が崩壊したことで、統一教会と関係のあった安倍元首相への恨みを募らせたという。つまり「私怨」が動機で、政治的な意図はなかったという分析がメディアでなされている。 しかし、政治指導者に対するテロには、それがどのような理由であるにせよ、政治的な意味が内在する。今回も、統一教会(勝共連合)という極めて政治色の強い宗教団体への安倍元首相の関与が引き金になっており、今回の事件に政治的意味はないという指摘は当たらない。その点をまずは押さえておくべきである。

                          《血盟団、五・一五、二・二六…》日本社会の底流にある「政治テロに影響されやすい思想的傾向」 | 文春オンライン
                        • 戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1

                          戦後の歴史叙述では「ファシズム」について、共産主義や社会主義への台頭への反動といういうニュアンスで解説されていることが大半だが、わが国における「ファシズムの台頭」の経緯について、当時の新聞記事で確認してみたい。 「神戸大学新聞記事文庫」における新聞の見出しで、わが国のファッショ運動が新聞の見出しに出たのは昭和六年十二月二十八日の「神戸新聞」である。日本より先に全世界でファシズムの嵐が吹き荒れていたという。 昭和6年12月28日 神戸新聞 神戸大学経済経営研究所所蔵 新聞記事文庫 昭和六年(1931年)十二月に第二次若槻民政党内閣が崩壊し犬養政友会内閣が出現したが、この時に民政党は二百七十名の絶対多数に基礎を置きながら、少数党である政友会と挙国一致の連立内閣を作った経緯について、こう解説されている。文中の「安達氏」は第二次若槻内閣時の内務大臣・安達謙蔵で、民政党の内部から政友会との協力内閣を

                            戦前期にファシズムが台頭していった頃の新聞記事を読む~~その1
                          • 「話せばわかる」の犬養毅が山荘に残したもの 五・一五事件90年:朝日新聞デジタル

                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                              「話せばわかる」の犬養毅が山荘に残したもの 五・一五事件90年:朝日新聞デジタル
                            • 共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む

                              前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。 大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 日本共産党」となったが、コミンテルンから天皇制の廃止や、土地の農民への引き渡しなどを指示されて、創立当初から非合法活動とならざるをえなかった。堺利彦らは解党を唱え、大正十三年(1924年)にいったん共産党は解散した。堺や山川らは労農派政党の結成を目指したが、解党を認めなかったコミンテルンの意向を受け、佐野学らが大正十五年(1926年)十二月に日本共産党を再結党(第二次日本共産党)した。 *コミンテルン(第三インターナショナルともいう):1919年,レーニンの指導のもとに創立された共産党の国際組織。30カ国の共産党および左翼社会主義者グループの代表が参加。

                                共産主義に関する昭和初期の新聞記事を読む
                              • GHQに焚書処分された旧ソ連関係書籍~~『ソ聯は今何を劃策してゐるか』、『急迫せる日露の危機』

                                戦後GHQが没収し処分して戦後の日本人に読めなくさせた本の中で、旧ソ連に関する本は結構多い。例えば昭和十二年に発刊された三島康夫 著『ソ聯は今何を劃策してゐるか : 日ソ果して戦ふか』という本は、支那事変にソ連がどうかかわっていたかが詳しく書かれている。本の書き出しの部分を紹介しよう。 にくらしい奴が、つまづくのは一寸いい気持ちだが、そいつが威勢隆隆、仲良しを取って押さえているのを見るのは辛いだろう。いわんや、自分を唆(そそのか)した覚えがあって見れば、実は安閑とはしておれぬ、ソ連だ。 盟邦(?)支那が、北支でまんまと事を起こしてくれたまでは上出来であったが、幾倍かの大兵力を擁しながら敗退また敗退、一週間で平津間を平定され、八万の二十九軍は約三万に激減してしまった。上海でも陸戦隊の寡兵をよい事に、一挙に上海を奪取する計画を立ててよもや飛ぶまいと思われた空軍を動かしたところが、ここも大体一週

                                • 戦争をひきおこした原因には、戦前の格差社会があった - そういち総研

                                  昭和の戦争について考えるとき、戦前の社会についてのイメージや知識が、私たちには不足していることが多い。戦前の格差社会や貧困は、戦争をひきおこしたさまざまな要因のうち、とくに根本的なものだ。 目 次 格差の是正という正義 基礎知識①:日中戦争の開始 基礎知識②:太平洋戦争の開始 戦前の格差社会 人口過剰(格差問題)の解決策 農民に訴える、陸軍のビジョン 陸軍パンフレット 貧乏サラリーマンとしてのエリート軍人 軍人不遇の時代もあった 二・二六事件と五・一五事件 テロの正当化 戦後、格差はどうなったか 参考文献 トップページ・このブログについて 格差の是正という正義 誰もが「平和は大切」というけど、戦争はなかなかなくならない。それは、平和を求めるのと同じくらい強力な正義が、しばしば戦争と結びついているからだ。 何かというと、「世の中の不平等・格差を是正したい」という思いである。それですべてが説明

                                  • 共産主義に関する戦前期の記事を読む~~「転向」を考える

                                    前回記事で、コミンテルン(1919年にレーニンの指導のもとに創立された共産党の国際組織)による日本赤化(共産主義化)工作が進み、昭和七年に五・一五事件が起きた記事までを紹介した。赤化工作は軍部と青年に向けて重点的に行われていたのだが、対策を講じても青年の赤化は進んでいった。 昭和7年12月15日 報知新聞 所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 「師範学校」というのは戦前のわが国の初等・中等学校教員の養成学校であったが、都下小学教員の間に強力な極左組織網が存在していることが明るみに出て四十名が検挙されたことが報じられている。赤化工作を仕掛ける側からすれば、青年に対する工作は師範学校が重要なターゲットにされたことは、当然のことだと思う。 その過半数を出している豊島師範学校では現在の師範教育制度を再吟味した結果、赤化教員の多くは若年者で在学中は大多数自宅その他から通学していた生徒なることが

                                      共産主義に関する戦前期の記事を読む~~「転向」を考える
                                    • 朝ドラで父親が逮捕された収賄騒動は「帝人事件」がモデルか…時の首相をも失墜させた昭和史の大いなる謎 「虎に翼」でヒロインが裁判官を目指すきっかけにもなる

                                      戦前の1934年、斎藤内閣が総辞職する大事件に発展 帝人事件は1934(昭和9)年、当時の斎藤実まこと内閣が総辞職する要因となった戦前最大の疑獄事件である。大蔵省幹部や閣僚経験者など、政財官界要人が株取引にまつわる不正を問われて起訴されるが、公判の過程では検察による自白の強要、自殺防止を名目とした革手錠の使用、劣悪な収容環境が明らかとなり、「検察ファッショ」「司法ファッショ」の言葉を生む。 のちに被告人全員の無罪で結審するが、判決文は検察側の主張を「空中楼閣」「あたかも水中に月影を掬きくせんとするの類」とまで評した謎多き事件である。当時、日本は1932(昭和7)年の五・一五事件によって政党内閣時代が終わり、非政党代表者を首班とする挙国一致内閣時代に入っていた。 このうち、1936(昭和11)年の二・二六事件以前に政権を担った斎藤内閣と岡田啓介けいすけ内閣はいずれも海軍出身の穏健派を首班とし

                                        朝ドラで父親が逮捕された収賄騒動は「帝人事件」がモデルか…時の首相をも失墜させた昭和史の大いなる謎 「虎に翼」でヒロインが裁判官を目指すきっかけにもなる
                                      • 土の思想をめぐる考察──脱農本主義的なエコロジーのために | 生環境構築史

                                        第2号 特集:土政治──10年後の福島から Soil Politics: From Fukushima 10 Years After 土政治──從十年後的福島說起 土の思想をめぐる考察──脱農本主義的なエコロジーのために 藤原辰史【編集同人】 On the Idea of Soil: Towards a De-Agrarian EcologyTatsushi Fujihara【HBH editor】土壤思想的論考──去農本主義的生態論 As soil erosion becomes a problem in many parts of the world, it is a urgent task for us to weave a soil-based philosophy. However, what we must not forget is that such attempts ha

                                          土の思想をめぐる考察──脱農本主義的なエコロジーのために | 生環境構築史
                                        • (2ページ目)「奴らが戦いを仕掛けてきたら…」自衛隊・元特殊作戦群長の終末思想をひもとく | 文春オンライン

                                          日本軍人がハマってきた農本主義 筆者は荒谷氏が代表を務める団体の趣旨を読んで、戦前の農本主義を想起した。日本の軍人がハマる思想として、ある意味で伝統的なものだ。 農本主義は農業を国家の根幹に据える思想であり、その思想自体はずっと昔から存在する。しかし、井上寿一学習院大学教授によれば、大正から昭和にかけて、農村の窮乏を救おうとした農業改良家らは、農村内部ではなく、外部要因(都会中心の資本主義)に問題があると考えるようになり、「彼らは農本主義に基づく社稷国家(土地の神と五穀の神の国)として日本の再生をめざす」(『戦前昭和の国家構想』講談社選書メチエ)ようになったという。 ©iStock.com 農本主義者の権藤成卿、橘孝三郎の思想は青年将校に大きな影響を与え、血盟団事件、五・一五事件に繋がっていく。現代史家の秦郁彦氏は、戦前日本型ファシズムにおいて、農本主義は「一種の思想的故郷ともいうべき地位

                                            (2ページ目)「奴らが戦いを仕掛けてきたら…」自衛隊・元特殊作戦群長の終末思想をひもとく | 文春オンライン
                                          • 『攻殻機動隊SAC 2nd GIG』:壮大なスケールで描かれる国家規模のテロ事件 - Hush-Hush: Magazine

                                            私のペンネームであるPatrick Silvestre(パトリック・シルベストル)。その元ネタとなっているのが『攻殻機動隊2nd GIG』だ。べつに商業化しているわけでもなし、まぁいいだろうという安直な考えから勝手に借用し始めてかれこれ6年ばかりが経った。 それほどまでに慣れ親しんだ名前だからこそ、Hush-Hush: Magazineでも幾度となく取り上げようと思った。いや、取り上げるべきだと思った。 だが、その度に万感胸に迫って筆を置いた。というのも、『攻殻機動隊』は現在の私の基盤を築いた、ひときわ思い入れのある作品だからである。 初めて『攻殻機動隊』シリーズに触れたのは、中学生の頃。神山健治監督のテレビシリーズに始まり、95年公開の劇場版を観て押井守監督という稀代のクリエイターを知った。 当時萌えアニメしか観ていなかった中坊の頭に、迫撃砲がぶち込まれた。そう、言うなれば旧世代型のOS

                                              『攻殻機動隊SAC 2nd GIG』:壮大なスケールで描かれる国家規模のテロ事件 - Hush-Hush: Magazine
                                            • (インタビュー)五・一五事件の教訓 帝京大学教授・小山俊樹さん:朝日新聞デジタル

                                              ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                (インタビュー)五・一五事件の教訓 帝京大学教授・小山俊樹さん:朝日新聞デジタル
                                              • 経済界が歪めた戦前の対米外交 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む3

                                                前回記事で大正十年(1921年)のワシントン軍縮条約や昭和三年(1928年)のパリ不戦条約が締結されて以降、わが国の外交当局や新聞記者、思想界が、経済界の意向を受けて軍部を悪しざまに罵るようになり、五・一五事件で軍部の不満が爆発したという内容の短い白柳の文章を紹介させていただいた。では具体的に、当時軍部についてどのように議論されていたのであろうか。 国民に強い覚悟がなければ、強い外交交渉は出来ない 『日本外交の血路』(GHQ焚書)に、大正十一年十月にカナダ首都であるオタワ総領事であった太田為吉に会った時の記録が残されている。太田総領事の前職は米国サンフランシスコの総領事で、その時にアメリカの排日運動を経験し、またワシントン会議では日本全権の一随員となり、日本外交の難局に立ち向かって来た人物である。彼が白柳に以下のようなことを語ったという。 私どものような立場にある者が…たまたま帰朝を命じら

                                                  経済界が歪めた戦前の対米外交 白柳秀湖『日本外交の血路』を読む3
                                                • ファシズムと結びつき軍部が政治力を強めていく頃の新聞記事を読む~~ファシズム2

                                                  昭和七年には物騒な記事が多いのだが、この年の二月に井上準之助、三月に団琢磨が暗殺され、五月に五・一五事件が起きている。以前このブログで五・一五事件を起こした海軍の青年将校が記した檄文を紹介させて頂いたが、この檄文を読めば彼らが共産主義思想の影響を受けていたことは明らかであった。 前回は大正時代の記事を紹介したが、昭和に入り急速にわが国で共産主義思想が広まっていった。 大正十一年(1922年)に堺利彦、山川均、近藤栄蔵らが日本共産党(第一次日本共産党)を設立し、十一月にコミンテルン*に加盟し、「コミンテルン日本支部 ... ところがその年の十一月には、右翼団体がテロを企てたとして検挙されている。面白いことに、彼らは五・一五事件のメンバーと繋がっていたことが報じられている。 昭和7年11月6日 神戸新聞 神戸大学経済経営研究所所蔵 新聞記事文庫 十一月五日に検挙された人物の検挙理由の一つに「五

                                                    ファシズムと結びつき軍部が政治力を強めていく頃の新聞記事を読む~~ファシズム2
                                                  • 小林道彦『近代日本と軍部 1868-1945』(講談社現代新書) 9点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                                                    3月17 小林道彦『近代日本と軍部 1868-1945』(講談社現代新書) 9点 カテゴリ:歴史・宗教9点 『日本の大陸政策 1895‐1914』(『大正政変』と改題されて復刊されている)、『政党内閣の崩壊と満州事変―1918~1932』、『児玉源太郎』など、地味ながらも日本の政治と軍を考える上で非常に刺激的な本を出していた著者による初めての新書。しかも内容は、明治維新から太平洋戦争終結までの「軍部」の通史であり、8章仕立て550ページを超えるボリュームとなっています。 今までの見方とは違った視点から歴史が再構成されるさまを見ることは、歴史学の本を読むときの醍醐味の1つですが、本書はまさにそれを味わえる本です。山県有朋が政党の影響力を排除するためにつくった参謀本部や軍部大臣現役武官制、これらが「軍部」というアンタッチャブルな領域をつくり出し、それが昭和に政党政治を飲み込んでいった、というよ

                                                    • 【サントリー学芸賞受賞記念】『五・一五事件』/小山俊樹インタビュー

                                                      神奈川県愛甲郡愛川町の古民家「山十邸」にて。 五・一五事件の被告の一人・大川周明は、1944年に「山十邸」を入手し、1957年に没 するまでの晩年を、この邸宅で過ごした。 Covid-19による緊急事態宣言下、2020年4月に発売された『五・一五事件』。1932年5月15日に起こった首相暗殺事件について、その起点から実行犯たちのその後までを追った作品である。「昭和戦前の分岐点」とも言える五・一五事件だが、今まで精緻に全貌を追った作品はなかった。 刊行後、朝日(保阪正康)、毎日(加藤陽子)、読売(加藤聖文)などの各紙で書評が掲載された。そこでは当時の政局・世論とのかかわりが、現代の政党・政治不信への警鐘とも理解され、高く評価されている。ドキュメンタリータッチの読みやすさも評価され、版も重ね、今秋、サントリー学芸賞(歴史・思想部門)を受賞した。 著者・小山俊樹さんに、ご本について、またこれまで

                                                        【サントリー学芸賞受賞記念】『五・一五事件』/小山俊樹インタビュー
                                                      • 文芸批評の神様「小林秀雄」が残した政治・戦争への深い考察 『小林秀雄の政治学』(中野 剛志) | 中野 剛志 | ためし読み

                                                        2021.03.22ためし読み 文芸批評の神様「小林秀雄」が残した政治・戦争への深い考察 中野 剛志 『小林秀雄の政治学』(中野 剛志) 出典 : #文春新書 ジャンル : #政治・経済・ビジネス 『小林秀雄の政治学』(中野 剛志) 序(※1) ※1 本書において、小林秀雄の著作や対談を引用する「全集」は、『小林秀雄全集』(新潮社、1967~68年。第十三巻と別巻は1979年のもの)、である。なお、旧かなはそのままとし、旧字は新字に改めた。 小林秀雄の政治学。 このタイトルを見て、訝しく思った人は多いだろう。小林秀雄と言えば、政治嫌いの文学者として知られているからだ。 確かに小林は、「政治と文学」において、「政治といふものは虫が好かない」(「政治と文学」〔昭和二十六年〕、第九巻P60)と吐露していた。それどころか、「私は長い事かゝつて政治への不信を育てて来た。格別な事を企図した訳ではない」

                                                          文芸批評の神様「小林秀雄」が残した政治・戦争への深い考察 『小林秀雄の政治学』(中野 剛志) | 中野 剛志 | ためし読み
                                                        • 歴史まとめ.net

                                                          紫式部日記を追加。 紫式部を追加。 高市皇子を追加。 ヤマトタケルのモデルは天武天皇だった説を追加。 有間皇子を追加。 蘇我倉山田石川麻呂を追加。 大友皇子/弘文天皇を追加。 木梨軽皇子を追加。 ヤマトタケルの祟りを追加。 大御葬歌とヤマトタケルの実在性を追加。 スサノオの功績と蘇我氏との類似性を追加。 スサノオ神話とヤマト建国を追加。 公暁を追加。 平家滅亡後も生きながらえた人達を追加。 平正盛を追加。 源頼政を追加。 北条時行を追加。 小店(こだな)を追加。 大店(おおだな)を追加。 江戸のリサイクル商売を追加。 御家門を追加。 御三卿を追加。 4代・徳川家綱を追加。 2代・徳川秀忠を追加。 6代・徳川家宣を追加。 7代・徳川家継を追加。 10代・徳川家治を追加。 11代・徳川家斉を追加。 12代・徳川家慶を追加。 9代・徳川家重を追加。 14代・徳川家茂を追加。 13代・徳川家定を追

                                                          • 時局匡救事業 - Wikipedia

                                                            1933年(昭和8年)度時局匡救事業として建設された山口川洪水調節池(愛知県瀬戸市)[1] 時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)は、1932年(昭和7年)から1934年(昭和9年)にかけて、日本で実施された景気対策を目的とする公共事業である。国家財政から総額5億5,629万円、地方財政から総額3億858万円、合計8億6,487万円が投入され、各地で土木工事などが行われた。 経緯[編集] 1929年(昭和4年)10月にアメリカ合衆国で株価大暴落が発生し、当時の濱口内閣は古典派経済学の考え方に基づき1930年(昭和5年)1月11日に金の輸出解禁を実施するとともに緊縮財政政策をとった。しかしながら結果的に日本の昭和恐慌につながり、工業生産額の低下、製品価格や農産物価格の大幅下落を招いた。一方で1931年(昭和6年)9月に満州事変が起こり軍事費を増やすべきとする意見が強くなっていた[2]。

                                                              時局匡救事業 - Wikipedia
                                                            • 農村から近代に至る道──バリントン・ムーア著 『独裁と民主政治の社会的起源』

                                                              【連載】前田健太郎「政治学を読み、日本を知る」(3) 政治体制の比較歴史分析 今回は、リプセットの近代化論に対する最大の挑戦を取り上げよう。それが、バリントン・ムーアの一九六六年の著作『独裁と民主政治の社会的起源』(宮崎隆次・森山茂徳・高橋直樹訳、岩波文庫、二〇一九年)である。本書は、経済発展が民主主義をもたらすどころか、独裁体制を生み出す場合もあると論じた。 バリントン・ムーア 著, 宮崎隆次・森山茂徳・高橋直樹 訳『独裁と民主政治の社会的起源』(岩波書店) それによれば、近代に至る道は大きく分けて三つある。第一は、民主主義に至る「ブルジョワ革命」の道である。イギリス、フランス、アメリカの三カ国では、ブルジョワジーが権力を握って代議制を打ち立てた。これは一見、近代化論のシナリオに似ているが、政治勢力としての地主の消滅が決定的な条件となる。 第二は、ファシズムに至る「上からの革命」の道であ

                                                                農村から近代に至る道──バリントン・ムーア著 『独裁と民主政治の社会的起源』
                                                              • 「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 - 手探り、手作り

                                                                「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 NHK出版 2021 第一章 関東軍の暴走 第二章 国際協調の放棄 第三章 言論・思想の統制 第四章 中国侵攻の拡大 第五章 三国同盟の締結 第六章 日米交渉の失敗 第一章 関東軍の暴走 1929年 世界恐慌:経済が低迷、農村は困窮。「生命線」である満州の確保へ。 1931年 満州事変:関東軍が柳条湖で鉄道を爆破、これを中国軍によるものとして攻撃開始、満州全域を制圧、傀儡国家樹立。 加藤 では、次に「なぜ関東軍による独走、独断」が許されてしまったのか」について。 当時、大日本帝国の出先軍、現地軍というと、朝鮮軍二個師団がいて、中国には関東軍がいました。外地ですので、中央からの制御ができにくい。天皇の命令を現地軍に伝える奉勅命令というものがありますが、これで現地軍をとめるというのも、なかなか政党内閣ではやりにくかったと思

                                                                  「太平洋戦争への道 1931-1941」 半藤一利、加藤陽子、保阪正康 - 手探り、手作り
                                                                • 小山俊樹『五・一五事件』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

                                                                  5月19 小山俊樹『五・一五事件』(中公新書) 8点 カテゴリ:歴史・宗教8点 当時の総理大臣の犬養毅が暗殺され、政党政治の終焉をもたらした五・一五事件。しかし、ネームバリューの割にはそれほど深く取り上げっれることは少ないかもしれません。例えば、松本清張の『昭和史発掘』では、二・二六事件にそうとうなボリュームが割かれている一方(新装版の文庫で5巻)、五・一五事件は1冊の中の1篇のボリュームしかありません。 このように意外と語ることが少ないように見える五・一五事件ですが、本書では、事件の全貌、背景、政党政治が終わったのはなぜか、なぜ被告の刑は軽かったか、被告たちのその後、といった具合に1章ごとに問いに答えるような形で掘り下げていきます。「なぜ、海軍将校が?」という問題や、犬養死去後の後継内閣をめぐる動きなど、改めて勉強になった面も多かったですし、被告たちのその後については初めて知る部分も多く

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