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死生に関するsemisのブックマーク (11)

  • キリスト教の「遺体」観についての疑問 - 哲学・倫理・宗教学 解決済み| 【OKWAVE】

  • 死をポケットに入れて。

    最初に言っておこう。 失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。 愛し合った分、憎み合うように。 すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。 父を亡くしたのは、14歳の時だ。 2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。 告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、 一時帰宅のときに、家族の卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。 今思うと、とても不思議な病気だと思う。 癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。 部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。 正月の一時帰宅を終えて、 (なんとも日人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。) すぐに目に見えて容態は悪くなった。 口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。 皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっ

    死をポケットに入れて。
  • お葬式

    祖父が亡くなったので、急遽日に行ってました。 死というのは究極の不連続点。なんといっても、昨日まで生きてた人が、その時点で命を失う訳です。しかも、絶対に元に戻ることはない不可逆な断絶点。 そして葬式というのは、残された人間が喪失を受け入れるために、よく考えられたしきたりなんだなぁとしみじみ感じました。通夜、告別式、荼毘、納骨、と段階を踏んで別れを納得できるようになっているんですね。さらにまた、それは自分の死を受け入れる準備だったりもする訳です。 これまでは、「自分が死んだら葬式も特にせず、粉になるまで圧倒的に燃して、その辺にばらまいてくれればいいや」と思ったものですが、それって、残される人の気持ちを考えてないよな、と思い直しました。やっぱり少しずつ時間をかけて儀式をして、自分の気持ちに整理をつけていくというのが、後に残る人にとっては大事なことではないかと。 しかし、火葬の時間が短いのは驚

    お葬式
  • ひいばあちゃんが死んだ

    去年の年末の話だ。 ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。 すぐ実家へとび、すぐに通夜、お葬式が開かれた。 つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。 それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。 「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧

    ひいばあちゃんが死んだ
    semis
    semis 2008/01/19
    あーやっぱ火葬は衝撃的なんだな。
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    semis
    semis 2007/11/30
    死んだものの色と形とにおい
  • Re:俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

    某公立大学4年、24才、2留の愚鈍な学生が 今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ 進学して、6年もたって、見えたのはまるで漫画の世界だ 絵に描いたような生き方をしたら 絵に描いたような悩みを持ったんだ それはこんなカンジだ 「どいつもこいつも単位と恋愛と就職ばっかりか」 「かといってまじめに研究すんのもめんどくせえ」 「そもそもおれは何がしたいんだ」 「そもそも人生って何なんだ」 極論をいえば、何十億年後には地球も消えんだ 人生なんてその最たるもんだ 年端もいかない子供が「はい、夢に向かって頑張ります」と 生に向かって肯定を宣言しても 病人や、貧乏人にいずれはなる もちろん、富裕層まで全て、 一番の衝撃を喰らうのは死の瞬間だ いくら幸せや不幸せでも、感じる自分自身が消えるんだ なのに、困ったことに、なぜか、どうしてか どいつもこいつも毎日生きる そばやうどんやめしを喰って、 寝て起き

    Re:俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ
  • 「生きてきた私」を言祝ぐ技術 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 極端に幸福な、あるいは不幸な人生を送った人には「系の中で、あなたのニッチはユニークでした。 あなたが自分の人生をどう感じたのかは、私の知ったことではありませんが」 ほどほどの人生を送った人には「あなたの代わりはいくらでもいますから、世の中何も変わりません。 安心して下さい。そんな絶望は、周囲のみんなに共有されているものですから」 神様が科学的な存在ならば、亡くなる人に神様が語る言葉は、たぶんこんなかんじ。 科学技術は、人がより楽になるために発達してきた。 より長く生きるため。苦痛を感じないため。 いろんな技術が発達したけれど、楽になるはずの技術が実際にやってきたのは、 「解決」でなくて「先送り」。 帳尻合わせは最後の最後でやってきて、亡くなる

  • 砂上のバラック - 知人の死と他いろいろ

    中高の同期が亡くなった話を二ヶ月ほど前に書いたが、先日友達に電話をして再びその話をした。結論から言えば、自殺だった。 亡くなった同期は某私立大学の小児科医だったが、おそらく激務のためだろうか、数年前にを患い、それに合わせて職務は軽減されていたが、亡くなる半年ほど前から全く出勤できず、そのまま自らの手で命を断ったということだった。ちなみに、小児科医がいかに激務かは軽く検索してみるだけでもその一端がうかがえるので、気になった人は軽くでも調べてみるといいと思う。 最初に聞いたときの死因が突然死という曖昧で死因ではない死因だったので、その可能性は十分にあるだろうとは思っていたが、実際に聞くとやはり何とも言えないものがある。それを選んでしまったのは彼であり俺ではないが、しかし、ちょっとした偶然や決断の積み重ねによってはそれは彼ではなく俺であったかもしれない、そう思う程度には彼は他人ではなく、遠い世

    砂上のバラック - 知人の死と他いろいろ
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック

    から復帰した友達と飯を喰ったとき、やたら深淵な話題になった。私はになったり自殺を考えたりすることのない人間で、いまひとつ自分から死のうという友達の心情について理解ができない。だが、友達曰く「毎日のようにどうやったら楽に死ねるかを考えた」。そういうもんなんだろうか。 死に直面したことはある。というか、頭に変な石が入ってる以上、少なくともほかの人よりは死に至るリスクは多く存在している。いかに身奇麗に生きるかを考えることはあっても、自分が主体的に死を選ぶ必要を私は感じない、だから自殺衝動はない。 だが、多少なりとも分かる話があった。彼は「自分が世間から要らない存在にしか思えなくなった」と言う。その人が要るか要らないか。世の中に必要のない存在はありえるのか、という話だ。人は生きる時間に限りがあり、付き合うべき人、雇うべき人を意識的に選ぶ。選ばれなかった自分が酷くちいさく醜い存在だとへこんだ

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    semis
    semis 2006/10/18
    とりあえず「科学は万能ではない」という言葉で科学を無能たらしめようとしないでほしいと思った。
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