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空気とフレーズに関するsetofuumiのブックマーク (2)

  • 「空気読めない」の多層性 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く こちらにコメントをいただいたりして、あっそうか、と思ったこと。 「空気読めない」と「(あえて)空気読まない」は、空気を読む側からすると大きな違いだ。前者は、その場で自分に期待されている役割や行動について思いつかない、気がつかない、ということ。後者は、そういった期待されている役割・行動について承知しているけれど、わざとそれを行わない、期待されない役割・行動を呈する、ということ。 この2つのもっとも大きな違いは、実際に自分に期待されている役割・行動について承知しているかどうか、だ。 だから、「(あえて)空気読まない」は、その期待されているものに対する反対意見あるいは否定意見である、ともいえる。 一方、「空気読めない」場合は、期待の内容そのものを承知していないから、「空気読めない」行動はなんら期待に対する価値判断を行っていない、というこ

    「空気読めない」の多層性 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • ワナビー・マジョリティ或いは媚強派 - 量産型ブログ

    綾川亭日乗 - 確かにそういう右翼っていないのよね だから、ついこないだいわれたことだけど、最近「右翼」と称されるのは、ナショナリストではなく「国家体制に従順なものたち」ということなのだと思う。そして、昨今「左翼」、いや「サヨク」と彼ら「右翼」から称されるモノたちは、「国家体制というものに懐疑的で、警戒し、ときに糾弾するものたち」なのだ。 ブックマークコメントにも書いたけど、ちょっと違和感を感じたのでメモ書き程度に。 所謂【ネット右翼】が必ずしも体制に従順ではないのは、人権擁護法案関連の騒動やPSE法絡みの動きを見れば自明だと思う。政治的に一貫していない、思想的背景を持たない、と言う事は各所で指摘があったと思う。 詰まる所彼らの行動原理は「如何に多数派でいる事ができるか」ではないだろうか。 以前書いたこんなエントリーの延長でそんな風に感じている。 現代の私たちに求められているのは何が正しい

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    setofuumi
    setofuumi 2007/05/29
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