タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

考え方に関するshigo45のブックマーク (4)

  • 鈴木敏夫がわからない(その➁) - ぷLog

    stereorynch.hatenadiar 鈴木敏夫を暴くキーワードは「虚無」である、その➁へ続く。 と偉そうにカミングスーンしたのが5か月前。 すぐ続きを書こうと思ったのだが、直後にこのの発売が発表された。 「禅とジブリ」 〈「今」を生きなきゃ! ──スタジオジブリプロデューサーと禅の僧侶が語らう、現代の生き方〉 〈ジブリを禅で読みとく、禅をジブリで読みとく白熱対談〉 「過去、未来じゃなく、もっと今のことを考えなきゃ」──スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫氏が禅僧と奔放対談。対するは、玄侑宗久氏(作家・福聚寺住職)、横田南嶺氏(臨済宗円覚寺派管長)、細川晋輔氏(龍雲寺住職)の三人。『もののけ姫』『火垂るの墓』などジブリの名作から、死生観や人生哲学などを禅的に読みとき、宮崎駿・高畑勲両監督との映画制作の経験に照らして禅を語ります。月刊『なごみ』連載に対談と鈴木氏のエッセイを追加収録。

    鈴木敏夫がわからない(その➁) - ぷLog
    shigo45
    shigo45 2018/07/15
    なかなか興味深い。自分の得意なことを自分が好きではないというパターンもあるよなと思う。それに抗うか従うかを選ぶのは難しい。
  • 正しさを前提としない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    世の中には2つのタイプがいる。 正しさを前提として議論をする人と、決まった正しさなどはないからその前提で議論の中で何を選択するかを決めようとする人と。 僕は明らかに後者だ。 正しさというものを前提にしようと思うことはほとんどない。何かを決めなくてはいけないのだとしたら、その取り決めに影響がある人、責任を持つ人で話し合って決めればよいと思ってるし、話し合って決めるしかないと思ってる。その話し合いにおいて基準になるような正しさなんてないと思っている。 それは多神教の国の人だからとか言ってみたいが、残念ながら多神教の国にも何か明らかな正しさがあると仮定して自分の議論の正しさを主張する人がいる。神以外に正しさを求めているとしたら、一体なににその根拠を認めているのだろうか?と不思議に思う。 ルールは正しくなさだけを明示するもちろん、僕も社会にはいろんなルールが存在していて、そのルールにおいて正しくな

    正しさを前提としない|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    shigo45
    shigo45 2018/03/15
    「正しさ」は時代制約的、社会制約的なものだが、先人たちの苦難と血の歴史の上に獲得されたものでもある。その歴史的価値を認めなければ我々は再び血みどろの歴史を繰り返すだけだろう。
  • 抽象的思考の化物・松本人志の「甘口カレー事件」から学べること。 - ぷLog

    ガキの使いのフリートークに、 甘口カレー事件というのがある。 (概要) 松人志の知人が「自分は甘口のカレーが好きだ」と言った。松はそれは絶対に受け入れられないとする。カレーという料理自体の成立要件に「辛さ」が含まれており、その為「甘口のカレー」などというものは存在し得ないというのである。 そんなに辛くないカレー、ならいい。 「甘い」までいってしまうとは何事か、という話だ。 この時点でもう面白いのだが、 これがどのくらい愚かな言い分であるかを説明するために、氏は二つの比喩を持ち出す。 ①クーラーでいうなら・・・ これがどのくらい無茶苦茶な話かって言うとですよ?部屋にパッと飛び込んだ時にね、「あ~、ちょっとクーラー効き過ぎ、クーラー止めて!」って言うならわかりますよ?そうじゃなくて「クーラー効き過ぎ、暖房に切り替えて!」って言ってるようなもんですよ! ②車でいうなら・・・ 車に乗ってて、「

    抽象的思考の化物・松本人志の「甘口カレー事件」から学べること。 - ぷLog
    shigo45
    shigo45 2018/02/05
    仕事場でどれだけ面白いたとえ話ができるかに凝っていた時期があったけど、いわれてみれば頭の中は常にこういうプロセスがまわってた気もする。気がするだけかも…。
  • 科学によって根拠を失った「人権」という概念 - 能書きを書くのが趣味。

    前回、人権概念の社会的変容について書きました。 gentleyellow.hatenablog.com でも実は、「人権」の危機について語り切れてない部分がある。 前回は権利概念の歴史的バックボーンや、社会情勢の変化、ヘイトスピーチ問題や、ポリティカルコレクトネスといった、純粋に文系的な分析から人権概念の変容を描きました。しかし、ここには大きく抜けている要素がある。それは、科学技術の進歩です。 人権概念が生まれたのは、当時最先端の科学分析からでした。しかし、18世紀の科学は、21世紀現在までにずいぶんと変化し、誤解を恐れずに言えばかつての理論はその大部分が否定されてしまっている。 つまり、人権を生んだ根拠の大部分は、実はすでに否定されてしまっているのです。そのことが、人権概念に変容と危機を持たらなさないはずがありません。 この記事では、科学技術の進歩によって起きている人権概念の変容について

    科学によって根拠を失った「人権」という概念 - 能書きを書くのが趣味。
  • 1