この記事、oldboy-elegy君の「お正月」にブログUPするつもりで書いている。 なにか、正月らしいものはと、したためた記事案ノートNO1・NO2・NO3 および日々取りためたメモを繰る。相変わらずの、緩(ゆる)い内容で、アホ(馬鹿)を売りにする物ならあるのだが。 およそ正月とは縁もない話ばかりで、途方にくれる。 そんな中、えんぴつ書き、文字も擦過(すりきれ)状態ではあるが、 (2019・7)のメモの走り書きに「正月に、おとう(父)に買ってもらったシラオ(白い鼻緒)の下駄」の「一文」を発見する。 この瞬間、幾つかの情景が頭をかすめる。 彼、記事を書く場合、常日頃、大切にしていることがある。 それは、タイトル文を「思いついた」瞬間に、「情景や、錯綜する思い」の 「広がり」を感じるかどうかということである。 今日の記事は、「雑感・雑記帳」ではない。 「oldboy-elegy」のタイトルで