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ブックマーク / koushi-blog.hatenablog.com (242)

  • 在宅オンリーではなくハイブリッド - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 一日中家にいて気づいた在宅勤務のデメリット。 昨日の記事で書きましたように、その最大のものは「気持ちの切替え」が難しいということではないでしょうか。 今回このことを実感しました。といっても実際は、平日に取った休みの日に一日中家にいて、夕方開始のオンラインの講演会への参加を躊躇してしまったことからの気づき。 在宅勤務ではありませんw それで在宅勤務について語るのもどうか、という気もしないでもないですが。 在宅勤務のデメリットはまだあります。 在宅勤務では、確かに使える時間が増えるかもしれません。通勤時間もありませんし、同僚とおしゃべりする時間もない。 時間の質という面でも、優位性がありそうです。仕事場にいれば度々生じる、他者による中断もありませんし。集中して仕事に取り組めそうな気がします。 でも、同じ場所で同じところに座り続けて集中し続けるというのが実は難しい。ほどよい気分転換

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  • オンライン講演会から在宅勤務を考える - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。日もお越しいただきありがとうございます。 先日久しぶりに参加した講演会。 講師は高田明さんでした。ジャパネットたかたの、あの高田明さんです。 1時間程度の講演会でしたが、参加して当に良かったな~と強く思いました。 実は講演が開始される直前まで「参加を諦めようか」と思っていたのです。 その日はほとんど外出せずに自宅で過ごしていました。 講演開始は18時30分。その時間が近づいてきてもどうも気分が乗ってこない。ようやくギリギリになってPCを立ち上げてアクセスを試みる。 でも、なぜかログインできない。慌ててパスワードの再設定から始めるという体たらく。準備不足の自分が悪いだけなのですが、こうしているうちに「見るのを諦めようかな〜」とまた易きに流れそうになっている自分がいました。 オンライン参加だと日常生活との切替えが難しい面がありませんか? 会場に出向くのなら、実際の身体の移動だけ

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  • 平成で一番売れた日本酒を楽しむ - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 この冬は熱燗を楽しもう! と思い立つも、日酒についての知識が浅い私。しかも自宅で熱燗を楽しむことが稀であったため、どんなお酒を使えばいいか分からない。 そんな私を後押ししてくれたのが近所にある量販店でした。 嬉しいことに、その週にセールでお得になっている日酒があったのです。 その銘柄はといえば、 「白鶴まる」 です。 そう、白鶴酒造さんの「まる」です。 日酒に疎い私も、この銘柄は知っています。 子供の頃からテレビコマーシャルで何度も見聞きしていたので自然と覚えてしまっているのです。今でも矢崎茂さんが出演されていたコマーシャルでのフレーズが頭に残っています。 その量販でのセール価格は2Lパックで800円を切る価格。これが安いのか高いのかもよく分からなかったのですが、棚に並んでいる他の日酒と比べてみてもお得感がありました。しかも定番とくれば買って損はしないはず。喜び勇んで

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  • 言葉を変えれば心が変わる - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びを自分の人生に活かす試み。 今日も続けます。 次も「心」と「言葉」との関係についての文章です。 「心」が「言葉」を発するのではない。発した「言葉」が「心」を変える。 我々の心の中の「エゴ」は「感謝」を知らない。 心身一如の理と同じく、「言葉」と「心」は一体である。心が主で言葉が従ではない。このことを田坂広志さんは私に気付かせてくれました。 そして、言葉を変えれば心が変わることをこの文章で明言してくださったのです。 これは感情と行動の関係とも通ずるとは感じませんでしたか? 「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなるのだ」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。感情が行動を引き起こすのではなく、行動が感情を生み出すのだ、ということですね。 これは心と言葉の関係にも当てはまる。心が言葉を発するのではなく、言葉が心の状態

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  • 「好きになれない人」を好きになる方法 - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から心に刺さる、心に残る言葉を振り返りながら、自分の人生を考える。 今日もこの営みを続けます。 次にご紹介する文章はこちらです。 こうした技法が有効なのは、「心身一如」だから。「心」と「言葉」との関係においても同様。「心」というものに直接働きかけることは極めて難しい。「心身一如」の理を活かし「身」を正しく整え「言葉」を正しく語ることによって「心」を整えることを行う。 その「行」を日常の習慣として何年も続けることが大切。 この文章は、好きになれない人を好きになるための技法についての下記の文章の流れで書かれています。 「好きになれない人」を好きになるためには、心の中でただ「有り難うございます」を祈る。心の中で、その人の顔や姿を思い浮かべ、ただ「有り難うございます」と唱える。 「ありがとうございます」という言葉の重要性については、長

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  • 好き嫌いは「感情の問題」ではなく「〇〇の問題」 - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』から心に響いた言葉をご紹介しています。 次に引用するのは下記の文章です。 人間の「好き」や「嫌い」は感情の問題と思われているが、必ずしもそうではない。他人を好きになるということは、実は「感情の問題」ではなく「意志の問題」。 ここ最近「好き嫌い」について思いを巡らせる機会が増えました。 好き嫌いはその人に固有のもの。なぜかは説明できないとしても、自分の「好き」に重きを置いて生活する、生きることは幸せな人生につながるではないか、そう感じることが多くなりました。 以前ご紹介した楠木健さんの書籍『好きなようにしてください』を読んで膝を打ち、その思いを深めることになったのです。 田坂広志さんのこの文章に出会うまでは、「好き嫌い」は「感情」の問題だと思っていまいた。疑いもなく。 そこに理屈はない。なぜか好きであり、もしくは嫌いである。

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  • 何か一つのことを言うと全く逆のことも言いたくなる - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 今日は、田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』から、心に残った「言葉」関連する記載についての話に戻ります。 次に引用するのは下記の文章です。 何か一つのことを言うと全く逆のことも言いたくなる。 「私が感じていたことをまさに言い当ててくれた!」 この文章を読んだときにそう感じたことを覚えています。「やはりそうなのだ」という嬉しさ。自分だけが持っている感覚ではなく、他者も持ち合わせていることを知った安堵と、それが田坂広志さんから語られたという感激。これらの思いが混ざり合った感情でした。 氏が語る文脈とは少し異なるかもしれませんが、日常生活においてこう感じたことはありませんか? 例えば、他者の主張と自分の考えが相容れず、激しい感情を伴って議論をしているような場面。まあ、平たく言えば言い争いをしているような時ですね。 自分の主張をまくしたてた後に、他者が自分の意見を少

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  • 感情は論理に勝る? その瞬間に立ち会う - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から「言葉」についての文章を読んで思い出したドイツでの出来事。 今日も続けます。 ドイツ人の理路整然とした英語。難しい言葉を一切なし。彼の主張を分かりやすく平穏な言葉で説明する。彼の言語能力にある種の感動を抱かずにはいられない。 一方で、日上司英語。そこには論理はない。ただ、彼の考えやお願い事を繰り返すのみ。ドイツ人マネージャーとは対極とも感じられる言語能力。 物怖じした雰囲気は微塵も感じさせず、むしろ堂々としている。でも、彼の話に内容はない。説得力など何も感じない。でも、彼の感情がダイレクトに伝わってくる。「どうしても私たちのサービスをあなたに使ってほしい。検討をお願いしたい。」という言葉の中に、正直で真摯な気持ちを強く感じる。そんな彼の言葉に好感を抱生き始めた自分に気付く。 見込顧客のドイツ人マネージャーはどう感じて

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  • 彼の英語運用能力とは雲泥の差、対極にあったといってもいい - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 昨日は田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』での「言葉」についての学びから、少し脱線して私の個人的な体験について話をしました。今日も続けます。 ドイツでの経験。私は見込顧客である会社のドイツ人マネージャーの英語運用能力の素晴らしさに感心していました。 「私もこんな風に英語を操れるようになりたい」 彼に自分の理想を感じた私は、何か幸せな感情に包まれていました。自分もこんな風に英語を操ることができるのではないか。そんな根拠のない希望を感じていたのかもしれません。 でも、彼が話しているのは、私たちにとってはネガティブな内容。私たちの製品が彼らにとっては物足りない、ということが暗に示されていたのです。 この状況をどう脱するのか。 売り込む立場にいるのですから、彼の言うがままを受けいれるわけにはいきません。彼の言っていることは理にかなっていて反論は難しい。でも、こちらから何

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  • ドイツで彼の言語運用能力にしびれた - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から「言葉」についての文書をお伝えしています。 今日も「言葉」についての記事になりますが、少し脱線話にお付き合いいただきたく。 言葉というより、正確にいえば言語能力についてなのですが。 それはビジネスの商談の場面。 海外の見込客との打合せに参加したときの話です。私は当事者ではなくオブザーバー的な役割。つまり、ただ観察するだけというお気楽な立場でした。 その顧客の事務所に訪問したのは、私ともう一人の日人。その彼が当事者になります。彼の上司と顧客の日法人社長と電話会議をセットし議論する。そういう流れでした。 顧客側の出席者は、その案件のマネージャーでドイツの方。残りが日人4人というメンバー。使われる言語は英語となります。 そのドイツ人のマネージャーの方は、姿勢が素晴らしく、振る舞いも、愛想もいい。アイコンタクトも心地よく、第

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  • 言葉にて語りえるものを語り尽くす その果てにあるもの - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 昨日は、田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から「言葉」について言及された文章をご紹介しました。 我々は言葉にて語りえるものを語り尽くしたとき、言葉にて語り得ないものを知ることがあるだろう。 書籍の文脈上の意味合いからは外れてしまうかもしれませんが、この文章を読んで気づいたのは、「言葉は万能ではない」ということです。 昨日も書きましたが、言葉についてことさら意識することがなければ、言葉はいつでもそこにあるものだと思ってしまうものです。自分が発する言葉で何でも表すことができる、伝えることができる、と。 でも、言葉は完全ではない。私たちの頭の中に、心の中にあるもの全てを言葉で表現することはできないのです。もちろん、人それぞれの言語能力の違いによって、語ることができない領域は違ってくるでしょう。でも、いくら言葉を使う能力に長けている人であっても、その人の考えを、思いを

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  • 言葉の問題について考える - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から心に刺さった文章をお伝えしています。 今日は、「言葉」に関連する文章をご紹介していきます。 「言葉」の重要性。このことは長きに渡り数多くの識者が述べてきました。現代においては、「言葉が世界を作る」「ネガティブな言葉は使わない」「ポジティブな言葉を使う」というように、私たちが発する「言葉」が私たち自身に与える影響について語られることが多くなっていると思います。田坂広志さんも実際に、言葉が私たちに与える影響について述べられています。それは、氏の他の書籍で、その理由とともに詳細が説明されておりますので、別の機会に改めてご紹介したいと思います。一見スピリチュアルに感じられる事象を論理的に説明された文章に、思わず膝を打つ。そんな体験を今でも覚えています。 『人生で起こること すべて良きこと』の中からは、言葉の別の側面について興味深い

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  • 「エゴは捨てられない」が大前提 - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 昨日から、田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びの要約には含めなかったものの中から、思わず膝を打った文章、氷解をもたらしてくれた文章をお伝えしています。 今日も続けます。 「エゴ」を捨てるのではなく、むしろ自分の中の「エゴ」を大きく育てる必要がある。「エゴ」は捨てられない。「エゴ」は「大きなエゴ」へと育てていかなければならない。 メモ要約の中でもお伝えした「エゴ」についてのお言葉。「エゴは捨てられない」との断言が心に響いたのを覚えています。 そして、現実を冷然と示すだけでなく「ではどうすればいいのか」という答えが合わせて提示されている。そのことに何か安心を感じたのです。 「エゴ」は一般的にネガティブに捉えられることが多いでしょう。自分勝手、わがまま、身勝手といった言葉と結びついて考えられることが多い。 そして、私たちは「そんなエゴ」を捨てようと試みる。私

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  • 心に残る文章 あなたの心に響く言葉も必ずある - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びのエッセンスをお話してきました。 今日は、その要約には含めなかったものの中から、思わず膝を打った文章、氷解をもたらしてくれた文章、うならされた文章をお伝えしていきます。 田坂広志さんの文章は、書かれていることすべてが、主題とそれを支える二次テーマと密接に絡んでいる。このことは既にお話ししました。これから紹介する文章も、その関係性の中で書かれているものです。 これらの文章を読みながら、主題とどう絡んでいるのか考えてみると、より面白く、また思考を深められると思います。 ある言葉を読んだとき、ただそれを「知識」として解釈し、「頭」で理解しただけでは、それは「気づき」とは呼ばない。その言葉を読んだとき、自分の過去の「体験」が心の中に浮かび心の中を巡り、「そうだ、あの体験はやはり深い意味があったのだ!」と思えたとしたならば、そ

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  • 『人生で起こること すべて良きこと』を締めくくる熱い文章 - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 長きに渡り、田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』からの学びをお伝えしてまいりました。いかがでしたでしょうか。 書のクライマックスと呼べるべき部分の詳細についての説明は控えましたので、すべてをお伝えはできていないと思います。 ご興味を持たれた方は、ぜひ書を手に取っていただき、自らご自身で田坂広志さんの言葉から学んでいただきたいと思います。その方がよほど分かりやすく、学びが大きいと思いますからね。 書のクライマックスの部分の記述を控えたのは、先に述べた通り、私がまだ「死生観」を確固たるものとして持っていないから。 田坂広志さんは、ご自身の「死を感じる」体験から「死生観」について書かれています。 幸いなことにこれまで私は大病を患ったことはありません。実際に死と向き合うような体験をしていないのです。この意味で、田坂さんの文章から「気づき」を得たとは言えない。だ

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  • 「感謝」はすべてを癒す - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 「不幸な出会い」にも意味がある。こう考えると、毎日が自分の成長につながります。 人生思い通りにはいかないものです。不運や不幸に遭遇することは避けられません。何より、人とのかかわりは避けられない。すべてが楽しく嬉しいかかわりではありません。どうしても自分にとって嫌な、苛立たしい、不幸に思える人との出会いやかかわりは避けられない。むしろそう感じる場面の方が多いでしょうか。でも、それこそが貴重な成長の機会。こう考えると毎日が生き易くなると思うのです。 田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』から、さらに引用を続けます。 「起こった出来事」や「出会った相手」を心に浮かべ、ただ「有り難うございます」と祈る。姿勢を正し、呼吸を整え、心を静め、ただ「有り難うございます」と心の中で唱える。言葉を換えれば、心の中で「感謝」する技法。その「不運な出来事」や「不幸な出会い」に無条件に

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  • 「ただ唱えればよい」に救われる - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。日もお立ち寄りいただきありがとうございます。 「ありがとう」 この言葉の大切さについては認識されている方が多いと思います。これまで当に多くの人がこのことについて語っています。語り尽くされている、と言ってもいいかもしれません。決して現代だけの話ではなく、人類がこの世に存在してから「ありがとう」の重要性はいたるところで語られています。 自己啓発系のを読み漁っていた時期に、実際に「ありがとう」を日常に取り入れたことがあります。いや、正確にいえば「取り入れようとした」。でも続けられなかったのです。 ただ「ありがとう」というのが簡単すぎるように感じてその効果に疑心暗鬼であったのかもしれません。実際には簡単ではなかったから続けられなかったのですが、「やっても意味がいない」と言い訳にしていたのかもしれません。 まさか田坂広志さんがこのことについて著書で言及されるとは思っていなかったので

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  • 「他者の嫌悪感」は「自己嫌悪」に他ならない - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 今日も田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びについて続けます。 「他人の中に自分の嫌な面を見る」 このことに気づくのは簡単ではありません。仮に気づけたとしても、それを自分事として捉えることはさらに難しい。思い出すだけで腹が立つような「嫌な人」について、感情に任せて頭の中で思考を巡らせているときには、なかなかできるものではありません。 でも「自分も同じだな」と気づいたことがあった。どういうときにそう気づいたのか、そう受け入れたのか、その背景や環境の共通点は分からない、言い表せなかった。でも、「その人が自分に似ている」と感じたことがあったのは事実。 田坂広志さんの文章を読んで、これが自分だけの経験ではなく私たちすべてに通じるものであること、そしてそれが起こるメカニズムを知ったことで、大きな納得感を得たのです。 そして、「他者の嫌悪感」はまさしく「自己嫌悪」に

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  • 「その人が自分に似ている…。」の衝撃 - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 人間関係に悩みを感じていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。 自己実現や自身の成長のために、自分を律していくことは必要ですが、そこにはどうしても他者とのかかわりが含まれてきます。 自分以外の人とどう向き合うか、どう処するかを知ることは人生を生き易くする術を学ぶこと。私たちは他者とのかかわりなしには生きていけないのですから、この部分に長けたほうがいい、もっと目を向けた方がいい、そう思います。 田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』の学びについてお伝えしていますが、これからお話していくのは、この「他者とのかかわり」についての言及が主になっています。気づき、納得と安堵。これらをあなたにも感じていただけると思います。 「他者の嫌悪感」の質は「自己嫌悪」である。我々は自分の中にある「嫌な面」を抑圧して外に出さないようにしていると、その抑圧した「嫌な面」を他人の中に

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  • 「内省日記」の3つのプロセス - 「行動と見識」KOUSHIのブログ

    こんばんは。 田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びについて今日も続けます。 「自分の感情や思いをありのままに表に出す」プロセス、すなわち「感情の開示プロセス」についてお話ししました。 それに続くのか「感覚の浮上プロセス。」というものです。 田坂広志さんの文章を引用します。 心が少し冷静になり、自分で書いたその文章を改めて読み直すと、ふと心の奥から「言葉にならない感情や思い」が浮かび上がってくる。それは、すぐに言葉にならないか、書いた文章そのままの感情や思いではなく、少し違った、別な感覚や思いが、心に浮かんでくる「感情の浮上プロセス」とでも呼ぶべきもの。 私にはこのプロセスが欠けていた。このプロセスがないと、ただ怒りや苛立ちという感情に引きずられるだけ。それならば、日記にありのままの感情を書くことはかえって毒になる。自身の体験と重ね合わせてそう認識できたのは収穫でした

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