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日本とBookに関するsizukanayoruのブックマーク (78)

  • 幕末史 - 池田信夫 blog

    幕末というと、司馬遼太郎の小説でおなじみの英雄の活躍する世界で、今さらという読者も多いだろう。書はそこを一工夫して、「賊軍」の側から明治維新を見る。これは『靖国史観』と同じで、坂龍馬はテロリストであり、新撰組はテロを防ぐ警察と同じ仕事をしただけだ。 書の主人公は、勝海舟である。勝は無役の最下級武士の子として生まれた。内職で暮らしを立て、正月のにも不自由する家だったという。彼が出世したのは、蘭学の知識と語学力のおかげだった。黒船が来港し、世界情勢の知識のある者が必要になったためだ。当時は幕府の身分制度も崩壊し、家柄や年齢に関係なく能力のある者が重要な仕事をまかされるようになっていた。勝が陸軍総裁として江戸城の無血開城を行なったのは、45歳のときである。 当時、西郷隆盛の率いる官軍は1万余の軍勢で江戸城を包囲し、決戦になれば江戸150万人の市民を巻き込んだ市街戦になるところだった。

  • 日本語は論理的である - 池田信夫 blog

    学校文法では、「文は主語と述語によって成り立つ」と教わる・・・という文には主語がない。こういう場合、学校では「生徒は」という主語が「省略されている」と教わるが、この基準で日語の日常会話を分析すると、90%以上の文で主語は「省略」されている。世界の他の言語をみても同じで、主語が不可欠なのはインド=ヨーロッパ語族の一部に限られる。主語・述語モデルにもとづく生成文法も、「普遍文法」どころか「ヨーロッパ語文法」でしかない。 こうした英語をモデルとする文法に対する批判も古くからあり、時枝文法や三上章など、「日語の論理は英語とは違う」とする議論も多い。書は、学校文法や生成文法を否定する点ではこうした理論と同じだが、「日語特殊論」も批判し、日語も英語も基的には同じ論理の変種だと論じる。著者の理論的根拠とする認知言語学は第2章に要約されているが、くわしいことは著者の前著を読んだほうがいいだろ

  • いじめの構造 - 池田信夫 blog

    今の日が直面している質的な問題は、絶対的貧困でも所得格差でもなく、戦後ずっと維持されてきた日的中間集団が安定性が崩壊する一方、それを受け止めて変化を調整するシステムができていないことだと思う。それが企業社会では非正社員の問題として出ているのだが、学校では「いじめ」という形であらわれているようだ。 日の学校は単に勉強する場ではなく、地域の生活や家庭の関係などもすべて反映する共同体になっているため、それに適応できない異端児は、いじめによって全人格的に排除される。いったん排除される対象が決まると、正のフィードバックが生じて他の子供がいじめに「群生」し、ときには自殺のような悲劇的な結果をまねくまで止まらない。 他方、学校もこうした行動にあまり介入せず、子供たちを学校のルールを守って「仲よくさせる」ことで解決しようとする。しかし学校の秩序に子供を組み入れても、問題は解決しない。なぜなら、

  • タテ社会の力学 - 池田信夫 blog

    著者の『タテ社会の人間関係』は、出版から40年以上たっても現役で、110万部以上のベストセラーだが、これが英訳までされて類型的な「日人=単一民族論」を世界に流布した罪も大きい。書は、それに対する批判に弁明したもの(新書の文庫による再刊)だが、前半は前著の繰り返しなので、これだけ読んでも著者の「日人論」はわかる。 まず問題なのは「タテ社会」というタイトルだ。これは著者もミスリーディングだと認めているのだが、もう定着してしまった。むしろ日社会の特色は、タテの階級構造がほとんどなく、みんなが(建前上は)平等なメンバーとして小集団を形成していることだ。これはイエ(家族)とムラ(村落)の2層構造になっており、同じムラの中でもウチとヨソは違う。ただヨソのムラに対しては、ムラの結束は強い。 この構造は、日人が思っているほど普遍的な「共同体」ではなく、アジアでも他の国にはほとんど見られないと

  • 縄文の思考 - 情報考学 Passion For The Future

    ・縄文の思考 考古学資料から縄文時代の豊かな精神世界の形成を説明していく。 素材を割ったり削ったり磨いたりして最終的な形態をつくりだす「引き算型造形」から、素材を継ぎ足してつくる「足し算型造形」になったのというのが縄文土器の特徴だそうだ。岡太郎がその美を再評価した火焔土器や土偶の造形は、モノの出し入れの邪魔になる不要な突起に満ちており、無駄の塊である。この無駄こそ精神性の高さであり文化の発現だった。 縄文の精神世界の急速な発達は何に起因するものなのか。著者は壁や屋根のある閉鎖的な居住空間(イエ)やその中で家族が囲んだ炉が大きな役割を果たしたのではないかと論じている。 「壁で四周を囲まれて閉じられた住居は、縄文人が創り出した縄文人独自の空間である。その性質は他のいかなるものとも画然と区別され、固有の装置によって象徴的意味をもたらした。聖性を備え、家族の身と心を安堵させるイエ観念をはっきりと

  • アメリカ社会の日系アメリカ人の「在りよう」の歴史的経緯が、これからのアジア未来を示唆する - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    「正義の国」の日人 なぜアメリカの日系人は日が“嫌い”なのか? (アスキー新書 037) 安井 健一 アスキー 2007-11-12 売り上げランキング : 339119 Amazonで詳しく見る by G-Tools 素晴らしいだった。作者は、既にマスコミでも管理部門行ってしまったと書いてあるが、、、もったいない。地道で執拗な好奇心。公平で広い視野。知識のない人間にもわかる平易さ、、、どれをとっても、このは素晴らしかった。そして、指示している「視野の広さ」に非常に参考になった。今後、アジアにおける、地球における、日人そしてアジア人が、どうなっていくか、というマクロを知るのに物凄い手掛かりとなるだった。 特に僕としては、山崎豊子さんの『二つの祖国』のその後を読んだような気持ちになった。絶対ワンセットで読むと、、、ああそうか・・・「あれ(=チャーリー田宮)」が、この後、アメリカ

    アメリカ社会の日系アメリカ人の「在りよう」の歴史的経緯が、これからのアジア未来を示唆する - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 『日清戦争-「国民」の誕生 佐谷眞木人著  国民国家・近代国家意識もつ「日本人」を形成してきたメディアの履歴 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    評価:★★★★星4つ (僕的主観:★★★★星4つ) 非常に面白いです。池田信夫さんのブログのお薦めのは、どうもヒットするものが多い。これは、日清戦争を契機に、日という国が、依然とどうかかわったか?を扱ったです。一言で言うと、それまで「国民国家」の概念や「対外戦争」の概念がなかった日に、国民一人一人がコミットして結集する近代国家の、その集大成としての対外征服戦争が、どのように、人々に浸透していったかを追ったものです。これを読むと、単純な司馬史観や日歴史認識では、「日清、日露戦争まで素晴らしく気高かった近代国家の優等生である日がどうして、その後暴走したか?」といわれる発想が、いかに嘘であるかが良くわかります。 この発想は「日露戦争以後と以前に境界線がある」ということなんですが、この丁寧な日清戦争時のメディアの展開を読むと、全く境界線がないことがはっきり分かる。むしろ日清戦争の時代

    『日清戦争-「国民」の誕生 佐谷眞木人著  国民国家・近代国家意識もつ「日本人」を形成してきたメディアの履歴 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 日清戦争─「国民」の誕生 - 池田信夫 blog

    きのうNHKで「プロジェクトJAPAN」というシリーズの「プロローグ」を放送していた。スペシャルドラマ「坂の上の雲」を中心として、日の近代史を追う3年もの長大なシリーズだ。プロローグだけで2時間半もあるが、資料フィルムで教科書的な話をなぞるだけで退屈なので、途中で消した。 今どき、司馬遼太郎で近代史を語るセンスはいかがなものか。日清・日露戦争までは日がアジアを指導した栄光の歴史だが、1930年代以降は軍が暴走した、という彼の歴史観では、日の近代を統一的にとらえることはできない。軍だけを悪者に仕立てるご都合主義は、いまだに大江健三郎氏のような幼稚な歴史観として根強く残っている。 こうした歴史観を「自虐史観」として批判し、近代を「国民の物語」として描こうとしたのが「新しい歴史教科書をつくる会」の人々だったが、彼らは逆に司馬史観の栄光の歴史の延長上で昭和の戦争を描いただけだ。よくも悪く

  • 日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで - 情報考学 Passion For The Future

    ・日語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで 「日の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ霊力、呪力の観念であるが、日の学界ではこの種の霊魂観念に関する問題意識が乏しく、そのために呪術・宗教のもっとも基的な概念である「神聖」ということも、清浄なことと解して疑うことなく、賀茂祭のミアレ木や阿礼幡など、各種の儀礼に用いられる呪物も、神の依代だとする誤解が常識化している」 著者は古代の儀礼、神話、歌を資料として、霊魂と呪物・呪術に用いられた言葉を分析し、古代人の宗教意識を解明していく。最初に取り上げられているのは霊魂(タマ)の観念の分別である。古代語には呪力霊力(マナ)を表すタマと、遊離霊としてのタマがあるという話。 魂という言葉はタマシヒ(タマ=霊魂、シ=の、ヒ=霊力)からきている。平安の頃の用法ではタマシヒは霊力であり霊威であり、生まれつきの

  • 日本人の原罪 - 情報考学 Passion For The Future

    ・日人の原罪 二人の学者が神話と昔話の分析によって日人ならではの罪悪感について考察する。 著者は日神話と昔話に特徴的な「見るなの禁止」とそれに伴う罪と恥の意識に注目した。 たとえば「鶴の恩返し」では女が鶴の姿になって機織りをしている姿を、見るなと言われていた男がのぞいてしまう。古事記では死んでしまったイザナミを迎えに夫のイザナキが根の国を訪れるが、のぞくなと言われていたのにの腐敗した醜悪な姿を見てしまう。男が見るなの禁止を破ると女をはずかしめ傷つけることになり女が去っていく。 「「愛しい」の語源は「痛しい」だと言うが、愛する者が、私たちのために死んだ、あるいは傷ついたとすれば、それはじつに痛いことである。私は、国々や神々を産んで死んだイザナミとは、男性的自我にそういう痛い罪意識をひきだす存在であり、人間のために殺されたキリストに匹敵するものだと思う。ゆえに、この罪は「原罪」と呼ぶ

  • イザヤ・ベンダサン「日本教徒―その開祖と現代知識人」

    佳代とナジャのリヒテンシュタイン姉妹(ペルソナ)による対話ブログ。話題はシュルレアリスムからアニ横まで。Il est l'heure de s'enivrer! 「戦国時代から江戸期にかけてのキリスト教伝来とその迫害の様子に対して、一定の感心をもちつづけた遠藤周作だったけど、遠藤の興味のあるつよい一点に日において受容されたキリスト教は、来の西欧が意図したキリスト教でなくていわば日流にアレンジされちゃう傾向があったという部分におかれてたことはまちがいないと思う。これは遠藤は「沈黙」や「銃と十字架」のように、史実を借りた長編で表現もすれば、「十一の色硝子」のように現代を舞台にした宗教のあり方を問う短編でもくり返し問題にしてる。でもそこでひとつの疑問が読者にはあらわれるわけで、それじゃいったい日ふうにアレンジされるキリスト教とはいったいなんなのかな、また日の何が西欧の根幹的でおそらくも

  • 「日本の民話10 残酷の悲劇」」【瀬川拓男・松谷みよ子】 - hongming漫筆:楽天ブログ

    2005.07.21 「日の民話10 残酷の悲劇」」【瀬川拓男・松谷みよ子】 テーマ:最近、読んだを教えて!(24004) カテゴリ:民話(伝説・昔話) 角川書店1973.6.15初版 1974.2.20再版 古で探す 「貧しさの犠牲」「権力の残酷」「家をめぐる悲劇」「愛と性の残酷」に分類。 分類といっても、内容に共通点があるものもある。 「貧しさの犠牲」に分類されている「いかけの梅の実」の中で簡単に語られる部分が、「権力の残酷」に分類されている「唖になった娘」として独立した話になっている。 その「唖になった娘」は巻末の解説によると『全国的に分布する「人柱の悲劇」と「赤飯《あかまま》悲劇」の複合化した話』なのだそうだ。 「人、人をう」の隣家から死体の肉をわけてもらいにくる話は、何かので読んだ記憶がある。 「魚洗郷の祈り」は、隠れキリシタンの話で、「魚ということばはキリスト教の象

  • 『覇王の家』 司馬遼太郎著 徳川300年の安定社会をつくった三河武士集団を通しての日本人とは何かという評論 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    いわゆる小説ではないと思います。徳川300年の安定社会をつくった三河武士集団を通しての日人とは何かという評論だと感じました。だから小説を期待すると肩透かしかも。小説と評論の中間印象です。印象的なのは、あとがきで司馬遼太郎が、徳川三百年によって、織豊時代のクリエイティブな日人が奇形化・矮小化したと否定的にとらえている点でした。山七平さんの徳川家康観を思い出しました。とはいえ、徳川政権、江戸時代をどういうものを考えるか?ということは、日人とは何か?という大きな問いに答える基の問いの一つなので、こういう風にまっ正面からの疑問は、とても興味深い。 三河という今の愛知県の西には織田信長と豊臣秀吉を生んだ尾張国があります。そのすぐ東には松平徳川家の発祥の地である三河国があります。愛知県の西は濃尾平野で開けた稲作と商業の要地でその巨大な生産力と交通の要所という土地柄は、織豊時代の絢爛豪華さと機

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  • Amazon.co.jp: 持丸長者[幕末・維新篇]―日本を動かした怪物たち: 広瀬隆: 本

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  • 変わる日本史の常識 - 池田信夫 blog

    受験勉強のころお世話になった参考書が、10年ぶりに改訂された。いろいろ話題になっているが、古代史がかなり大幅に書き換えられている: 「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。 「任那日府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日の植民地でもなかった。これは『日書紀』の誤った記述。 世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。 「聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは

  • Amazon.co.jp: 「世間」とは何か (講談社現代新書 1262): 阿部謹也: 本

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  • 働きたくないブログ | 世間がゆるさない

  • Amazon.co.jp: 昔話と日本人の心 (岩波現代文庫 学術 71): 河合隼雄 (著), 鶴見俊輔 (解説): 本

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