会社と社員との間に立ち、さまざまな問題を対処する緩和剤的な役割をも担う、言わば、労働に関するエキスパートでもある社会保険労務士。 会社や企業に入社すると、ほとんどの場合、公的保険などへの強制的な加入が義務付けられている為、今後も、専門家としての仕事が途絶える事は考えにくいと言えます。 むしろ、保険制度や年金制度など労働に関するさまざまな法律や規定もより一層複雑化する事が予想されている将来においては、益々需要が高まる傾向にあると言えます。 ただし、社会保険労務士の需要自体が高まる傾向にあると言っても、ただ資格を持っているだけでは、その流れを有利に活用する事は難しい、と言えるかもしれません。 既に、労働環境や法律など、会社に関するさまざまな要素も年々複雑化している昨今ですが、近い将来、その変化も更に加速するのでは?と懸念されているのが実状です。 労働に関する全ての項目を熟知している専門家として
本日、新刊が発売になる。※ というわけで簡単に目次を紹介。 第一章 年齢で人の価値が決まってしまう国 第二章 優秀な若者が離れていく国 第三章 弱者が食い物にされる国 第四章 雇用問題の正しいとらえ方 第五章 日本をあきらめる前に エピローグ 第一章:年功序列という世界で日本だけの奇妙なカルチャーが生み出す様々な弊害について 述べる。このカルチャーにおいては、20代前半に人生最大の勝負どころがやってくるため、 うかうか寄り道なんてしていられない。 といって、勉強しすぎても、レールから弾き出されることになる。 そして、卒業年度に求人が少なかった人たちは“一階部分”に押し込まれる。 第二章:日本の雇用法制では既得権の見直しが行なわれないため、人件費抑制は昇給抑制と いう形で行なわれる。つまり賃金カーブは時間をかけてゆっくりと低下するわけだ。 これを予想した若手から流動化していくことになる。日本
ネットやテレビで話題になっていた本だったので読んでみました。 NHKと三菱総研との共同プロジェクトとして昨年9月に放送された、NHKスペシャル「"35歳"を救え」における取材メモや研究資料をベースに編集されたものです。 リーマンショック⇒リストラが増える⇒縦割り行政⇒だからダメ⇒さてどうしたらよいものか、というのが冒頭の「つかみ」ですが、取材を進めるうちにたどりついたのが団塊ジュニア世代で最も人口が多い"35歳"世代の存在です。 35歳世代が子供の頃に両親が自分にしてくれた、当たり前だと思っていた事が、今では当たり前でなくなってきました。衝撃的なデータで現状を示したうえで、将来のためにどうするべきかを考察します。 ○"35歳"世代とは 35歳世代はこれからの日本を支える団塊ジュニアといわれる世代の中でも最多の人口集団で、その数は男女計で200万人です。団塊世代は60歳を超えて引退し
・中空構造日本の深層 元文化庁長官の心理学者 河合隼雄の論考。もはや古典。日本の神話、昔話の分析を通して日本人の深層構造を理論化した。 1 アメノミナカヌシとタカミムスヒとカミムスヒの、アメノミナカヌシ 2 アマテラスとツクヨミとスサノオの、ツクヨミ 3 ホデリとホスセリとホオリの、ホスセリ 古事記にはそれぞれ3柱がセットで生まれてきたのに、その後の神話にほとんど登場しない影の薄い神がいる。たとえばアメノミナカヌシは漢字で書くと天之御中主であり、まさに世界の中心に位置する重要な神のはずなのに、その他の二柱と違って、古事記冒頭の記述以降はちっとも出てこない。アマテラス(太陽神)、ツクヨミ(月神)、スサノオ(海神)の組では、多くの文化で太陽神と月神はセットで活躍するのに、日本神話ではツクヨミの登場場面はほとんどない。ホデリは海幸、ホオリは山幸で有名な兄弟の争いの物語があるのに、一緒に生まれたホ
「平場」で知人に語りかけるようなフレンドリーな文体で書かれているが、 その内容は必ずしもとっつき易いものではないかもしれない。 見た目は柔だが喰って見たら噛み切れない骨が詰まっている肴みたいなものである。 つまり、本書には、日本および日本文化をその中心で捉えるという困難を引き受ける、豪胆さと緻密さが、平易な語りかけの背後に伏流しており、注意深く読めば読むほど、そのロジックがもたらす緊張感が高まる仕儀となる。 一読、これまでのところの、ウチダくんの作品の中では、白眉といってよい作品になっている。 同時に、これまでのところの、日本文化論の最高の到達点と示しているといってもよいと思う。 これまでの、(なんどもリフレインして申し訳ないが)、日本論あるいは、日本人の特性を示す形容はどんなものだったのか。 たとえば雰囲気に一気に流される付和雷同の傾向であるとか、容易に国際ルールに従わない陋古な島国根性
濱口桂一郎「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ」を読みました。 新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書) 作者: 濱口桂一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/07/22メディア: 新書購入: 18人 クリック: 400回この商品を含むブログ (72件) を見る 本書の構成は非常にシンプルで、序章の冒頭で「日本型雇用システム」の本質を提示し、その後、現代日本で生じている諸問題が、全てこのシステムの持つ性質によってもたらされるものであることを次々に明らかにしていきます。そして、それぞれの問題への答えとして、「日本型雇用システム」をどのように変えていくかを考えていくかたちになっています。 「日本型雇用システム」おける雇用とは、職務ではなくメンバーシップであると著者は説きます。これは、非常に優れた見方であると私は感じましたが、著者のブログによると 拙著の序章で示してい
・「空気」と「世間」 「空気を読め」の空気とは何か。「世間体」が悪いの世間とは何か。演出家 鴻上尚史が阿部謹也の「世間」論と山本七平の「空気」論を融合した。自分に関係のある世界のことを「世間」と呼び、自分に関係のない世界のことを「社会」と呼ぶ。「世間」が流動化してカジュアル化して現れたのが「空気」である、という定義をする。 欧米人は社会に属する人とつきあうことに比較的慣れている。日本人は見ず知らずの人に話しかけることが苦手だ。身内の空気の中に生きていると、冷たい水の社会(山本七平は水=通常性と呼んだ)の論理がわからなくなる。会社や日本を一歩出たら、そこは水の社会が広がっているのに。そこで空気の支配に対応するため「水を差す」役割の重要性が指摘されている。「王様は裸だ!」と指させる子供という、立ち位置が大切なのだ。 現代は地域共同体と会社という二つの世間の安定が壊れた。「世間と神は弱い個人を支
柾悟郎の「ヴィーナス・シティ」を読んだら、現在のネット文化についてかなり的確に予言している箇所がいくつも出てきて驚きました。特に興味をひかれたのが、仮想空間やネット社会における日本人の民族性についての考察です。(作品のタイトルにもなっているヴィーナス・シティとは、ユーザーが自己のアバターを操作してネット上の仮想都市の住人として生活を送ることができる娯楽サービスのこと。仮想現実の技術が今より進んだメタバース的なもの。) ヴィーナス・シティの日本人ユーザーの大半は、欧米人のようにアバターとして自分自身のイメージを使わず、おおむね白人タイプの、またはマンガやアニメやゲームのキャラクターに似せたイメージを使っています。これは現実でも、たとえばMMOとかでよくみられる現象です。セカンドライフなど実際のメタバースではどうなのか、僕は入った経験がないのでそこはなんともいえないんですが。 こうしたことの原
民主党の政策立案の中枢になる「国家戦略局」担当の副総理に、菅直人氏が内定した。人事としては順当なのだろうが、彼が戦略を立案できるのかどうかは疑問だ。社民党と一緒に彼が前の国会に提出した製造業の派遣を禁止する法案こそ、意図せざる結果を考えない非戦略的な政策の典型である。 そもそも国家戦略などというものを政府が立てることがナンセンスだ、とイースタリーのようなリバタリアンならいうだろうが、私はそこまで過激派ではない。よくも悪くも戦後の日本は1980年代まで、国家戦略なしで「超安定社会」を実現してきた。それが維持できなくなった今は、社会の中での国家の役割を見直す「メタ国家戦略」が必要だと思う。 著者もいうように、現状を「新自由主義の没落」とみるのは日本ローカルの発想であり、歴史学でも社会学でも大きな屈折点とみなされているのは、石油危機をきっかけとする「1973年の転機」である。これを機に「前期
・日本の神々 日本のカミの原型とは何かの源流をたどる。日本には弥生時代から8世紀の古事記・日本書紀成立までの1200年以上のアンドキュメンテッドな豊穣な歴史がある。それが記紀成立時に国策イデオロギーによって大きく変容した。さらに後代の神社神道、国家神道によって改変される過程で古来の要素はどんどんそぎ落とされていった。著者はその歴史の流れを逆流すべく、奄美・沖縄の古い神話からアイヌの神の世界まで、記紀以前の日本の神々の姿に関する手がかりを収集して、日本の神の原型を追究する。 「日本の神の源流をたどってみると、西洋の神にみるような、意志をもち人格をそなえた存在からはなはだ遠いものをカミと呼んでいるいことを知る。本居宣長は「可畏きもの」をカミと言った(「古事記伝」)。」 「原初的なカミは非人格的、非意志的であってむしろタマと呼ぶにふさわしいものであった。「霊魂そのものにはそれ程はっきりと思慮記憶
・アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る ヤマト王権成立の5~7世紀にはタカミムスヒが最高神で、律令国家が成立する8世紀頃にアマテラスが最高神にとってかわったのではないかという仮説である。 「四世紀までの日本には、第三章で述べるが、唯一絶対の権威をもつ至高神は存在しなかった。そこは豪族連合段階の社会にふさわしい、人間的で魅力あふれる多彩な男女の神々が自由奔放に活躍する多神教的世界だった。それは神話としての魅力には富んでいるが、先生王権が依拠する思想として適切とはいえない。それに比べると北方系の天降り神話は、唯一絶対性・至高性という点ではるかに勝っていて、統一王権を権威づけ、求心力を高める、思想的武器としての力を十分もっていた。」 日本書紀と古事記を比較して、先祖について記載のある氏の登場回数を数えると、地名を名とする半独立の伝統を持つ氏である臣・君・国造系と、職掌を名とする天皇の身内的氏で
先日の記事でも書いたように、長期雇用や年功序列の原型は軍や戦時経済にある。産業報国会は企業別組合の原型となり、「従業員雇入制限例」によって職場の移動を禁止して長期雇用が義務づけられ、「賃金統制令」によって請負給(親方が職工に払う出来高賃金)を廃止して年齢別の定額給が全国一律に決められた。しかし他の国では終戦とともに戦時体制は終わったのに、なぜ日本だけ「総動員体制」が戦後も60年以上残っているのかという問題は残る。 その一つのヒントは、本書に書かれているGHQの占領統治だろう。ドイツが米ソに分割統治され、ナチの党組織と官僚機構が徹底的に解体されたのに対して、マッカーサーは軍と内務省は解体したが、それ以外の官僚機構と天皇制は温存する間接統治の方針をとった。このため、日本の政治システムは「民主主義」になったが、行政のインフラは明治以来かわらない官僚機構が握り続けたのである。 内務省がなくなっ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く