うさぎのみみちゃん @usagitoseino 「読めるけど理解できない」とかそういう問題じゃなくて、全体を単語や目に入りやすい短文で判断しがちよね。1を知って10を知らなくていいのよ。ちゃんと見ないと本質なんてわからないんだから。 pic.twitter.com/r9HOf1lU91 2018-12-05 06:49:44
昔から気になっていることの一つとして、「もしかして俺ってメールとかLINEとかの返信めちゃくちゃ下手くそじゃね?」 というのがある。 例えば、 「今日は楽しかったね!また遊ぼう!」 みたいなメールが来たとして(来たことないが)、 「俺も楽しかったー!」 までは、まあすぐ出てくるんだけど、「また遊ぼう!」の返しに困る。 すげえ困る。 メール返すに当たって心がけてる俺ルールに、 「送られてきたメールの文字数を過度に超えたり減ったりしないこと」 「問いかけが複数ある場合はなるべくその全てに答えること」 「なるべく顔文字は使わないこと」 ってのがあるんだ。 これがすげえ面倒。 まず「また遊ぼう!」に対して何も返さないのは論外なわけ。 で、「また遊ぼう!」だから6文字じゃん、じゃあだいたい5文字から、せいぜい10文字かなあってなるわけ。 15文字はなんかがっついててキモいし、3文字は冷たい。 相手と
2015年のインターネットを振り返って、お互い反目しあい、貶しあい、誰かにNoを突きつけあう風景ばかりを思い出した。異なるルールや価値観を信奉しあう個人と個人、グループとグループが理解しあう――せめて相手の存在を許容しあう――ツールとしてtwitterやSNSやブログが使われた風景は稀だった。2015年のインターネットは、わかり合えない人間同士のディスコミュニケーションを映し出す道具だったと思う。 もちろん、ルールや価値観をシェアする者同士は、自分(達)を肯定するために「いいね」の輪を広げあっていた。だが所詮は「わかっている者同士の「いいね」」であり、「自分の似姿に対する「いいね」」であって、自分と違ったルールや価値観に対する「いいね」ではなかった。 社会には、異なるルールや価値観を信奉している人間やグループが無限に存在している。昨今のインターネットは、そのことをよく教えてくれると思う。
ネットには、暇があればケチをつける対象を探し、批判し、晒し、悪口を言ってる人がいる。 こういう人たちのことを、中川淳一郎さんは「どう考えても暇人としか考えられない」としていた。 どこからそのモチベーションが沸いてくるのかを考えると、暇人だからとしか言いようがない、と。 中川さんの本にヒントをもらい、自分なりに色々と考えてみた結果、ネットで他人の悪口ばかりを言ってる人は3つに分類できるという結論に至った。 もちろん、何かツッコミどころのある言説に対して、真っ当な批判することが悪いわけではない。 「メインコンテンツが悪口になっている人」についての考察である。 ネットで悪口ばかり言ってる人は、以下のどれかに当てはまるパターンが非常に多い。 妬み・僻み系 過剰な自己投影・被害者意識 承認欲求ゾンビ それぞれについて考えてみよう。 妬み・僻み系 過剰に自己投影し、被害者意識が激しい人 承認欲求ゾンビ
なぜだかわからないけどTwitterでブロックされる・嫌われる、という人のために リアルでうまく人と交流できないから、せめてTwitterで人とつながれれば、と思ってTwitterを始めたのに、どうもうまくいかないという人はいないだろうか。たとえば、自分としては十分ていねいに話しかけているつもりなのに、以下のようなことが起きる。 なぜか相手が怒り出す なぜかブロックされる なぜか無視される 何を質問しても拒絶される それで、願っていたようなコミュニケーションが成り立たないし、ツイ友も増えていかない。孤独感やフラストレーションは増していくばかり… 今回はそんな人のために、ちょっとしたTwitter利用マニュアルを提供する。以下、ブロックされないための大前提と、押さえておくべき「見えないルール」を、私にわかるかぎりの範囲でできるだけわかりやすく提示していきたい。 ブロックされないための大前提
azanaerunawano5to4.hatenablog.com たしかに、「イエスマンばかりで周囲をかためた社長」とか「秘密警察にすぐ通報される国」みたいなのはイヤだなあ、と思うんですよ。 ネットに閲覧制限もかけずにアップロードしたものは、世界中から見られる可能性があるので、いろんな人がみて、いろんな立場からの意見や批判が出てくることがあるのは、やむをえないし、むしろ健全なことなのだ、というのも同意します。 最近、誹謗中傷と批判を区別できずに「オレを批判するな!」といった意見をよく見かける。 しかし「これは素晴らしい」「いいね」ばかりのコミュニケーションが果たして健全なのか。 ただ、僕自身、長年ネットをやってきているにもかかわらず(というか、長年ネットに関われば関わるほど)、「誹謗中傷と批判って、そんなに簡単に区別できるんだろうか?」という疑問は解消されないままなんですよ。 それは、「
「メールでアメリカ人に問い合わせをしているが返信がこない」、というのは外資系企業に勤めていればよくある話。その内容が難しければ難しい程、返信率は悪くなる。もちろん、日本人でもレスの遅い人、しない人はいるが、度合いの問題。アメリカ人の場合はかなり気合をいれて、しつこくプッシュしないと返事がもらえないことが多い。 一番良いのは電話をすることで、電話をしてみると「おぉ、あの件ね、見た見た」みたいな感じで話が進むことが多い。メールで聞いていることを一々電話しないといけないのはかったるいし、時差や言語の問題があって容易ではないし、そもそも「お前、見てるんなら返信くれよ」という思いもある。 でも、そういうことで頭を痛めている人は、理解しておいたほうが良い彼らのメンタリティがある。それは「何度もプッシュされないということはきっと大事なことではないんだ」という考え方だ。メールを出して返信がしばらくこないも
コミュニケーション能力に優れている限りにおいて現在の地方国道消費生活は居心地良いのは事実かもしれないけど、コミュニケーション能力劣位かつ東京へ逃げ出す資金又は理解のない家庭に育ったアンダー18の子供たちの“逃げ方”については、せめて心構えくらいは本職なりに提示して頂きたかった。 2014-10-30 10:16:36 via Tweetbot for iΟS to @p_lost かなり前、拙著融解するオタク・サブカル・ヤンキー ファスト風土適応論について感想を頂きました。そのなかでずっと引っかかっていたツイートがこれです。 この『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』は、三十代〜四十代の男女、特に90年代〜00年代のオタク・サブカル・ヤンキーを覚えている人を想定読者として作った本でした。ですから十代の社会適応については深入りせず、元オタクや元サブカルの軟着陸を後半の主題として選択しました。
はてなの人たちにリクエスト リンク先の筆者へのお返事として。 1.私も、この数十年間で一番インパクトのある社会変化は情報通信分野と、それに伴うコミュニケーションの変化だと思う。 「情報がタイムラグゼロで伝達できること」「相手が目の前にいなくても情報交換できること」そのものは、電信電話や無線通信の発明以来のもので、「不特定多数とのコミュニケーション可能性」という点ではアマチュア無線が存在していた。そういう意味では、20世紀末から起こった“情報革命”は既存の技術の延長線上に顕れたものであって、無から有が生まれたわけではない。 でも、携帯電話やインターネットが全国津々浦々で使用できるようになり、実際誰もが使用するようになった時、コミュニケーションはガラリと変わった。例えば、クラスメートの一人や二人がアマチュア無線を始めたとしても、クラスのコミュニケーションは変わらない。けれどもクラスメート全員が
期間限定サイト「村上さんのところ」をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。 連日たくさんのアクセスをいただきました当サイトですが、2015年5月13日をもって、公開を終了させていただきました。当主の村上春樹さんは、しばしの休憩をとったあと、本来の小説のお仕事に戻っていらっしゃいます(当主からの最後の挨拶はこちら)。 1月15日のオープン以来、119日間という限られた期間でしたが、読者のみなさまと村上さんとの交流はたいへん面白く、そして意義深いものとなりました。3万7465通のメールをお寄せいただいたみなさん、そして、最後までご愛読いただいたみなさんに、あらためて感謝を申し上げます。 なお、当サイト上での質問者のみなさまと村上さんとのやりとりは、編集の上、新潮社より出版されます。くわしくはこちらをご覧ください。 新潮社 チーム縁の下
後編: ドワンゴ川上会長、「炎上は放置、謝らない」 山田: いきなりの質問なのですが、こういうものを紙の書籍としてまとめることの意義をどのように考えていますか。すべてインターネットでやってもいいように思えます。 川上: 僕自身も含めてですが、現代人は本になっているかどうかで、信用度を判断する感覚を持っています。ネットにあるものは変わっていくものだし、いつもあるとは限らない。それに対して書籍というものは、ある知識が、ある時点で、ある完成品の形として固定されるわけです。そういうものに対して敬意を払うという習性を人間が持っているということは、人間社会をある知識体系を構築する情報システムとして考えた場合、重要なことです。知識のハブとなっている部分を書籍化するという行為は、まだまだ役割を持っていると思います。 山田: そう考えると、これがしっかり売れていくことが重要ですね。情報のアンカーとして紙の書
日亜化学「感謝で十分」 中村氏の関係改善呼び掛けに - 47NEWS(よんななニュース) 昨日、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんに対する日亜化学の「感謝で十分」「貴重な成果を生み出されるようにお祈りする」というコメントに、ネットユーザーが盛んに反応しているのを見かけた。はてなブックマーク上では、丁寧なお断り以上の深読みというか、呪詛だ、嫌味だ、ブブ漬けだと、さまざまなニュアンスを汲み取ったコメントが並んでいた。 確かに、 「貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく研究に打ち込み、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようにお祈りする」としている。 http://www.47news.jp/CN/201411/CN2014110401001552.html このフレーズに登場する“など”という一節から、慇懃無礼を想像するのは容易い。「お祈りする」というフレーズから就活の不採用
Apple が噂のスマートウォッチ、Apple Watch を発表した。個人的にはジャッキー道斎さんの提案により「りんごっち」と呼ぶことにした。 Apple Watch Comes With Its Own Terrifying, Animated Emoji さてこのりんごっち、意外にとんでもない機能を備えてる。時計の盤面にさらさらと書いた図形をそのまま他のユーザーに送信できるのである。図形を描き送信して消える動作は実に美しい。これは見たところ、3Dのスマイリーの顔を変形させて送ることなども可能なようであった。米GizmodoはApple Watch Comes With Its Own Terrifying, Animated Emojiとして伝えてる。 これを見て真っ先に思い出したのが enchantMOON 、そして LINE であった。 enchantMOON は描いたものがオブ
快適なネット生活をおくる秘訣、それは「つぶやかない」こと。 緊急忍耐力対談:ココロ社×加野瀬未友 コミュニケーションツールが日々便利になっていくその裏で、ネットは今日も人々を炎上へと導いている。つい暴走しがちな夏、危険を避けて快適なネット生活をおくりたいとお考えの方へ向け、ネット上でのコミュニケーション術について詳しいお二人に、緊急対談をお願いした。 ココロ社(こころしゃ) Twitter:@kokorosha ブログ:ココロ社 ほのぼの四次元ブログ1971年・大阪生まれ。東京大学文学部を卒業後、「人生是忍耐」という真理に気づき、あえてノーマルなサラリーマン稼業を選択し、持ち前の忍耐力を発揮して、珍妙なブログの運営および、ギリギリ系自己啓発書の執筆などを行っている。主な著書に『クビにならない日本語』(翔泳社)、『超☆ライフハック聖典』(技術評論社)、『マイナス思考法講座』
はい、どうも、皆さんこんにちわ。リアルどころかネット上ですら人と絡むのが苦手な男、mimizuku004でございます。 そんな僕ですが、こないだも書いたように、最近はコミュニケーション・サービス*1であるところのtwitterをやっておりまして、四苦八苦しながらも、どうにかフォローが300を越すところまで参りました。 フォロー300なんて、アルファの方からすると、一瞬の通過点にしか過ぎないだろうとは思うのですが、 ふと思ったんだけどネット上ですら、あんまり人と絡もうとしないネット引きこもりの俺がそういう人のためのついったエントリ書いたらわりと需要あんでねっていう。 余四郎 on Twitter: "ふと思ったんだけどネット上ですら、あんまり人と絡もうとしないネット引きこもりの俺がそういう人のためのついったエントリ書いたらわりと需要あんでねっていう。" と呟いたら、ちょいとばかり反応がありま
過去2回のエントリで“横の壁”と“縦の壁”について書いたのですが、ふたつのエントリは綺麗に、“理論と実例”となっています。二つ目の“縦の壁”のエントリに関する読者の方の反応に、“ネットにおいて横の壁が低すぎるため、無意識に壁を乗り越えて集まった様々なセグメントの方の意見”をみることができるのです。 具体的には、既存の社会で下記のように分断された3つのセグメントがあります。 それらの方々がネット上のブログでは同じエントリを読み、それぞれのコミュニティの常識に基づいてコメントをつぶやいていらっしゃいます。 ちきりんが社会人になってすぐの頃、先輩から「月曜の日経新聞の一面記事には、世間の意見を聞くための記事が多いんだよ」と教えられました。土日は経済活動の多くが止まるため、月曜日は記事が少ない。そこで余った紙面スペースに官僚や政治家が「国民の意見を聞きたい政策案」を載せて、国民の反応をみる、という
最近、知人友人から届く電子メールの文面が短い。 たとえば昔は↓ ちきりん 元気?日焼けは治った?この年になって日焼けするとあとが怖いよ〜 ところで、来週の土曜日ヒマ?○○の家で飲もうって話になってるんだけど、どう? 久しぶりにxxとかも誘うっていってたよ。これそうなら連絡してね。買い出しの分担とか教えるから。 そうそう、この前もらった○○のxx、めちゃ美味しかったね。また食べたいです。 じゃあ、返事まってます。 ○○より 今はこんな感じ↓ ちきりん、来週の土曜日ヒマ?○○の家で飲もうって話になってるんだけど、どう?久しぶりにxxとかも誘うらしい。これそうなら連絡してね。買い出し分担とか教えるから。 もしくは、昔が ○○会社 ○○部門 ○○ ちきりん様 先日はお忙しいところ、お時間を頂き、大変ありがとうございました。 弊社担当者もちきりん様のお話を大変興味深く思ったようで、是非今後ともプロジ
ネットメディアと既存メディアの大きな違い。それは、セグメント間の壁がすごく低いってことです。 あまりに壁が低すぎて、多くの人は壁の存在に気がつかないくらいだったりする。そしてそのために、多くの人が無駄にイラついたり、怒ったりしてる。 どういうことか? ★★★ 雑誌や新聞、テレビのような既存メディアの場合、大半の人は「自分のセグメント向けに作られたものだけ」を目にします。 そもそも新聞や雑誌は有料だから、自分が属さない層向けに作られたものは買わないよね。 若い女性がスポーツ新聞を読むことは希だし、若者が高齢者向けの健康雑誌を見ることもほとんど無い。 地上波テレビだってターゲットにあわせた番組編成をしてるので、超夜型の若者がたまたま朝まで起きてて、早朝の高齢者向け番組を目にする時くらいしか「違う層むけ」の番組は目に入らない。 ところがネットだと、検索エンジンは“サイトの性格”を検索するわけでは
ブログにmixi、さらにTwitterというツールまで登場した今、それらを器用に使いこなしている人も多いが、自分にはどのツールが一番合っているのか、また使っているツールの楽しみ方がわからず戸惑っている人や、とりあえず使い始めてはみたものの複数のツールをどう使い分けるかに悩んでいる人も多い。筆者も「Twitterってなんか面白そう」と思いつつ、始める勇気が出ずに出遅れている一人だが、使った方がいいのか、また使うならどのような点に注意すれば楽しく使えるのか、そういったネットツールをあまり使いこなせていない人がどのように各ツールとつきあっていけば良いのか、多様なツールを使いこなしている、ネットに詳しい加野瀬未友氏に聞いてみた。 ネット初心者が、いきなりTwitterデビューするのは危険!? ――現在、Twitterが普及してきて一般の方から有名人まで多くの方が使ってらっしゃいますが、Twitte
しばらく前から、うちのブログはコメントを承認制にしてあります。最初の頃は忙しくなってきたので、その間にスパムが入り込むとまずいからそうしていたのですが、やや余裕が出来てからも解除しないままにしてあります。それはちょっとコメント欄の存在意義が本当によい方向に働いているのかという疑問が生じてきたので。今日はそんな感じでブログのコメント欄について考えたことを書いてゆきます。 昔は「ブログのコメント欄は原則あるべきもの」と思っていた コメントが第三者に及ぼす影響 ブログコメント欄の存在意義は変わってきているのではないか 昔は「ブログのコメント欄は原則あるべきもの」と思っていた そのサイトの管理人(書き手)が何か書いたものに読み手がコメントを残せる形のものは、ブログ以前からコメント欄や掲示板の設置などで存在していました。そしてブログが普及すると、そのシステムとしてトラックバックと共に自動的についてく
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