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2011年8月13日のブックマーク (4件)

  • 「大鹿村騒動記」を見て - mmpoloの日記

    映画「大鹿村騒動記」を見た。主演の原田芳雄が先日急死し、それが話題になったのかヒットしているという。だが派手な映画ではない。 大鹿村は長野県の南部に実在する山村だ。岩塩が採れ鹿が舐めに来るとかでこの名がある。日に何かのバスが走っているくらいの僻村だ。私の生まれ育った喬木村が大鹿村の隣の隣にあるので多少は知っている。そんなことでこの映画も見たのだった。 大鹿村では300年続く大鹿歌舞伎が行われている。主人公の原田芳雄は鹿肉をべさせる堂を経営し、さらにこの歌舞伎の役者だ。冒頭で突然二人の男女が現れる。18年前に駆け落ちして原田のもとを去った原田の(大楠道代)と友達(岸部一徳)だった。大楠は認知症になっていて原田のことも分からないし、蚊取り線香をべ物と思ってしまう。だから返すと言って岸部が連れてきた。そんな3人の関係が歌舞伎の上演と絡めて進んでいく。 それなりに面白かった。少し不満を述

    「大鹿村騒動記」を見て - mmpoloの日記
    sphynx
    sphynx 2011/08/13
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    sphynx 2011/08/13
  • 坂のある非風景 言葉は信念が残す

    打ち明けると、愛すべき作家が別の愛すべき作家について語るのを聞きたい。トニオ・クレーゲルのように、私が愛する二人が私を忘れて愛し合うことを絶望とともに望んでいた。 しかし白状すると、フィリップ・ソレルスの『セリーヌ』はとても読み進むことができない。訳がソレルスにもセリーヌにも届いていない。ずっと同じ単調な音楽が流れていて、それが文体のことだと思っているわけだが、その音楽は騒がしいファストフード店で流れているBGMにしか聞こえない。つまりほとんど聞こえなかった。 セリーヌのエクリチュールを流れる小さな音楽は彼のグロテスクな言葉の背後に流れる主旋律だし、ソレルスには音楽しかないはずだった。それなのにこの翻訳には意味だけを伝えようとして言葉が並べられた。意味では語ることができないほど大きな愛をソレルスはセリーヌに、意味の手前で、絶えず捧げているのではないだろうか。 だから意味だけを伝える言葉はも

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    sphynx 2011/08/13
  • 古本夜話123 小島威彦『世界創造の哲学的序曲』と西田幾多郎 - 出版・読書メモランダム

    田中美知太郎は『西田幾多郎』(『日の名著』47、中央公論社所収)の上山春平との対談「西田哲学の意味」の中で、東京のアカデミズムにおける京都学派の「インペリアリズム」のことを語り、小島威彦がその世話役だったと述べている。 ともに獄死することになる三木清や戸坂潤が西田哲学の左派であったとすれば、小島威彦は右派に属し、その延長線上に著作を刊行し、国民精神文化研究所に入り、ヨーロッパに留学し、世界創造社と戦争文化研究所を立ち上げ、スメラ学塾創立に至ったと考えられる。 しかしそれらのストーリーに見合う自らの思想的回路や位相が、『百年目にあけた玉手箱』に明確に語られているわけではない。そこで昭和十一年に改造社から刊行された小島の最初の著書『世界創造の哲学的序曲』を読んでみた。ただこのが小島の処女出版であるにもかかわらず、そのモチーフは自伝の『百年目にあけた玉手箱』の中でも具体的に述べられていない。

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    sphynx 2011/08/13