仮に、書かないことが書くこと以上に意味をもつ場合があっても、書かれない文字が語ることを聞くのはむずかしい。読みたいことを読んでしまうからだ。「読んではならない、見るのだ」。言葉は文字となって再生するだろう。輝くのではない、燃えるのだ。 どこを見渡しても奴隷しかいないが、そのとき私は彼ら奴隷たちの奴隷である。ただ、彼らが流されてゆく流れよりも早く流れていけるだろうか、課題はそこにある。海に出ない流れは全部、橋を架けることができない越えられない壁である。 『吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち』という書物で瀬尾育生が紹介して知ったが、『アヴェロンの野生児』という本に、狼に育てられた少年に言語を習得させようとして手をつくす話がある。あるとき、少年がひどくのどが渇いていてコップに入った水を与える。少年はその水を飲み干すと「ウォーター」と言ったが、結局、そのひとこといがい言葉を話すことはなか