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心の力についてかなりまとまったことが書かれているし、これはレッスンの基本原理でもある。 二日空けてしまったが、前回の章での心のことはこの三日間ずっと心にひっかかっていた。その間、個人的に感情が切れそうになったこともあった。 心についてこう記されている。 There are no idle thoughts. All thinking produces form at some level. これは、いわゆるニュー・ソート系によくあるテーマなのだが、Acimでは逆説というのでもないが、ニュー・ソート系とは異なっている。ニュー・ソート系では、思考は自がの欲望の道具だが、Acimでは聖霊を招くためのものだ。 Few appreciate the real power of the mind, and no one remains fully aware of it all the time. H
原発事故の後を見ていて、なるほど刻まれたはずの歴史は、着々と書き換えられて行ってるなと思う。サイレントマジョリティが社会を動かさない仕組みは健在だ。 自分の持っている力は、歴史を確定させられる事なんだと今更ながら思う。思っていたより珍しいものなんだよな、たぶん。 自分の一番書きたい事ってのは実は書けなくて、今も何を書いて何を書かないのか、考えながら書いている。 その曖昧さが読む人への伝わり方の弱さになるし、はっきり書けば魅力に欠ける文章ということになる。 わたしが自分の名前を明かして、社会の一員として書くなら、もっと明確な、意思の明瞭な言葉になるんだと思う。無論それには健康というものが必要だけれど。 同じ所で同じ事をやっていると、だんだんと自分はそれに飽きてくる。ここで書き始めた頃に比べると、同じブログと思えない程形も変わっているし、音を組み合わせるのも結構おもしろかったけど、だんだん音楽
【注意】こんなにあった!あなたの自宅が特定されるツイートまとめ - いまトピ この記事について、はてなブックマークでこんなコメントを書いた。 もしだれかおれの自宅を特定したら、郵便受けに千円札とかねじ込んでおいてください。 取り立ててなんということもない戯言なのだけれど。戯言なのだけど、なんか自分のドアの郵便受けに千円札がねじ込まれてるのを想像すると、これがすごく「いいなぁ」の風が吹いてきて止まらないわけ。なんにもしないのに、家帰ったらドアに千円札ねじ込まれてるの。悪くないじゃない。悪くないじゃないどころじゃないじゃない。たまに五千円札とか一万円札とかねじ込まれてたりするかもしれないのよ? 一万円って書いとけばよかったかしら? いや、十万円? いいわね、それ、勝手に郵便受けに……。どういうシステムなのかわからないのだけれど、いいに決っているわ。そういうことってないのかしら。そういうサービス
一部のお客様が怖くてたまらない これを読んで思い出したのは、スーパーでバイトをしていた弟の話だ。その内容はというと……ここに挙げられているような人のいろいろのエピソードだった。正月最初の営業日、最初のお客様を店員一同でお出迎えしたら、腐ったミカンのクレームのために待ち構えていた「常連」だったとか。笑える話だった。まあ、ミカン腐ってたらあかんけど。まあしかし、一方で、笑えない話だな、とも思った。 ひとつには、自分が店側の当事者として事にあたる場合。おれが接客業をするなどということは考えられないが、人生何があるかわからない。もしそうなったら、そんなものに耐えられそうにないな、という怖さ。もしかすると、店員というロールに徹し切ることができればやりすごせるかも? などと思うが、そんな可能性は低いだろう。おそらくおれは、普通の婦人に「青のりはどこに置いてありますか?」と聞かれただけでストレスを感じる
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