タグ

ブックマーク / anatataki.hatenablog.com (21)

  • 矢部嵩は天才である。(4)――『魔女の子供はやってこない』 - TBCN

    四年ぶりの長篇 第三作『魔女の子供はやってこない』(角川ホラー文庫、2013)は、前作『保健室登校』(同、2009)からちょうど四年ぶりに刊行されました。技巧と物語が高度に洗練されたこの小説は、おそらく矢部嵩的世界の現時点での頂点を極める作品で、私もうまく読むことができたかどうか、紹介するに自信がないんですけれど、とりあえずは、これまでのように語ってみることにします。 作は「魔女っ子もの」を企図して書かれたとされていますが、ジャンルものとして一般的なそれとは大きく異なっていると思います。魔法で願いを叶えることのできる人物(魔法少女ぬりえ)が異界からやってくるという設定はドラえもんを、彼女の相棒を務める平凡な小学生が語り手(安藤夏子)という形式はシャーロック・ホームズものを思わせると、ひとまずはいえるかもしれません。でも、相変わらず頻出するグロテスクな描写もさることながら、しかしふつうの子

    矢部嵩は天才である。(4)――『魔女の子供はやってこない』 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/07/28
  • 「これは推理小説ではない」 - TBCN

    これまで何度か触れたことのある話題ですが、今回はもう少し詳しくまとめておきます。 ※ 解決編で登場人物が「これは推理小説ではなく現実なのだから……」といって、平々凡々な真相を示す作品の系譜というものがあります。そのセリフによって、トリックがショボクレているとか、そもそも無いとか……そういうのを免罪しようとするものです。しかし、その大方はどうも、「開き直りでは?」と感じられるように思います。他の読者からもあまり良い評判を聞いたことがない。にも関わらず、いまだにそうした作品は書かれ続けている――。 ※ 思うに、その源流には、推理小説とリアリティの相剋をパロディ的に扱った作品があるのでは。私が読んだことのある中で、最も古い代表例というと、ノックスの『陸橋殺人事件』が浮かびます(もっと古い例をご存知の方は、ご教示いただければ幸いです)。 1925年発表のこの長編は、当時の推理小説を巧みに皮肉ったも

    「これは推理小説ではない」 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/07/28
  • 殊能将之を再読する/『黒い仏』(3) - TBCN

    【殊能将之『黒い仏』の趣向に触れていますので、未読の方はご注意ください】 「軽さ」について 『黒い仏』には、それまでの二作と比べてある「明るさ」、それも「軽さ」から通じてくるような「明るさ」を感じる。しかし「軽さ」なら、『ハサミ男』や『美濃牛』にもあった。それは既存のジャンルから道具立てを借りて並べてゆくコラージュの手法によるものでもあったと思うが、そこにどうにも笑い飛ばすことのできない死のトーンが張り付いていることは、これまで述べてきたとおり。ではこのコラージュという「方法」は、いったいどのように「明るさ」を獲得したのだろう。以前にも紹介した、巽昌章氏の時評を再び、もう少し詳しく引く。 『黒い仏』では、こうして、二つの異なる世界が並行しながら動いてゆき、一見闇の世界の方が優位に立っていると見せながら、実は石動の得体のしれなさが化け物たちを振りまわしているともとれる、反転図形のような構造を

    殊能将之を再読する/『黒い仏』(3) - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/07/28
  • 占いの思い出 - TBCN

    anatataki.hatenablog.com そういえば今年の一月ころ、生まれて初めて「占い」というものを紹介されて体験しました。 それはタロット占いでした。わたしはタロット(都筑道夫ふうにいえばタロー)が実際にはどういうものかもよくわからない状態だったのですが、占い手の方もフツーの感じで、別に超自然的なものを人格として捉えて、つまり「霊感」を「占い」の根拠としているわけではない。どちらかというと、カードで出た結果をダシにして、カウンセリング(カウンセリングを受けたこともないのですが)というか、対話によるセッションを行なう、という感じがしました。 まずどういうナヤミについて話すかを決める。わたしがカードをいくつか引く。なんらかの図柄が出る。この図柄は○○という意味なので、思い当たるかどうか、尋ねられる。正直、ピンとこないことも多い。占い手の人ももちろん私の個人的な事情は何も知らない。わ

    占いの思い出 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/07/28
  • 一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(1) - TBCN

    発売のアナウンスがあった時は「短篇が執筆されていたのか?」と目を疑ったけど、『殊能将之未発表短篇集』(講談社、2016)には短篇が三つと、私小説ふう日記エッセイ一つが収められている。短篇のうち、「犬がこわい」は犬恐怖症の男とその近所に現れた巨大犬をめぐるやや日常の謎を思わせる話で、「鬼ごっこ」はヤクザらしい追う者と追われる者との疾風怒濤のバイオレンス・アクション、「精霊もどし」は生きている死者を題材とするどちらかといえばホラー寄りで、後者二つは自身フェイバリットを公言していた黒沢清の感じに近い。いずれも純然たるミステリというよりは、いわゆる「奇妙な味」というか、『異色作家短篇集』『奇想コレクション』などに入っているようなタイプ。かつての日記「memo」「reading」にあったような志向からすれば、こういった作品は確かに、書かれていてもおかしくはなかった。 とはいえこれまで著者の短篇といえ

    一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(1) - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/02/09
  • 一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(3) - TBCN

    (承前) かつて『Before mercy snow 田波正原稿集』(名古屋大学SF研究会、2013)を読んだ際、私はフィリップ・K・ディック『ヴァリス』論の次の一節に目が留まった。 たったひとつの言葉が気にかかる。は『暗闇のスキャナー』、「作者のノート」。 「なにかべつの遊び方でかれらみんなをふたたび遊ばせ、楽しい思いを味わわせてあげたい」。 これを読んで、ああ、ディック自身は遊ばないんだな、と、ふと思った。「かれらみんなとふたたび遊び」ではないのだ。「遊ぶ」のではなく、「遊ばせる」こと。おそらく傷つきやすい、エゴイスティックな、ナルシスティックな魂がここに見られる。ディックは「遊ばせる」者、つまり神を希求した。いや、神になろうとした。 しかし旧約の神だけが神ではたい。神とはむしろ「遊ぶ」者ではなかろうか。(「ヴァリス狩り」) そこを引用し、いろいろ述べた上で私はこう書いた。 言葉=論

    一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(3) - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/02/09
  • 2017-02-09から1日間の記事一覧 - TBCN

    遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 すっかりミッド・ウィンターですね。 ※ これは前にも同じことを述べたような気がするんだけど、何か書く(あるいは作る)時のやりかたを有酸素運動と無酸素運動にたとえれば、私はかなり無酸素系である…

    2017-02-09から1日間の記事一覧 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2017/02/09
  • ■ - TBCN

    いわゆるPPAP動画を見たのは二週間前で、それでようやく私は、一連の話題がどういうものであるかを知った。 それからいろいろなアレンジバージョンを見たりすると、やはり元がダンス調だからか、EDMふうのものがピッタリくるように思った。 http://fatherlog.com/ppap-arrange/ しかし一番印象ふかいのはこのWHITE JAMというクリスマスソング風の人たちである。 https://youtu.be/yl_rfoI313c 音楽版文体練習と化した素材としてのPPAPはそれ自体ほとんど無内容である。だから各人のアイデアと技術力の差が浮き彫りになるが、レベルが高ければ高いほど「◯◯風」という形式自体がもつ力も感じられてくる。 上記クリスマスソングの映像は物語仕立てになっている。歌詞自体に物語性は皆無なのにもかかわらず、どういう内容のストーリーであるかは一見すればわかる。それ

    ■ - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/12/20
  • ウッドハウス漫画 - TBCN

    現在のP・G・ウッドハウス翻訳隆盛の端緒となった『比類なきジーヴス』が、国書刊行会から3巻シリーズの第1巻目として出たのが2004年の秋だから、ほぼ5年が経とうとしている。その間に国書刊行会をはじめ文藝春秋、集英社と、10冊以上が訳され、勢いはまだまだとどまる所を知らない。 多すぎるくらいだ。ペースが早い。短い間にそんなに読みきれない。最初の方は熱心においかけたものの、この3年ほどはさぼっていた。最後に読んだ『ウースター家の掟』は素晴らしかったのに。 いわゆる「ジーヴスもの」は、貴族の若旦那バーティーとその執事ジーヴスの話で、バーティーとその周囲のいいご身分な金持たちの巻き起こすバカ騒動を完全無欠の執事ジーヴスが毎回、解決するという――ドラえもんみたいな――定番パターンなのだが、時にマンネリ気味になりながら、ストーリーはあの手この手で波乱万丈、当時(約100年前)の風俗も描かれた楽しいシリ

    ウッドハウス漫画 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/07/16
    “いわゆる「ジーヴスもの」は、貴族の若旦那バーティーとその執事ジーヴスの話で、バーティーとその周囲のいいご身分な金持たちの巻き起こすバカ騒動を完全無欠の執事ジーヴスが毎回、解決するという――ドラえもん
  • 彼女(たち)について…… - TBCN

    でも文庫版(2002)に出会えないので、金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(2000)を単行で買った。 単行も今やあまり見かけないのだが京都の有名個人書店、三月書房で「定価から60%引き」のセール価格だったので、手に取った。 内容は、『小春日和 インディアン・サマー』の主人公・桃子が、あれから十年、「紅梅荘」に住み続けながらフリーター生活をしていたところへ、出版社に勤めていた親友の花子が退職して荘に帰って来、岡崎さんという隣人も越してきたことで、小説家のおばさんを交えた四人で、べたり飲んだりしながら喋りまくる……のがメイン。 そこに弟の結婚、母親の再婚まで絡んできて、周囲の状況も変わりだし、桃子も「このままで良いんだろうか……」と焦りを感じつつ、また飲んでってお喋りに興じる。 母親の結婚の話などはかなりドラマチックになるはずなのだが、着ていく着物がどう

    彼女(たち)について…… - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/07/16
  • ■ - 立ち読み師たちの街

    sphynx
    sphynx 2016/07/16
  • 一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(5) - TBCN

    『殊能将之読書日記』を読み返していて、瀬戸川猛資の死去と殊能将之のデビューがほぼ同時期であることに思い当たった。以下、そのあたりのことをおさらいしてみる。 1999年3月16日、瀬戸川猛資が肝臓ガンにより死去。「メフィスト」編集部が座談会で『ハサミ男』の作者へ呼びかけた号の校了がこの直後だろうか。 4月3日、福井の田波正は書店で「メフィスト」を手にし、巻末座談会で『ハサミ男』の受賞を知る。 5月28日、創元ライブラリより瀬戸川の代表作『夜明けの睡魔』文庫版が刊行。解説は法月綸太郎。わずか二ヶ月だから、この文庫化企画が死去を受けてなのか生前から進んでいたのかはわからないが、四月に法月が『夜明けの睡魔』を読み返していたことは間違いないと思われる。 一方、四月、五月と田波は、急に決まった受賞作刊行へ向けて改稿作業を進めていた。その流れの中で、『ハサミ男』の推薦文を法月が書くことが決まる。法月が読

    一、二、三、そして〈遊ぶ〉ことの奥義――『殊能将之未発表短篇集』(5) - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/07/16
  • メタミステリの怪作、連城三紀彦『ため息の時間』を読む - TBCN

    連城三紀彦『ため息の時間』を読んだ。 これは「すばる」に1990~1991年の約一年間連載されていたもので、連城流心理恋愛ミステリとモデル小説とメタフィクションを合体させたような作風である。著者の作品の中でも一、二位を争う怪作との評判高く、実際その通りだった。 主要登場人物は四人いる。語り手の「僕」=31歳の画家と、センセイ=41歳のイラストレーター、センセイの奥さん、僕の元恋人=康子で、センセイに「ホモセクシュアル」な恋愛感情を抱いた「僕」が周囲を巻き込みながら物語は進んでいく。構造としては、その「恋愛事件」の顛末を小説化しようとしている「僕」が、小説家である「連城三紀彦」の手を借りながら語っていく、というものに(一応)なっている。 読み始めてすぐ、これが一年間の「連載」という時間を作中にも取り込んだものだということに気づく。たとえば第二章の冒頭で語り手の「僕」はこのように述べる。 既に

    メタミステリの怪作、連城三紀彦『ため息の時間』を読む - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/07/16
  • ■ - TBCN

    ある方に勧められて清水義範『ドン・キホーテの末裔』。著者自身を思わせる作家が、『ドン・キホーテ』をモチーフにした小説を書くというメタフィクションで、作中作の他にも講演、エッセイ、小説論などいろいろな文体で構成される。「現代においてパロディによる『ドン・キホーテ』的な突破はいかに可能か」という試みが中心にあり、とりわけ終盤、セルバンテス(?)との会話の中でセルバンテスに「あなたが後続に文句をつける権利はない」と突きつけるくだりは面白い。 読みながらまず連想したのは小島信夫の『美濃』で、小島も『ドン・キホーテ』に深い関心を寄せた作家だったからいろいろなところでセルバンテスについては触れている。1981年刊のこの小説は当初エッセイとして始まったが途中で小説になったもので、「古田信次」という作者をモデルにした人物についての私小説を書く小島、という体裁で進行していくのだが両者の区別はユルユルで、「別

    ■ - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/06/26
  • 「叙述トリック」についてのメモ(6) - TBCN

    今更ではあるが、以下の議論に一度、目を通していただきたい。 http://togetter.com/li/295513 ここで「叙述トリック」という言葉が何を指すのかについては、その言葉について、じっくりと考えたことのある者でなければ、かなり混乱してしまうのではないだろうか(私がそうだった)。 ここで我孫子武丸が述べていることは、実にシンプルだ。世間では、「どんでん返し」というテクニックそのものを「叙述トリック」と同一視してしまう傾向があるが、実際に「叙述トリック」という概念が含む範囲はもっと限定的だ、ということだ。しかし様々な人物が様々な論点を持ち込んで別個に私見を述べているため、まとめでは議論が錯綜して見える。少なくとも私の見る限りでは、映像/小説、三人称/一人称、故意/過失、現実/幻想、という要素がゴッチャに入り混じって整理が共有されていない。それを個人的な参考のためにもほぐしてみた

    「叙述トリック」についてのメモ(6) - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/06/26
  • ■ - TBCN

    佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』(河出書房新社、2010)を読んだ。 作家の後藤明生さんが「何故小説を書くのか」と自問して「小説を読んでしまったから」と、あの独特の人をったような不思議な感じで答えていますね。これは、実は同じことなのですね。読んでしまったんです。だから書くんです。何度読んでもそう書いてある。そして他にどうしようもない。ならそれをするしかない。書くしかない。書の主題は「読むこと」と「書くこと」にある。この後藤明生の有名なフレーズは私もこのブログで紹介したことがあるけれど、それを初めて知ったのは、金井美恵子の『小説論』だった。 これは後藤明生が小説論のなかに書いていた言葉ですが、「読んだから書いた」というのが、小説家として、なぜ小説を書くのか、という質問に対する答えだ、ということになるでしょうか。/もちろん、こうした言い方が、別にポストモダンというわけでもありませんし、こ

    ■ - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/06/26
  • 続・「遠いファンタシーランド」を偽物化する――『殊能将之読書日記』 - TBCN

    (承前) 「偽物」論がピークに達するのは、次の一節ではないだろうか。 ディクスン・カーの歴史ミステリをなんとなく読んでいる。わたしは西洋史にうとく、ずっと敬遠していたから、ほとんど初読である。 まず『ビロードの悪魔』(吉田誠一訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだのだが、主人公ニック卿に仮託されたイギリス国王への強い敬意を感じとっ て、実に妙な気分になった。というのは、カーはアメリカ人だからだ。ヨーロッパに遊学したのが20歳前後、イギリスに移住したのが25歳ごろだから、それまではずっとアメリカ合衆国で暮らしていたわけで、これは完全にアメリカ人である。成人するまで生活していれば、気質も根的にはアメリカ人のはず。 それでふと思ったのは、カーにとって過去のイギリスとは一種のファンタシーランドだったのではないか、ということ。実際、『ビロードの悪魔』はほとんどヒロイック・ファンタシーである。主人公の

    続・「遠いファンタシーランド」を偽物化する――『殊能将之読書日記』 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2016/01/19
  • ■ - TBCN

    殊能将之短篇集が来月2月に出るという噂があるそうです。 https://twitter.com/flow2005yob/status/678865519299063808 「キラキラコウモリ」と「ハサミ男の秘密の日記」を併せるとたぶん100枚は超える(単行で60頁くらい?)と思うのですが、他に長いコンテンツというと、なんだろう……公開されているので思いつくのは、 ・鮎井郁介著作あらすじ ・取材日記 ・夢日記 ・各種インタビュー(特にユリイカとアニマ・ソラリス) くらいですが、でもそれだとどう見ても「短篇集」とは呼びがたいわけですから、詳細に期待したいですね。「秘密の日記」も発掘ものでしたし。 もし2月末の発売(御命日の2月11日には間に合わないけれど)とすると、1月中旬にはアナウンスが出るでしょう。 ※ 「再読する……」などとわざわざダラダラ引き伸ばさなくても後がつかえてきたので、私もも

    ■ - TBCN
    sphynx
    sphynx 2015/12/23
  • a day in the life of mercy snow - TBCN

    ミステリ作家の殊能将之氏が亡くなられたということで、旧作を再読しつつ、現在は失われた公式サイト「a day in the life of mercy snow」の記述を振り返っている。 去年の夏、so-netからは削除されたが、インターネット・アーカイブで旧アドレスを入力すれば8割程度は見ることができる。 「2004年以降はリンク先が無いじゃないか!」 という人は、アドレスの数字をチョイチョイといじくるべし。 たとえば、「memo」欄2004年10月から別のところに飛びたい時は、ウィンドウに表示されたアドレスhttp://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0410.html の、links以下の数字を任意の年月(月の後半が見たい場合は「1」を加える。たとえば2005年9月後半なら「05091」といった具合)に合わせると、運良く

    a day in the life of mercy snow - TBCN
    sphynx
    sphynx 2015/12/02
  • 媒体に掲載された殊能将之情報【暫定版】 - TBCN

    人のインタビューやコラムについては「生活は質素で、作品は冗談好き」さんが詳しくまとめられていますが、私も以前、他の人物によるセンセー紹介情報を集めてみようかなと思ったことがありました。 以下、その時つくったリストが出てきたので、載せておきます(今年の『読書日記』の情報を後から加えました)。甚だ不完全なので、もっとまとめてからと思っていたのですが、そのうち気づいたら更新するということで。未確認のものもあり、情報は不正確である可能性もあることをご承知おきください。また、もし他に「こういうのもある」という方は、ぜひお教えください。 ※ 【雑誌】 ◯週刊朝日 (不明) 『ハサミ男』(池波志乃) ◯鳩よ! 2000年3月号 『ハサミ男』(笠井潔) ◯ダ・ヴィンチ 2001年1月号 「隠し玉」コーナーで紹介 ◯女性セブン 2001年1月11日号 「2000年度ミステリー」コーナーで紹介 ◯小説すば

    媒体に掲載された殊能将之情報【暫定版】 - TBCN
    sphynx
    sphynx 2015/11/28