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societyに関するsphynxのブックマーク (5)

  • 弱者の代弁者? - 絶倫ファクトリー

    加藤智大は格差社会の代弁者ではない - the deconstruKction of right 秋葉原の事件に関してもう書くつもりはなかったのだけれど、一つだけ。 この上記リンクのエントリのコメント欄が荒れ気味なのがよく分からない。この事件に関して出たエントリの中ではかなり秀逸なものだと思うのだけれど。 まずid:naoya_fujita氏は事件の犯人のような派遣労働者を下に見ていたりなどしていない。それどころか彼のエントリの主眼はこの事件そのものですらない。これは事件を巡る言説に対する言説、メタ言説である。犯人とされる加藤智大がもし万が一貧困労働者の代弁者だとしたならば、彼の来の標的であるエスタブリッシュ層はセキュリティを上げ(現状としてそういう傾向はある)、さらに勢いづいた赤木智弘のシンパみたいのがテロを起こすモチベーションになる。 だがそれは構造的におかしい、彼は代弁者ではない、

    弱者の代弁者? - 絶倫ファクトリー
  • 2008/04/05 ちゃんと政治家を選ばないと子供が守れない時代 アンカテ(Uncategorizable Blog)

    昔はネットが無くてもやっていけた? 嘘をつけ。マジョリティはそうだったかもしれないが、マイノリティはそうじゃない。自己の中心的な属性を否定するような情報ばかりに曝されて人格形成で大きなハンディキャップを負い、無用な自己否定感を植え付けられ、あるいは自死に追い込まれてきたんだ。 そして、そのような子供に適切な手をさしのべられるほど知識のある大人は近くにはいなかった。なぜならば、マイノリティだからだ。それに対して活動している大人もそんなに地理的に近くにはいない。 インターネットの普及によりようやく、こうした子供に手をさしのべられるようになってきた。webフィルタリングは、このような子供を見殺しにしようとしている。 これは「ようやく助けることができる子供にその助けの手が届かない」という問題じゃない。 こんな法律が通ったら、マイノリティの子供は、技術的には可能なはずの助けが法律によって規制されてい

    2008/04/05 ちゃんと政治家を選ばないと子供が守れない時代 アンカテ(Uncategorizable Blog)
  • アレゴリー化する悲惨体験 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/sync_sync/20080226 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51009734.html sync_sync氏は、自己責任を痛感すべきだ。もちろん、小飼弾なんかに教えてコールしたことをだが。 ぼくが診断するに、この人は末期の自己責任病患者である。 まずは、「責任」という言葉を一端忘れて、「権利」を行使しているのだと考えてみてはどうか。「私はこの会社で働く責任がある」のではなく、「私はこの会社で働く権利を行使している」のだと。それだけで、世の中の見え方がだいぶ変わってくるはず。自己責任ではなく自己権利。「やむなく」でなく「あえて」、「余儀なくされる」のではなくて「踏み切る」。 いやまさにそれこそ、(人質事件以降)一般的に理解されている意味での自己責任ですから!この考え方が身体に染み付いてし

    アレゴリー化する悲惨体験 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • ひきこもり支援とWEBデザインの脱カテゴリー指向について - アンカテ

    “専門性”の踏襲と、分析の維持 - Freezing Point F's Garage:何故、Webデザイナーが美大卒じゃなくてもやっていけるのか? 全く違う分野に関するこの二つのエントリですが、次のようにとらえると、不思議な共通点があるように思いました。 ひきこもり問題 WEBデザイン問題 A 精神医学業界 広告業界(紙媒体でのデザイン、メディアとしてのWEB) B 福祉業界(+就労支援) IT業界(ソフトウエア、ツールとしてのWEB) C ひきこもり支援業界 WEBデザイン業界 共通認識として、次のようなことが言えます。 A業界,B業界と比較して、C業界は(歴史が浅いこともあって)、専門職、専門知識が確立しておらず、業務が体系化されていない C業界においては、Aの知識とBの知識が両方必要なので、より問題が複雑になる 現在、C業界には混乱が見られ問題となっている それで意見が分かれるのは

    ひきこもり支援とWEBデザインの脱カテゴリー指向について - アンカテ
  • ドーピング考 - Arisanのノート

    大リーグのドーピング問題、ステロイドの使用ということが、阪神のウィリアムスなど日に関係する選手のことも含めて話題になっているが、こういう話題が出るとどうしても思い出されるのは、ほぼ20年前のこのシーンだ。 驚異的な世界新記録で金メダルをとったベン・ジョンソンは、筋肉増強剤の使用により失格となったわけだが、それでもこのシーンは、ぼくがこれまでに見たスポーツの場面のなかで、もっとも印象深いもののひとつである。 この走りが、薬物使用の成果によるものだと聞かされた当時、ぼくは「それでもいいではないか」と思ったものだ。 筋肉増強剤を使用した結果であるならば、なぜそれはいけないのか。 無論第一に、そういうルールがあるからだ。第二に、みんなを欺いたから。第三に、副作用などがあり、危険である。第四に人体に人工的な加工を加えるような行為は自然に反するから。 しかし、特にどれなのだろう? ルール違反にならな

    ドーピング考 - Arisanのノート
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