現代思想に関するt-hirosakaのブックマーク (32)

  • 『中動態の世界』 - Arisanのノート

    中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) 作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 医学書院発売日: 2017/03/27メディア: 単行この商品を含むブログ (28件) を見るこのは、昨年出版された日の人文書のなかで、間違いなく最も話題になったなのだが、僕は正直、途中まではそんなに引き込まれなかった。しかし、メルヴィルの小説『ビリー・バッド』を論じた最後の章の力強さには圧倒された。 途中まで引き込まれなかった理由は、たとえばこんなことだ。 「意志と選択」と題された第5章で、著者の国分功一郎は、「非自発的同意」という概念を行為の一類型として認める必要性を述べている。つまり、同意には、積極的でなく、「なんとなく」だったり強いられたりした結果なされるものもあるということだ。 これは、著者も言っているように、ハラスメントや性暴力の問題を扱うにあたっては有効かもしれない。し

    『中動態の世界』 - Arisanのノート
  • 『反抗の原初形態』 - Arisanのノート

    反抗の原初形態―千年王国主義と社会運動 (1971年) (中公新書) 作者: E.J.ホブズボーム,青木保出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1971メディア: 新書 クリック: 4回この商品を含むブログ (1件) を見る 編者あとがき(青木保)によると、1950年代後半に欧米で、いわゆる千年王国主義的運動についての重要著作が相次いで発表されてブームのようになったそうだ。 このに収められているエリック・ホブズボームの諸論考も、その流れのなかで書かれたものらしい。 いまある社会が崩壊した後に、理想の王国(第三の帝国)が到来するという、古代からあるこの思想と運動が再考される場合、欧米ではやはりナチス・ドイツの存在が想起されたのではないかと思う。しかし、書が中公新書から出版された1971年当時の日で、そのような政治的危機意識が共有されていただろうか。 ホブズボームの議論と、書に併録さ

    『反抗の原初形態』 - Arisanのノート
  • 『生命学に何ができるか』読了 - Arisanのノート

    生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想 作者: 森岡正博出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2001/11/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 19回この商品を含むブログ (29件) を見る 承前。 このには、これまで僕がまったく考えたことが無かったようなことがたくさん書かれていて、たいへん刺激になった。汲みつくし難いだと思う。 たとえば、中絶の問題を、女性ではなく男性こそが自覚的に責任を担って考えていくべき事柄として捉えた、「男たちの生命倫理」のインパクトについては、先にも少し触れた。 そこで示されているのは、殺害や破壊を行使することの痛みが、権力関係の強者から弱者へと順々に移譲されて行き、その末端ではもっとも弱い存在(「胎児」)が「餌になる」とともに、相対的な強者である男性たち(マジョリティ)はそうした痛みを感じることなく、自らの共存的な生の可能性と実質

    『生命学に何ができるか』読了 - Arisanのノート
  • 『不穏なるものたちの存在論』 - Arisanのノート

    [rakuten:booxstore:11491834:detail] 現代韓国のすぐれた思想家であり実践家である李珍景さんが書いたこのは、訳者の影剛さんから献してもらって、私には難しいところもあったが、たいへん大きな刺激を受けながら読んだ。 以下に書いた文章は、最後にかなり長い批判の部分を含むことになったとはいえ、それだけ多くのことを考えさせる力をもった書物だということを、明かしてもいるのである。そのことを、はじめに断っておきたい。 まず第一章では、書名になっている「不穏性」という概念について語られる。 「不穏なるものたち」は、資主義社会のシステムや(「自我」や「家族」や「体制」のような)規定の制度のなかで安定して生きている者たちに、不安と「反感的共感」を引き起こす。ここで例としてあげられるのは、大規模な組織力を持たなかったにも関わらず社会全体に「不穏な」効果(影響)をもたらした

    『不穏なるものたちの存在論』 - Arisanのノート
  • 養子と天皇 - Arisanのノート

    前回のエントリーだが、アップしたあとになってから、初めから終りまで「養子」というテーマをめぐって書いていたことに気がついた。 柄谷が『遊動論』のなかで書いていた「双系制」というのは、父系や母系に対置される用語で、平たくいえば、「家」という場を存続させることを第一義とし、そのための手段として養子をもらったり、婿養子をとったりすることを当然と考えるような、家族観だといえよう。これは、「血統」(一般的には父系)の正統的な存続を第一義とする家族観とは、異なるものだと考えられるのである。 柄谷は、この双系制を日の社会や文化の重要な制度的特徴だと考えているわけだ。 また、この双系制を強調していた頃の柄谷の著作では、漢字かな混用文における、漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けによる対象の「区別」が、それに通じる日文化の特徴として語られていた。つまり、島国である日では、外来の文物を導入するにあたって、

    養子と天皇 - Arisanのノート
  • 言葉の〈始原〉とコスモロジー―幕末国学言語論の思想的位相― - はぐれ思想史学徒純情派

    言葉の〈始原〉とコスモロジーー幕末国学言語論の思想的位相.pdf - Google ドライブ 一.問題の所在 今の世に古学と称して、哥道立る徒。蟻の如く多かるに。其先生のたちの伝を物するに。契沖。県居。鈴屋をし。三哲などを称して。此大人の事をば。都に称するなきは。其徒みな哥作者にて。道の義を知らざる故に。哥学の方より然は思ふにぞ有りける。*1 皇国の古伝説は、天地いまだ成らざりし以前より、天つ御虚空に御坐して天地をさへに鎔造ませる。産霊大神の御口づから、天祝詞もて、皇美麻命の天降坐る時に御伝へ坐ると、其五百座の御子神たちの、裔々の八十氏々に語り継たる、或は世に弘く語り伝たるも有が中に、天祝詞なる伝は、古伝説のにて正しき由よし〔中略〕日紀古事記なる伝は、世に弘く伝はりたるを集め記されたる故に、自然に訛れる伝へも交れるを、祝詞の伝へにて正し辨ふべき〔後略〕。*2 平田篤胤(1776-18

    言葉の〈始原〉とコスモロジー―幕末国学言語論の思想的位相― - はぐれ思想史学徒純情派
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2015/01/07
    すごい論文が惜しげもなくポーンと公開されている。
  • 三島憲一「ハイデガーの『黒ノート』をめぐって ――反ユダヤ主義と現実感覚の喪失」を読む - ルルドの泉で

    2014-08-24 三島憲一「ハイデガーの『黒ノート』をめぐって ――反ユダヤ主義と現実感覚の喪失」を読む 書籍 「ハイデガーとナチズム」を巡る議論に新たな波紋を投げかけているのが、今年2月と3月にようやく刊行された彼の断章集、通称『黒ノート』(Schwarze Hefte)だ。ハイデガーは1931年以降、死の直前にいたるまで『黒ノート』と言われる断章を書き綴っていた。 ノートは全部で34~36冊*1。大部分はマールバッハのドイツ文学資料館に保存されている。今回は1931~1941年ぐらいまでの十四冊ぶん、総計1300ページが三巻にわけて刊行された。 黒ノートが物議を醸しているのは、今回の千三百ページのなかに数カ所だが、「反ユダヤ主義的な」表現や主張が彼独自の用語と密接に関連して記されていたことである。 言うまでもなく、ハイデガーとナチズム、またはハイデガーと反ユダヤ主義との関係について

    三島憲一「ハイデガーの『黒ノート』をめぐって ――反ユダヤ主義と現実感覚の喪失」を読む - ルルドの泉で
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2014/12/27
    「まさに「黒歴史のノート」である」
  • {本]『神皇正統記』 - Arisanのノート

    神皇正統記 (岩波文庫) 作者: 岩佐正出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1975/11/17メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 20回この商品を含むブログ (21件) を見る『神皇正統記』は、何度も内容の一部を書き換えられたり、改竄・重修されてきたらしい。 岩波文庫版の校注を行った岩佐正の解説によると、興味深いことに、南北朝時代にこのが世に出た当初、南朝方の人々ばかりではなく、こののイデオロギーとは敵対するはずの北朝方に属する東国の武士たちの間でも、この書物は広く読み伝えられたのだという。そこで、迫害を恐れたのか、足利幕府の支配体制に適合するように、北朝方の読者たちによってその内容に「加筆削除変更」が繰り返し行われるということがあった。 これが、古い時代における「修正」である。 だが、最も重大で無残な修正が行われたのは、幕末から明治以後にかけてだったようだ。それは、この時代

    {本]『神皇正統記』 - Arisanのノート
  • 慰安婦問題で新談話を出すなら河野談話後に発見された資料の反映は当然ですよね? - 非行型愚夫の雑記

    結果として、今、私たちが目にする「官憲が」「人さらいのごとく」連行したことを示す公文書は、戦後の東京裁判やBC級裁判でこれらの犯罪が問われた記録や「慰安婦」裁判の判決である。植民地にされていた朝鮮半島での犯罪は、戦犯裁判の対象にはならなかった。しかし、1990年代に韓国の「慰安婦」被害者が提訴した3件の「慰安婦」裁判では、全てが事実認定されている。 日政府・軍は、敗戦前後に文書を組織的に焼却したが、それでも「慰安婦」制度に関する日軍・政府の関与を示す公文書は、河野談話(1993年)までに300点以上が公表された。一方、その後も研究者など民間の手によって重要な文書が発見されており、この20年余りに国内外の公文書館等で発見された資料は500点以上を数える。この中には戦後に実施された法務省による元戦犯への聞き取りで、200人にのぼる「慰安婦」を集めたことが罪に問われることを恐れた兵士が、日

    慰安婦問題で新談話を出すなら河野談話後に発見された資料の反映は当然ですよね? - 非行型愚夫の雑記
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2014/09/25
    「否定論は事実に対する理解の問題というより欲望の問題であり、自民族中心主義的な欲望が、それによる自己イメージを損なうような情報を拒否し続ける限り、改心は無理だろう」
  • 花崎さんが語る花崎さん講座への質問(暴力について)

    遅ればせながら、「力と理性」読み始めて、途中で続かなくなって、いろいろ飛ばして4章1のこののタイトルにもなった「力と理性」を読んでいるのですが、ここで「力」や「暴力」が主題になっています。

  • 譚嗣同『仁学』 - Arisanのノート

    仁学―清末の社会変革論 (岩波文庫) 作者: 譚嗣同,西順蔵,坂元ひろ子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1989/08/06メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る このを書いた譚嗣同という人は、30代前半にして非業の死を遂げている。 浅田次郎の小説『蒼穹の昴』は、日中合作の連続テレビドラマにもなり、少し前にNHKで放映されていたので、それを見た人もあるだろう。その中に描かれていた、同志と共に皇帝(光緒帝)を幽閉して政治改革を行おうとして鎮圧され、処刑されてしまう若い学者、それが譚嗣同である。 彼が残した、ほとんど唯一の書が、この『仁学』なのだ。 このような行動をとった人の、これは社会変革のための書であるので、その内容と文章はたいへん力強い。 内容に関しては、まず冒頭から「似太」という語が用いられているが、これは当時のヨーロッパの科学の重要な概念だった「エーテル」を意

    譚嗣同『仁学』 - Arisanのノート
  • 前回の梗概 - Arisanのノート

    公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 作者: ユルゲンハーバーマス,Jurgen Habermas,細谷貞雄,山田正行出版社/メーカー: 未来社発売日: 1994/06/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 43回この商品を含むブログ (79件) を見る 内容はほぼ繰り返しになるが、ちょっと気になるので、前回書いたことの梗概のようなものを書いておきたい。 僕はずっと、「リベラル」といわれている政治的な考え方の定義が分からなかったのだが、ハーバーマスのこのを読んで、それは「広義の自由主義」のことだと言っていいのではないか、と思った。 「広義の自由主義」を、このの内容に沿って定義すると、ヨーロッパの近世・近代において、私有財産制と自由市場の形成を背景に発達した、市民の論議による政治遂行の思想のことだ。王侯貴族や教会や大権力者といった、一部の支配階級ではなく、市民

    前回の梗概 - Arisanのノート
  • Web評論誌「コーラ」22/<現代思想を再考する>第4回[第2期]:歴史の教訓的使用について

    カントをもじって「歴史の教訓的使用」と題したからには、マルクスから「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」の名文句を引いてその出典について蘊蓄をひとくさりしつつ、おもむろにハーバーマス「歴史の公的使用について」(『過ぎ去ろうとしない過去』)を引っぱり出して歴史修正主義について論じるといった「遊び」が必要だというのが、このリレーエッセイで私が主張してきたことの一つである。 白か黒か短兵急に決着をつけたがる議論は危い。せめて結論のない蘊蓄をひとくさりするくらいの「遊び」がないと、考えることが苦痛になる。それは裏返せば、思想が恫喝の道具になりかねないということだ。さあ考えろ、結論はこれだ、というわけだ。来年あたりから小中学校で実行されようとしている教科としての道徳教育とはそうした恐喝に、きっとなる。 教科としての道徳教育は、思考に対する恐喝の道具となる。なぜそう言えるかというと、

    t-hirosaka
    t-hirosaka 2014/04/19
    これにていったん打ち切り。
  • マンハイムのファシズム分析・その2 - Arisanのノート

    変革期における人間と社会―現代社会構造の研究 作者: カールマンハイム,Karl Mannheim,福武直出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1962/08/21メディア: 単行購入: 1人 クリック: 3回この商品を含むブログ (1件) を見る 先日書いたように、『イデオロギーとユートピア』ではマンハイムは主にイタリアのファシズムについて論じているわけだが、自身が1933年にナチスに追われてイギリスに亡命するなど、ドイツでのファシズムの高まりを前にして、考えを社会変革の実際的な方向へと大きく進めていかざるをえなくなった。 書『変革期における人間と社会』には、マンハイムのそうした論考が集められている。 ここでは、特にファシズムに関わる論述を何箇所か見てみよう。 社会の或る集団や階層が潜在的な非合理的衝動によって活気づけられるものであることは、われわれの常に知るところであるが、近年に

    マンハイムのファシズム分析・その2 - Arisanのノート
  • 『戦後日本の思想』 - Arisanのノート

    戦後日の思想 (岩波現代文庫) 作者: 藤田省三,久野収,鶴見俊輔出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2010/01/16メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 3回この商品を含むブログ (9件) を見る 鶴見  日の戦後は、第一次大戦後のドイツに非常に似ているんじゃないか。大江精三がはじめから、そういっていた。彼はワイマール共和国の研究をしよう、と盛んにいってたし、書きもした。彼は大体ノイラートの立場ですから。戦闘的な第二インターナショナルだな。この説をだれも聞く人がなかった。 藤田  石原慎太郎の『太陽の季節』において現われた行動主義みたいなものが、第一次世界大戦後では、ファッショに行く道筋だったわけでしょうが、これを反ファッショの方向に再組織する道筋がつくられる必要があると私は思います。(p220) 先日、アメリカ移住することになった友人が、長年住んだ家を引き払うというので

    『戦後日本の思想』 - Arisanのノート
  • 「破局論」のためのメモ - heuristic ways

    私がジャン=ピエール・デュピュイのことを知ったのは、スラヴォイ・ジジェク氏の『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書、2010年、原著2009年)を読んだときだった。 ジジェク氏はデュピュイの次のような一節を引用していた。 大惨事は運命として未来に組みこまれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていても、起こるはずはなかった、ということだ。(……)たとえば大災害のような突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずがなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること――それが起こったという事実こそが、遡及的にその必然性を生み出しているのだ。  私が「大惨事」の例として当時(2010年)思い浮かべたのは、1995年の阪神大震災や地下鉄サリン事件、2001

  • フーコー「啓蒙とは何か」 - Arisanのノート

    相変わらず、内外で書くべき話題が山のようにあるのだが、今回もあまり緊急性のないことを書かせてもらう。 ミシェル・フーコーは、20世紀後半のフランスを代表する思想家で、たんに哲学者というより社会学や歴史学の分野にまたがる大変大きな仕事をした人であり、また監獄や精神病院などの施設をめぐる社会運動に尽力した人としても知られている。今の日でも、たいへん評価の高い人である。 僕が子どもの頃、1970年代前半だったと思うが、彼の最も有名な著書『言葉と物』が日でも翻訳出版されて話題となり、このがフランスで出された当初(1966年)フランスでは店頭に山積みにされて「パンのように売れた」というようなトピックが活字になっていたものだ。 当時はまだ「ニューアカ」というような言葉で言われた、日のいわゆる「現代思想」のブームが起きる以前だったが、すでにこうした難解で分厚い西洋の思想書を多くの人が競って買った

    フーコー「啓蒙とは何か」 - Arisanのノート
  • ニュース逆さ読み:東浩紀の奇妙な憲法改正試案 

    哲学者・作家の肩書を持つ東浩紀がこの夏、憲法改正試案を発表するという。公表を前にきょうの朝日新聞(5月1日付朝刊)でインタビューに答えている。それを読むと、「日を尊重しろ」だの「天皇は元首」だの、奇妙なことをうたった改正試案であることがわかる。 東はなぜいま憲法改正なのかを問われ、3.11後の政府の失政を目の当たりにして「もやは政権を代えている場合ではない。もっと基層の部分を変えなければならないことが明らかになった」と語る。2年半前の政権交代ではほとんど何も変わらなかったから、というのがその理由だ。だが、基層を変えるにせよ、表層を変えるにせよ、まず政権を代えることからしか始まらない。震災が起ころうが、民主党が腰砕けになろうが、それは変わらない。東の言葉を借りれば、いまこそ「政権を代えている場合」なのだ。それが民主党の原点回帰という形を取るのか、政界再編という経路をたどるかはわからないにし

  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
  • 島薗進『精神世界のゆくえ』 - martingale & Brownian motion

    それにしても、近年のケータイやスマホについているGPSは便利だ。あの、渋谷の細い道が、まがりくねった所も、目的地を検索できれば、容易に「最短距離」を行くことができた。ちょっと便利すぎだなあ、と思わなくはない。 私が、東京で暮らし始めた頃、自転車を買っていた。ただ、最近はまったく乗らなくなったが。休日の日などは、その頃は、特に用事もなく、自転車で、家の回りをブラブラしていた。 その時に気付いたのは、東京の住宅街は、非常に細い道で、あまり、見た目も変わらないような家が、次々と続き、ほとんど 迷路 だな、と思ったことだ。その感覚は、最近も変わらない。当時は、まだGPSって感じではなかったから、当に、わけが分からなかった。次々と、あらわれる、公園でさえ、ろくに区別がつかなかった。 そうやって走っていると、当に、迷子になっている気分であった(もう大人ですから、どうとでも家に帰れるわけですけど)。

    島薗進『精神世界のゆくえ』 - martingale & Brownian motion
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/05/02
    ニューエイジとボードリヤール