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foodとhistoryに関するtachisobaのブックマーク (141)

  • なぜ「朝食は1日で最も重要な食事」と言われるようになったのか?

    by m01229 「朝を抜くのは体に悪い」と言われたり、「朝べるといいもの」について論争が起こったりと、朝は健康と関連して語られることの多い話題です。「昼に○○をべるのは体にいい」と言われることは少ないのに、なぜ朝だけが「1日で最も重要な事」としての地位を確立しているのか、データ解析サイトPriceonomicsが秘密に迫っています。 How Breakfast Became a Thing http://priceonomics.com/how-breakfast-became-a-thing/ 朝の重要性が大きく取り上げられるようになったのは、1944年に行われたシリアルを販売する会社のキャンペーンが始まり。「Eat a Good Breakfast—Do a Better Job(いい仕事をするには良い朝をとろう)」と名付けられたキャンペーンでは、ラジオで「栄

    なぜ「朝食は1日で最も重要な食事」と言われるようになったのか?
  • 3枚の粘土板に残された

    ■「最古の料理」(ジャン・ボテロ著、松島英子訳) 古代メソポタミアと言えば、バビロン王朝のハンムラビ法典の一節、「目には目を、歯には歯を」が有名だ。 この一見野蛮に映る規定は、実は過剰な報復合戦を防ぐためのものとされる。 血で血を洗う現代中東情勢を思うと、そうした抑制が外れていることは残念だが、それだけにメソポタミア文明の洗練度合いが際立つ。 その洗練された文明のもとで、何が料理され、べられていたのか。 1980年代、米イェール大学に保管されていた紀元前1600年頃の粘土板のうち3枚が「レシピ集」と判明した。中華文明でさえ、これほど古いレシピは現存しないとされる。 書はそのレシピを基に、メソポタミア文明論を展開したものだ。 歴史の闇に光を照らす 著者は「メソポタミアの料理の全体像を、その独自性が浮上するような形でつかみ取ろう」と試みる。 だが如何せん、原典はたった3枚の粘土板に刻まれた

    3枚の粘土板に残された
  • TOKYO FM+ エラー

  • 「世界のカレー」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Image from  stu_spivack 皆で「パクス・カレーカレーによる平和)」を実現しようではないか カレーって素晴らしいと思いませんか? 安いし腹いっぱいになるし、奮発すれば贅沢もできる。パン好き・ご飯好き、肉好き・魚好き、野菜嫌い、辛党甘党、誰でもひとつの皿に受け入れる。 スパイスの成分は体にもいいのは勿論、セロニトンが分泌されてストレス解消や精神安定に効果がある。 悪いことが何一つないんじゃないでしょうか。 カレーより素晴らしいべ物ってこの世にないと思うんですよね、当に。 インド人と日人だけでなく、世界中の人が大好きなべ物がカレーなのです。「パクス・カレーカレーによる平和)」が実現できるのではないかとすら思います。 ということで、「パクス・カレー」を実現するために、いかに世界でカレーが受け入れられ愛されてきたかの歴史を見ていきたいと思います。 今回引用させていだ

    「世界のカレー」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 「卵、食べてもいいんだ」と気づいた日本人 卵料理、その多様化の秘密を探る(前篇) | JBpress (ジェイビープレス)

    人は卵を年に329個べているそうだ。ほぼ1日1個。メキシコ、マレーシアについで世界第3位だという。 「卵、そんなにべてたっけか」と、驚く人もいるだろう。でも、実感がわかないとしても、それなりの理由は思い浮かぶ。 卵料理はあまりに多様なため、卵を摂っている意識が起きにくいのだ。茹でる。混ぜてから焼く。そのまま焼く。生でかける。炒める。とじる。そしてほかの材と混ぜあわせる・・・。 仮に、卵のべ方が「茹でる」だけなら、「ほぼ1日1個」の意識はもっと強まったにちがいない。 そんな卵を、昔の日人はほぼべていなかったという。これも驚きだ。卵がなかったわけではないのに、である。卵をほぼべなかった時代から、これほど多様な形で卵をべる時代へ。その変わりぶりに理由がないわけがない。 そこで、べ方の多様化がどうして起きたのかという興味をもちつつ、今回は卵に目を向けてみた。 前篇では、日

    「卵、食べてもいいんだ」と気づいた日本人 卵料理、その多様化の秘密を探る(前篇) | JBpress (ジェイビープレス)
  • 旧石器時代の人類、カメを調理していた イスラエルで化石発見

    セネガルの首都ダカール郊外のカメ保護センターで草をべるカメ(2015年10月8日撮影、文とは関係ありません)。(c)AFP/SEYLLOU DIALLO 【2月3日 AFP】イスラエルの洞窟で発見された20万年前の化石から、旧石器時代の人類が植物や大型狩猟動物とともに、カメをべていたことが分かった。同国テルアビブ大学(Tel Aviv University)が2日、発表した。 また、同国テルアビブ(Tel Aviv)から東に約12キロのケセム洞窟(Qesem Cave)周辺で発見されたカメの化石標により、その調理方法に関する示唆も得られた。 論文の共同執筆者の一人、ラン・バルカイ(Ran Barkai)氏は声明で「旧石器時代の人間は、狩りを行い、大型狩猟動物や植物性のものを主にべていたとこれまで考えられてきた」と述べている。 「今回の発見によってこれらの人々に関してこれまで分かっ

    旧石器時代の人類、カメを調理していた イスラエルで化石発見
  • 出雲そば 江戸期前半あった  : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    ◇最古記録神職の日記、古代歴博で展示 江戸時代前半の寛文6年(1666年)、出雲そばがべられていたことを示す記載が、県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町)に寄託された古文書から見つかった。これまで最古だった1849年の文書から200年近くさかのぼる。担当者は「出雲そばのルーツを探る貴重な発見」とし、12月14日まで同館で展示している。 8年前に地元の元神職の家から寄託された江戸時代の上級神職・佐草自清(よりきよ)の日記から見つかった。出雲大社の平成の大遷宮が来年春に終了するのにあたり、関連の企画展示のため、岡宏三・専門学芸員(49)が調査していて発見した。 当時、間近に迫った寛文の遷宮(1667年)のため、松江藩の武家と財源の交渉をしたことなどの記述の中に、「今日ハ、御柱立(おんはしらたて)談合ニて日暮、蕎麦切(そばきり)振舞」とあった。遷宮にあたって社殿の柱を立てる相談だけで日が暮れて

    出雲そば 江戸期前半あった  : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 【サーモン】鮭缶の世界侵略の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    "キング・オブ・缶詰" 鮭缶の歴史 今回の主役「鮭缶」ですが、馴染みがある人もいればそうでない人もいると思います。日は地方それぞれ濃い魚文化を持っていますから、鮭なんてほとんどわないという人も多いと思います。ぼくは九州出身ですが、小さい頃からあまり鮭をわなかった気がします。 ただ視野を世界に広げると、鮭缶が与えたインパクトは大きいものがあります。の多様化で地位は低下しつつあるも、鮭缶が歴史に残した業績は多大なるものがあるのです。 ということで、今回は鮭缶がいかにして世界の卓に登るに至ったかをまとめていきます。 記事三行要約 缶詰技術が開発されるとすぐに、鮭が大量に採れるアラスカで大量生産されるようになった 戦争中も広くべられた鮭缶は、イギリス人やアメリカ人に熱狂的に愛されるようになった イギリスとアメリカの経済・文化進出により、鮭缶が世界に広まっていった 1. 缶詰登場前の鮭

    【サーモン】鮭缶の世界侵略の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 屋台料理発祥の地、古代ローマの食生活に焦点 企画展

    古代ローマ帝国のをテーマとした、ローマ市内アラ・パキス博物館の展示(2015年7月25日撮影)。(c)AFP/TIZIANA FABI 【8月24日 AFP】できたての軽を持ち帰れるのは、古代ローマ(Rome)人のおかげ──コロッセオ(Colosseum)でグラディエーター(剣闘士)の試合を観戦しながらかじる塩味の豆から、有名な公衆浴場で入浴後につまむソーセージや揚げ魚のスナックまで、これらのいわゆる「屋台料理」は古代ローマが発祥だという。古代ローマ帝国では軽が日常生活の一部で、酒や賭博、時には今で言うセックス産業とも縁が深かったようだ。 イタリア・ミラノ(Milan)では10月末まで、や農業をテーマにしたミラノ国際博覧会(Expo Milan 2015)が開催中だが、これにちなんで首都ローマにある文化施設「アラ・パキス(Ara Pacis)」では、古代ローマ帝国とべ物の関係に焦

    屋台料理発祥の地、古代ローマの食生活に焦点 企画展
  • 江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog

    以前、「『居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化』飯野 亮一 著」という記事で紹介したが、居酒屋文化とともに料理文化が芽生えたのも江戸時代のことだった。特に文化化政期(1804~30年)は江戸の料理文化の爛熟期といえる。そんな江戸の文化で興味深いのが大酒大大会の開催である。色々記録が残っていて、これが面白い。 酒合戦という酒の飲み比べは古くは慶安二年(1649)、江戸大塚の酒豪・茨木春朔樽次と武州橘樹郡大師河原村の池上太郎左衛門行種との間で行われたものがあり、これが江戸時代を通じて語り継がれた。 千住酒合戦 1815年(文化十二年)10月21日、日光街道千住宿の中屋六右衛門が自らの還暦を祝って開催した酒合戦は江戸の代表的な文人・大田南畝によって観戦記録が著されている。江戸文化史に名高い千住酒合戦である。参加者それぞれの酒量に応じ、江ノ島盆(五合)、鎌倉盆(七合)、万寿無量盆(一升五

    江戸の大食い・大酒飲み大会の記録 | Kousyoublog
  • 江戸のグルメ

    太田記念美術館にて2012年3月1日~3月24日に開催された「江戸っ子味めぐり」展の際に執筆したツイートをまとめました。 現在作品は展示していないため、ご観覧できません。また展覧会図録も作成しておりません。

    江戸のグルメ
  • 江戸の庶民の味「天麩羅(てんぷら)」誕生の歴史 | Kousyoublog

    江戸を代表する料理として挙げられるのが「てんぷら」である。「てんぷら」がいつどのように誕生したのか、必ずしも定かではないが、「東京天ぷら料理会 東天会 天ぷらの起源と語源」によれば、「『料理道記』(1669)の「てんふら 小鳥たたきて鎌倉、えび、くるみ、くずたまり」が初出とされ」、「衣揚げの記述は「どじょうくだのごとくきり、くずのこたまこを入、くるみ・あふらにてあげる『料理献立集』(1671)」が最初」だという。一方、原田信男編「江戸の文化」では「寛延元年(1748)の『料理歌仙の組糸』に、「てんふらは何魚にても饂飩の粉まぶして油にて揚げる也」とあるのが天ぷらの文献上の初出」(P132)とされる。前者は言葉だけ、後者はてんぷらそのものを表しているという違いであろうか。 明暦の大火(1657)後の復興過程で、江戸の町には様々な屋台が登場した。特に防災都市化する過程で各地に設けられた火除地

  • チロルチョコの大冒険 はじまりは炭鉱閉山だった:朝日新聞デジタル

    誰もが知る一口サイズの「チロルチョコ」。包装紙には「東京都千代田区」の地名が記されているが、製造地は福岡県田川市だ。 筑豊炭田の炭都として栄えた田川市。坑内労働を終えた炭鉱マンは疲れを癒やす甘味を好んだとされる。「ひよ子」や「千鳥饅頭(まんじゅう)」などの銘菓が誕生したのも筑豊だ。松尾製菓も1903年、菓子の製造を始めた。 だが相次ぐ炭鉱閉山で業績不振に陥る。2代目社長の故松尾喜宣(よしのり)さんは当時高級品のチョコレートに着目した。62年、ヌガー(水あめ)を少量のチョコでくるみ、一口サイズを三つ連ねて10円で売り出した。 名前は「チロル」。「チョコの場は欧州、欧州ならチロル」という連想からだった。ところが、「チロル」の商標はすでに森永製菓(東京)が取得していた。「うちの『チャンピオン』という商標との交換を」と持ちかけ、獲得したという。

    チロルチョコの大冒険 はじまりは炭鉱閉山だった:朝日新聞デジタル
  • 中世パン図鑑

    一般にヨーロッパの「中世」時代はおおよそ5世紀から15世紀あたりまでとされている。 1000年もの長い期間のため、中世初期(500-1000年頃)、中世盛期(1000-1300年頃)、中世後期(1300年-1500年)に分けられる事もある。 中世の前の時代が、古代ローマ帝国に代表される古代。 中世の次の時代が、ルネサンス・宗教改革・大航海時代に始まる近世となる。 「ヨーロッパ」とは

    中世パン図鑑
  • [感想後記]焦げたコメが解き明かす、おにぎりの歴史—横浜市歴史博物館「大おにぎり展」

    おにぎりと言えば、家庭の味として、あるいは手軽なファストフードとして馴染みがあるが、その歴史についてはあまり語られてこなかったように思う。 横浜歴史博物館(横浜市都筑区)では、同市にある古墳時代の竪穴住居遺跡から出土した、おにぎり状の炭化物を手がかりに、おにぎりの歴史を解き明かす企画展「大おにぎり展—出土資料からみた穀物の歴史—」を開催中だ(会期2014年10月11日〜11月24日)。 入ってすぐ、左手に巨大なおにぎりが目に入ったので、吸い込まれるようにそのコーナーへ。1885(明治18)年の我が国における駅弁第1号の再現模型だというが、それにしても手前のおにぎりと比べてずいぶん大きい。かつて日では1に米飯2合(ただし、おかずはほとんどなし)をべていたというが、このおにぎりは一体何合炊いたのだろうか。(のちに博物館の人にうかがったところ、この模型はオーバースケールということであった

    [感想後記]焦げたコメが解き明かす、おにぎりの歴史—横浜市歴史博物館「大おにぎり展」
  • 世界中の朝食を置き換え続けるシリアル食品の知られざる普及の歴史とは?

    By Ramnath Bhat 手軽にべられる栄養豊富な朝としてシリアル品は世界中で人気です。しかし、シリアル品産業が大きく成長し、世界中の国々の卓にシリアル品が普及してきた背景には知られざる戦略があるようです。 Drop that spoon! The truth about breakfast cereals: an extract from Felicity Lawrence's book | Business | theguardian.com http://www.theguardian.com/business/2010/nov/23/food-book-extract-felicity-lawrence イギリスのThe Guardian紙がイギリスの朝の卓を一変させたシリアル品の成長の裏にあるシリアルフードメーカーの歴史とその戦略についての調査レポートをまと

    世界中の朝食を置き換え続けるシリアル食品の知られざる普及の歴史とは?
  • 投獄された「寿司にわさび」の発明者 日本人が守るべきわさび(前篇) | JBpress (ジェイビープレス)

    人は“山菜”を採り続け、べ続けてきた。里山に入れば、そこかしこに山菜がある。人びとは、それを必要な分、べてきたし、また、必要な分より多くは採らなかった。そうして日の山菜文化は続いてきた。 古くから日人が親しんできた山菜の1つが「わさび」だ。ぜんまい、わらび、じゅんさいと、日にさまざまな山菜があるなか、鼻を抜ける辛さを持つわさびは和の代表的材と言える。 風味は鮮烈で存在感があるが、実際の卓では蕎麦や刺身などに添えられる脇役だ。粕漬けに入れても酒の肴となる脇役だ。とはいえ脇役もないと物足りない。 人びとは、自生していた山菜のわさびを栽培するようにもなった。日の清らかな水のあるところには“わさび田”が広がった。日の風景がわさびによってつくられてきた。 ところが、そんな日のわさびがいま“危機”を迎えているという。人から人へと保たれてきたこの資源が、脅かされているというの

    投獄された「寿司にわさび」の発明者 日本人が守るべきわさび(前篇) | JBpress (ジェイビープレス)
  • おかずにキリン、フラミンゴ=古代ローマ・ポンペイ―米大研究 (時事通信) - Yahoo!ニュース

    【ローマAFP=時事】紀元79年、火山の噴火で埋もれた古代ローマの都市ポンペイの人々が、キリンや、桃色の翼のフラミンゴをべていたことが分かった。米シンシナティ大(オハイオ州)の研究チームが、ポンペイ遺跡の飲店約20店が集まる一角で、当時の下水やトイレ、汚水槽、ごみ捨て場を10年にわたり調査した。 その結果、穀物や果物、豆、魚、卵、オリーブなどの木の実をべていたことを確認。インドネシア産の香辛料、スペイン産の魚を塩漬けにしたものや、地元産ではない貝やウニもべていた。

  • 四国新聞社

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  • チーかま誕生物語|知る・楽しむ|株式会社丸善