そんな新橋駅前ビル(1号館)の1階に小さな大衆そば屋「三松」がひっそりと営業している。7席のL字カウンターで、朝7時に開店する。そして、夜、辺りが「飲み屋解放区」の喧騒の世界に突入する前に静かに閉店する。数年前までは70歳過ぎの品の良い女将さんが一人で切り盛りしていたのだが、今は若い店主にバトンが渡されている。 若め(100円)をはじめ、トッピングが豊富 「三松」に行くようになったのは、同じフロアの日本酒立ち飲み「喜楽」で知り合いになった帽子の似合う新橋の達人今井さん(48歳)に、「三松のしいたけそばは絶品だよ」と教えてもらったことがきっかけだった。それから「三松」に寄るようになった。 以前に食べてはいたのだがそれほど印象に残っていなかった。しかも、そう言うと怒られるかもしれないが、やれた感満載な店内だ。決して綺麗で洗練された店ではない。 ところが、この「三松」には癒しの世界がゆるく流れて
東神田、岩本町、小伝馬町あたりの街のそば屋が、静かに消えている。明治17年創業の東神田「京家」はマンションの再開発で2018年の秋口に閉店。少し甘めのつゆの「肉たまごとじそば」や「天とじおか」などがうまかった。明治42年創業の馬喰町2丁目の「そば処まるか」は2016年に閉店。「カレー南ばんそば」が秀逸だった、「満留賀」のれん会の中でも相当の古参店であった。最後の夜行列車の出発の時のような「ありがとうコール」もないまま、淡々と消えていく。 街のそば屋が消えゆく一帯で頑張る「十六文 そば七」 そんな一帯にあって、いまも頑張っている街のそば屋がある。小伝馬町の「十六文 そば七小伝馬町店」である。11月第3週の土曜日の昼前、仕事の合間をみて訪問してみた。 店は龍閑児童公園すぐの路地裏にある。以前このあたりの衣料問屋通りの一角に「かけそばや郷」という大衆そば屋があって、2000年頃足繁く通っていた懐
鎌倉には実はそば屋が多い。「一茶庵」は閉店してしまったが、大正時代から営業している「峰本」は今も健在である。かつては鶴ヶ岡八幡宮の門前蕎麦としての需要があった。近年は、緑が多く自然豊かな景観から、少し離れた郊外にそば屋を開業したいという人が増えているそうだ。年配の観光客にとっても、量的にもそばがちょうどよいのだろう。 そこで、平成最後の師走の晴れた週末に、鎌倉の裏駅の御成通りから和田塚あたりを徘徊してみた。インバウンド効果もあってか、駅は外国からの観光客で混雑していた。そして街並みのあまりの変貌ぶりに驚いた。
平成最後の年末年始。平成30年も激動の1年であった。経済では米中経済摩擦、トランプショック。立ち食いそば店も閉店が相次いだ。池袋西口の「大黒そば」、東十条駅北口前の「そば清」、新潟駅ホームの「新潟庵」、志村坂上駅近くの「いなば」など。 神田三崎町の「とんがらし」は平成の元号が変わる頃に閉店と伝え聞く。平成時代を駆け抜けた昭和の名店が姿を消していくのは何ともつらい。 柴又の創業45年「新華」も閉店なのか…… 大都市や首都圏近郊の街中の個人経営の立ち食いそば屋は、昭和39年の東京オリンピックの頃に誕生し、サラリーマンの胃袋を満たし、高度経済成長を支えてきた。そして40年以上の年月を経て、その閉店の時を迎えている。理由はさまざま。後継者問題、大規模再開発などである。一つの時代が終わりを告げているようにも思える。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く