お笑いコンビ「米粒写経」として活動しながら、一橋大学、早稲田大学などで日本語学の非常勤講師を務める。『広辞苑』の第七版では、サブカルチャー分野の執筆を担当。著書に『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』『ヘンな論文』など
お笑いコンビ「米粒写経」として活動しながら、一橋大学、早稲田大学などで日本語学の非常勤講師を務める。『広辞苑』の第七版では、サブカルチャー分野の執筆を担当。著書に『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』『ヘンな論文』など
「生きていく上で救いのような存在」「涙が止めどなく溢れた」など、発売直後から絶賛の感想が寄せられている『これやこの』。 漫才師で日本語学者でもあるサンキュータツオが、亡くなった人たちのことを題材に描いた17編の随筆集です。 ご自身の大切な人、大事な思い出、後悔や懺悔も含めて、さまざまな思いを巡らせるきっかけになるよう、試し読みを公開します。 黒い店 「古本業界は隙だらけですよ。本が売れなくなったって言っているけど、うちは売り上げあがってますからねえ。十年一日のごとくおんなじことやってて本が売れないなんて言っている連中がいる限り、うちはまだ続けられるんです。だから感謝しないといけませんな、ハッハッハ」 ご主人はパイプの愛好者であった。 パイプに刻みタバコをつめながら、いまの古本業界でまだだれもやっていないことはなにか、ずっと語り続けて、吸いはじめると自慢話とも苦労話ともつかぬ話が続く。 私が
総項目数50万、用例数100万を収録したわが国最大の国語辞典『日本国語大辞典 第二版』(全13巻)の完全デジタル版です。 国語学・国文学の専門家にとどまらず、歴史・仏教・漢籍・民俗などの各界の権威、経済・法律などの社会科学、および動物・植物など自然科学の研究者など、3,000人以上におよぶ識者によって40年以上の歳月を費やし完成したものです。 言葉の成り立ち、意味や用法の変遷、言葉の歴史など、最新の研究成果に基づいた「語誌」欄、それぞれの使用地域を表示した「方言」項目、さまざまな説が一覧できる「語源説」欄など、言葉への多彩なアプローチが可能となりました。 ジャパンナレッジ版では、『日国』の情報をより活かすための多種多様な検索を用意しました。詳細検索では見出し・全文はもちろんのこと、用例・歴史的仮名遣い・ 方言・語誌・語源説など範囲を限定して検索できるほか、項目種別や品詞、ジャンルなど見たい
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。 投稿者:HATA - この投稿者のレビュー一覧を見る 「血と骨」を読み終えてくたくたになったところで、うっかりこの「夜を賭けて」を手に取ってしまい、またしても寝食忘れて没頭するはめに陥った。 こんな疲労の極地にありながら、心身ともに充足感でいっぱいだ。 物語が始まる前に、本作と同じタイトルの詩文が4ページに渡り収められている。 1958年作とあるから、昭和33年、著者22歳の青年時のものだ。 本作品を書き上げて初の刊行(NHK出版・1994)に至るより36年も前、まさに物語の舞台となったその時代そのときに、書き記されたものである。 その詩文に満ちているのは、若き梁石日の身体から溢れ出て止まらない熱、力、叫びと憎悪を直接的に書きなぐるような、それでいて幻想的で力強く、そして吐き気を呼ぶほどのグロテスクな描写である。 若い著者がその
町山智浩さんが2022年6月28日放送のTBSラジオ『たまむすび』で小田嶋隆さんの遺作となった小説『東京四次元紀行』について話していました。 (町山智浩)すいませんね。本当に飲み会に小田嶋隆さんと2人で遅刻して。 (赤江珠緒)そうよ! 昨日、ちょっと話したんですけど。小田嶋さんと町山さんと私と池田プロデューサーと4人で待ち合わせして。待てど暮らせどこの2人、町山さんと小田嶋さんが来ない。だいぶ来ないっていう。そしてだいぶ遅れてきたと思ったら、2人でキャッキャ言ってるっていう(笑)。「この大人たちは……」みたいな。 (町山智浩)すいませんでした。本当にね。もう僕も今年で還暦なんでね、困ったもんだと思いますよね。小田嶋さんのね、遺作となった『東京四次元紀行』でちょっと読んでてね。これ、小説なんですけどね。小田嶋さんの最初の小説で。 (赤江珠緒)ねえ。はじめて書いたっていうね。 遺作となった小説
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村上春樹は流浪の旅人である。神戸から東京へ、東京からヨーロッパへ、そしてアメリカへ。そうこうしているうちに、故郷の日本が悲劇に見舞われた。神戸での阪神大震災、そして東京での地下鉄サリン事件。その直後、村上春樹は故郷に飛んで帰った。5年前、彼に初めて会った瞬間から、私はこの才能溢れる芸術家に惹かれた。彼と同様に私自身も放浪癖を持つ物書きだが、私は村上春樹とは逆のルートを辿り、アメリカからヨーロッパへ、そして日本に行き着いた。今回のインタビューの3日前に私は東京に入り、インタビューの翌日早々に、村上春樹は飛行機で旅立った。 ※ このインタビューは『ペーパースカイ』No.10(2004年)に掲載されたものです。 取材・文:ローランド・ケルツ ローランド・ケルツ(以下、R):自国から遠く離れた場所で執筆活動をする価値とは? あなたはなぜ、多くの小説を海外で執筆するのですか。 村上春樹(以下、H):
人生いろいろ辞典もいろいろ(古い雑誌から) 2015-11-06 『暮しの手帖』1971年早春号です。同誌の代名詞ともいうべき「商品テスト」は、官庁やメーカーなどに迎合しない屈しない、というスタイルが広く支持され、話題を集めて、長く連載されました。そんな商品テストの、この号のタイトルは「国語の辞書をテストする」。当時出ていたものから八冊を選んで、収録語、語義、配列などを比較しています。 まず、「ふだん、辞書をひいていて、ときどき、引こうとする言葉が見当たらないのに、失望することがある。だから、辞書は、なるたけ、たくさんの言葉が入っているほうがよい、とつい思ってしまう。しかし、よく考えてみると、言葉の数ばかり多くても、だから、よい辞書だとはいえないだろう。山高きがゆえに、とうとからず、である」と、"山、高きがゆえに…"を引き比べてみる。 意味が載っていたのは、旺文社・講談社・小学館・研究社の
本著は、アーケードゲームシーンのドキュメンタリー作家・大塚ギチ氏の著作小説『TOKYOHEAD』の完全新作となる作品。2019年にこの世を去った大塚ギチ氏にかわり、交流の深かった作家、海猫沢めろん(ナカガワヒロユキ)氏が執筆を引継ぎ、1990年代~現在における『バーチャファイター』などのアーケードシーンを描いている。価格は3000円[税込]。 また第1弾である『TOKYO HEAD』に後年に加筆された“町田編”を収録したTOKYO HEAD 完結編』も再販。価格は2200円[税込]。第1弾、第2弾ともにゲーセンミカド/Webサイトなどにて販売されている。 『TOKYOHEAD NONFIX』の購入はこちら (BOOTH) 『TOKYO HEAD 完結編』の購入はこちら (ネオフィリアラボ) 伝説のゲームライター大塚ギチ著作小説『TOKYOHEAD』が蘇る。2022年5月27日新書『TOKY
毎日、たくさんの人々で賑わっている、阪神甲子園球場。 笑い声や嬌声が響き、嬉し涙に悔し涙、憂いの涙まで、 今日もこの場所には、多くの人の「人生」が表れている。 そんな駅前の一角に、開店以来31年間、地域密着型の お店として営業を続けてきた、街の本屋さんがある。 【 アイビー書房 甲子園店 】、それがこの店の名前だ。 もしかしたら、甲子園球場に行かれたことのある人なら、 一度くらいは立ち寄ったことがあるかもしれない。 それぐらい、街の風景に溶け込んだ本屋さんなのだ。 店内には人々が求めているものを中心とした、多種多様な 本・雑誌がズラリと並べられている。 時には、店側から「これは読んでもらいたい」と提案する ようなものまで。 店長、土井さんは言う。 「広さや商品数では、大型書店には絶対に太刀打ち出来 ないので、この店独自のセレクトで『この場所なら売れる だろう』、そんなお客さんのニーズに合わ
ザ・グランジェ・スクール卒業。チリ大学在学中、奨学金を得てプリンストン大学に留学し、初めての短篇は英語で執筆し、大学の雑誌に掲載された。1955年に短篇集『避暑地その他の短篇』'で作家デビューした。彼の最初の長篇小説『戴冠式』はラテンアメリカとスペインで大ヒットし、2000年に映画化された。 1961年、画家のマリア・エステル・セラーノと結婚。その後メキシコ、アメリカと渡り歩いたのち1967年よりスペインに居を構えた。『境界なき土地』、『夜のみだらな鳥』、『別荘』(スペインの"Crítica de España"受賞作)や『絶望』などの小説によって、彼は「ラテンアメリカ文学ブーム」の立役者のひとりであると考えられるようになった。 1981年にチリに帰国し、文学教室を主催した。この教室には、のちにチリ文学の中核を担う人物が多数参加した。1996年に同地で没した。 2007年に生前未発表の小説
『日本国紀』のアンチは中身も見ずに「この本には参考文献が載ってない!」と鬼の首を取ったように非難するが、古代から現代までの通史で参考文献なんか載せられるわけがない。 実際、市販されている歴史教科書や日本史の通史にも参考文献は載ってない! アンチに言いたい。中身を読んで批判しろ、と。 — 百田尚樹 (@hyakutanaoki) November 10, 2018 拙訳『ファクトフルネス』の発売日(2019年1月11日)に、わたしは東京の本屋何軒かに寄った。すると、かなりの確率で『日本国紀』が近くに並べられていた。 筆者撮影ネットで本書について調べてみたところ、やまもといちろうさんの「百田尚樹『日本国紀』コピペ論争と歴史通俗本の果てなき戦い」という記事を見つけ、そこから先のツイートにたどり着いた。 『日本国紀』は残念ながらまだ読めていない。読めていないから、もちろん批判するつもりは全くない。
そして書店業界も出版業界に連動する形で規模縮小が続いています。2001年まで2万店以上あった書店数は2020年には約1万1000店にまで減少しました。このような状況下で書店業界はどう動いているのでしょうか。各社の動向や対抗策としての新たな取り組みに注目してみます。 特に雑誌が売れなくなっている 出版業界を支えてきたのは書籍よりも雑誌です。同業界がピークを迎えた1996年は書籍の売上高が1兆900億円に対し、雑誌は1兆5600億円と約1.5倍で、2015年まで雑誌が書籍を上回っていました(雑誌7800億円/書籍7400億円)。そして2021年の売上高は雑誌5300億円に対し、書籍6800億円でした。 書籍も規模を縮小していますが、現在は特に雑誌の売上高がピーク時の3分の1にまで落ち込むなど著しく減少していることがわかります。商店街や街中の小さな書店は書籍よりも雑誌の売り上げで成り立っていたた
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