川勝義雄氏『史学論集』(朝日新聞社、1973年、中国文明選12)は、司馬遷の「太史公自序」から章学誠の『文史通義』原道篇にいたる中国史学の古典数篇を訳出して詳しく説き、中国史学のエッセンスを伝える名著です。本書にさしはさまれた「月報」に、鈴木成高氏「西洋史家の中国史妄語」という一文があり、興味深く読みました。 素人の気楽さであえて不遠慮にいわせてもらうなら、由来、シナ学という学問のなかに「史学史的」な関心というものが、欠けていたのではないだろうか。文献学的な関心だけで、史学史固有の関心というものが、欠けていたのではなかったか。そういう関心が生きておれば、文献学的にいかに厖大なジャングルであろうとも、そして自分の文献的能力がいかに未熟であろうとも、それほど恐れることはない筈である。とっくの昔、状況はそういうところまできている筈である。(p.2) 西洋史家の鈴木成高氏(1907-1988)から
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