練馬区立図書館への指定管理者制度の導入撤回を求め区側と交渉を続けていた区の非常勤司書「図書館専門員」でつくる労働組合は十二日、区内で交渉の経過報告会を開いた。昨年末にいったん構えたストライキを回避し、今年一月に妥結した交渉の結果、指定管理者による運営が導入されても、専門員は唯一残る区の直営館で全員働き続けられることになった。 指定管理者による運営は、常勤が働く石神井図書館に二〇二〇年四月、専門員が九割を占める練馬図書館に二三年四月に導入される。これに伴い、直営は三館から光が丘図書館の一館となり、専門員は五十七人全員が光が丘で働くことになる。組合側は成果の一つに、光が丘のカウンター業務を、現在の民間委託から専門員の仕事とする要求が認められたことを挙げた。
約四万冊の蔵書数は都内でも最大級。東急田園都市線・世田谷線三軒茶屋駅前の商店街にある「まんがの図書館ガリレオ」が目指すのは、「地域の小学生が百円玉を握り締めて来てくれる、近所の駄菓子屋さんのようなお店」だ。 客層は曜日や時間帯で異なる。平日の日中は子育ての合間に来る人、昼休みのひとときを過ごす人、夕方になると仕事を終えて一息つく人。休日は子どもも多い。店内は漫画喫茶によくある個別の仕切りはなく、大きな机を囲んで座る開放的な雰囲気。「明るくオープンで、子どもも安心して来られる場所です」と上関さんは自負している。 ガリレオは一九九八年、発光ダイオード(LED)などを扱う大阪の会社が、新たな事業として始めた。上関さんが三軒茶屋に引っ越してきたのは十年前。初めは店の常連客だった。大手ボイラーメーカーや食品メーカーをへてライターとなり、二〇一四年からガリレオでアルバイトをしながら、小説、短歌などの執
鎌倉市内の小中学生と高校生から、お薦めの本を紹介する手作りの「POP(ポップ)」を募集した「ポップ大賞」の受賞作品が決まった。九年目の今年は過去最多の六十五点の力作が寄せられ、市内の図書館で三十日まで展示している。 市図書館が募集するポップ大賞は、子どもたちがお互いに本を薦め合い、本の情報を共有するきっかけにと二〇一〇年に始まった。今回は、選んだ本を薦める言葉やお薦めのシーンなどを、A5判の用紙に自由に表現してもらうポップを募り、小学一年生から高校一年生までの応募があった。 図書館やホームページで作品を紹介し、「その本を読みたくなったポップ」への投票を呼び掛けたところ、来館者ら百八人が参加。大賞には、「黒魔女さんの修学旅行」(講談社青い鳥文庫)の主人公をイラストで丁寧に描き、「ギャグあり、涙あり、感動ありの大人気シリーズです」と紹介したポップが選ばれた。 応募作品はそれぞれの個性が光る。夏
近年、街の顔として親しまれてきた書店が相次いで閉店しています。一方で、小さいけれど発見に満ちた本屋が存在感を増しています。本屋は街の中で何ができるのか。どうすれば「いい本」を届けられるのか。東京人十二月号では、前を向いて挑戦を続ける、東京の本屋のいまをお伝えします。 座談会では、ジュンク堂書店池袋本店副店長の田口久美子さん、著述家の永江朗さん、元「新文化」編集長でライターの石橋毅史さんに、東京の書店史を振り返っていただきました。 田口さんの本屋の原体験は、新宿の紀伊國屋書店。創業者の田辺茂一は、街の文化を担うという自負を持ち、一九六四年に紀伊國屋ビルディングを建てました。永江さんが「池袋最大の衝撃」と振り返るのは、一九七五年に開店した西武ブックセンター、後のリブロです。ほかにはない棚構成や専門性の高さで、文化人もよく訪れたと言います。新宿、池袋、銀座。それぞれの街に、それぞれの本屋がありま
「海沿いに住んでいるおじいさんがほろりと泣く、自分が出さないと世に出ない、素晴らしい人の生き様を伝える」-。国立市の落合加依子さん(30)は、そんな本を作るために、たった一人で出版社「小鳥書房」(同市)を経営する。 「たった一人の誰かのための出版社」を目指し、二〇一七年に独立。初めて取材したのは、非行から子どもたちを守るために約四十年、食事を提供している広島市の中本忠子(ちかこ)さんだった。中本さんを「ばっちゃん」と慕う子どもたちは三百人以上。最近はテレビなどで取り上げられて知名度が上がっているが、当時は知る人ぞ知る存在で、小さな出版社が本にするには大きなリスクだった。それでも「私が出さないと」と出版を決断した。
県内の市では唯一、鉄道が通っていない富里市に約百年前、レール幅の狭い軽便(けいべん)鉄道が走っていたことを紹介する企画展「富里にも鉄道があった~幻のぽっぽ~」が、市立図書館で開かれている。地元の鉄道愛好家グループ「軽便鉄道を考える会 in 富里」の研究成果が展示の中心で、県立図書館三館から取り寄せた二十冊余りの関連書籍もそろえた。 (小沢伸介) 富里市は北側の成田市を走る京成本線とJR成田線、南側の八街市を走るJR総武本線に挟まれるように位置している。京成本線の線路は、富里市日吉倉から数十メートル先の成田市内を通っており、メンバーで潮音寺住職の立花雅幸さん(59)は「本当にギリギリ外れていて、悔しい思いをしているんです」と話す。 だが、一九一四(大正三)年から四〇(昭和十五)年まで、当時の富里村を縦断する「軽便鉄道八街支線」が存在した歴史がある。幅六百ミリの日本一狭い軌道で、蒸気機関車に客
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