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論宅に関するublftboのブックマーク (10)

  • 反証主義と論証主義の不一致 | 社会学玄論

    科学は、実験と観察で得られたデータをもとに推論を行い、命題の真偽を判断する。この場合、推論には論理や数学が使用される。しかし、科学が使用する論理や数学は必ずしも正しいとは限らない。 論理的推論や数学が現実に適用できないという例として、ゼノンのパラドックスとして有名な「アキレスと亀」をあげておこう。 亀よりも速く走れるアキレスにハンディを与え、アキレスよりも進んだ時点から亀はスタートして競争し、論理的にはアキレスは永遠に亀に追いつけないという話である。アキレスが亀がいる地点に来た時には、亀はそれよりも先の地点おり、またその地点にアキレスが来た時には亀はそれよりも先の地点に来ており、結局、追い越せないという論理である。この論理は、直線を無限の点から構成されていると考える数学に準拠している。 さて、「アキレスは亀においつけない。」という命題を「時速100キロで走る車は、時速10キロで走る車に追い

    反証主義と論証主義の不一致 | 社会学玄論
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    ublftbo 2009/02/11
    今まで見た中でもトップクラスにひどいかも知れない
  • コミュニケーションの自己生産に伴う難問 | 社会学玄論

    コミュニケーションは、コミュニケーションから生み出され、自己産出されるという。これをオートポイエーシスという。つまり、一つのコミュニケーションは、連接する次のコミュニケーションを生み出す。コミュニケーションの発生原因は、コミュニケーションの外にある何かではなく、直前のコミュニケーションであるというのである。 例えば、授業で、先生がある生徒に「この問題の答えがわかりますか?」と言ったら、その生徒が首を横に振った後、別の生徒が「私はわかりますので、答えます」と言い、先生が「それでは答えてみなさい」と言ったとする。 先生と最初の生徒のコミュニケーションが、別の生徒と先生のコミュニケーションを生み出したことになる。教育コミュニケーションが連接していき、教育システムが創発されることになる。このように、コミュニケーションがコミュニケーションを生み出す。 ところが、ここで一つの難問が生じる。それは、最初

    コミュニケーションの自己生産に伴う難問 | 社会学玄論
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    ublftbo 2009/01/19
    ? 驚異的に意味が分からない。
  • (考え中) : 「水からの伝言」をめぐって #3 - livedoor Blog(ブログ)

    2009年01月10日17:03 カテゴリ ニセ科学 「水からの伝言」をめぐって #3 「「水からの伝言」をめぐって」を読んで違和感を感じるポイントについてのつづき。 第1節「水からの伝言」  第2段落以降より、この写真集、美しいだけならいいのだが、なんとも驚くべき話が書かれている。 : 言葉の意味や内容が水に物理的に影響するというとんでもなく強い主張であり、 : 科学の問題としては「門前払い」と言ってよいだろう。 : いや、それどころか、「生物ですらないただの水が人間の言葉の意味内容に反応する」などというのは、別に科学者でなくとも、ちょっと常識がある人なら即座に笑い飛ばす程度の話だったはずである。 : ちなみに、人気歌手の倖田來未がつい最近、テレビ番組中で「水からの伝言」を肯定的に紹介して話題になった。 (強調は筆者)#2で書いたこととかぶりますが、いちいち心情的な表現が多いのが気にな

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    ublftbo 2009/01/10
    文章って、好き勝手に読めるものなのですね…。強調部分の表現のどこが問題なのかな?
  • 正論という名の暴力=ニセ科学批判 | 社会学玄論

    驚く事なかれ、ネットで検察すると、水伝、マイナスイオンゲーム脳、血液型性格判断については、対象そのものよりも、批判的に対象を観察をした者たちによる間接的情報の方が圧倒的に多い。つまり、我々はある人々(=ニセ科学批判者)の価値観に基づいた間接的情報をまず目にすることになる。 社会心理学において、コミュニケーションの二段の流れという学説がある。ある対象や出来事についての情報は、中間集団の濾過を経て、間接的に人々に伝わるというものである。例えば、政治問題は、労働者の所属する労働組合のオピニオンリーダーの解釈を通じて、労働者たちに伝わる。ここで重要な点は、対象にまつわる知識は、対象そのものから直接得たのではなく、すでに特定の他者や集団の価値観に染められた間接的情報であるという点である。つまり、ネットに溢れる水伝、マイナスイオンゲーム脳、血液型性格判断に対する知識は、すでにニセ科学批判者たちの共

    正論という名の暴力=ニセ科学批判 | 社会学玄論
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    ublftbo 2009/01/07
    これを真に受ける人が出てくる可能性に思いを馳せると、頭が痛くなってきますね。
  • 科学教の本質 | 社会学玄論

    ニセ科学批判者たちが使用するレトリックの自己矛盾を指摘しておきたい。 ニセ科学批判者たちは、科学的知識は事実そのものである絶対的真理には到達不可能であるが、科学によってそれに近づくことができると主張する。つまり、個々の科学的知識は事実と思われる認識内容であって、永遠に事実そのものには到達できないが、実験と観測を重ねることで事実そのものに限りなく近づいていくことが科学の営みであるというわけである。この論理からすると、かえって科学は、絶対的真理を前提としていることがわかる。もう少し詳しく言うと、科学は、事実そのもの=絶対的真理=対象と認識内容が完全に一致した命題の存在に近づくことを目標とすることで成り立っている。しかし、何を根拠に事実そのものにより近づいていることを判断できるのだろうかという疑問がすぐに湧いてくる。ここで科学そのものがパラドックスに陥ることは、システム論者なら誰でもわかる。それ

    科学教の本質 | 社会学玄論
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    ublftbo 2008/12/30
    ある意味一貫している。他人の話を聞かずによくこれだけ一貫出来るものです。
  • ニセ科学について - livedoor Blog(ブログ)

    菊池誠氏を始めとする、いわゆるニセ科学批判を展開している人の言葉に違和感を抱いている。 うまく言い表せないが、世の中の捉え方がどうも自分と違うようだ。 何故なのだろうと不思議に思っていたが、参考になる記事を見つけた。 社会学玄論  世界論と真理観の相対主義 真理観は、対応説、整合説、合意説、実用説に分けることができる。 (中略) これを世界領域との対応でみると、 物理的世界=対応説 物理的事実   心理的世界=整合説 心理的(精神的)事実  社会的世界=合意説 社会的事実  世界そのもの=世界の無限の複雑性(三世界を含む全体世界)=実用説 形而上学的事実 (中略)  ニセ科学批判者たちによるスピリチュアル批判は、真理の対応説に準拠している。しかし、江原氏などのスピリチュアルカウンセラーは、真理の対応説には準拠しておらず、真理の整合説や実用説などに準拠し、物語として語っている。 (中略)

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    ublftbo 2008/12/20
    うーん、筋が悪いかな。 / ニセ科学を論じたりすることに、私は「楽しみ」は覚えません。しかし趣味的ではありますね。趣味の概念にもよるでしょうけど。
  • 社会学玄論 : 説明可能性に基づく科学論

    自然科学が準拠する世界モデル=公理系は、因果法則が存在し、形式論理学や数学に合致した宇宙観である。素朴実在論的宇宙観と名付けよう。ポパーの反証主義も素朴実在論的宇宙観に基づいた物理世界を前提にしている。因果法則を超えた自由意志論や形式論理学を超えた物語論は、自然科学の外に置かれた虚偽世界となる。 しかし、素朴実在論的宇宙観では説明できない現象が起きたときに、科学者は様々な宇宙論を展開しだす。ビッグバーン宇宙論や五次元宇宙論など、様々な宇宙論があるが、どれも反証(実験)可能性はなく、反証主義科学論からは科学だと言えないようである。観察と数学による推論などでつくられた宇宙モデルである。疑似科学であると非難されることもあるこのような宇宙論は間違いなのだろうか? 否、宇宙論に求められているのは反証可能性ではなく、説明可能性である。物理現象をよりよく説明することができる宇宙モデルは、それだけ妥当性が

    社会学玄論 : 説明可能性に基づく科学論
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    ublftbo 2008/12/08
    なぜそこで「素朴実在論」? 科学者で素朴実在論的立場を採る人なんているの? ちょっと考えられないんだけれど。 / ビッグバーン。
  • 菊池先生と天羽さんへ | 社会学玄論

    あまりにもコメントが多くあるので、こちらの方で論じたいと思います。 菊池さんが推薦してくれた「疑似科学と科学の哲学」は、以前、一度読んだのですが、再度、精読中です。 同書からは、科学の線引き問題において、ポパーを不十分としながらも、ホパーは避けて通れない印象を非常に受けます。個人的な意見ですが、統計的検定など、社会調査法でも使用する基準がでてきますが、ポパーの反証可能性ほど明確な線引き基準はないのではと思います。 いずれにしろ、科学の同一性をその方法や手続きに求めようとする傾向が認められます。確かに科学的知識そのものは真理ではないという謙虚さは認められ、自らを相対化していますが、科学という手続きそれ自体は、絶対化されています。 カール・ポパーについて (内容/形式=方法)という観点から観察すると、内容的には科学的知識は反証可能であり間違う可能性があり、科学的知識は常に更新されていく相対的な

    菊池先生と天羽さんへ | 社会学玄論
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    ublftbo 2008/09/19
    ここでのやり取りの記憶が抹消されたのでしょうね。まだ1年ちょっとしか経ってないじゃないか…。
  • 歴史学は全て非科学的知識。 | 社会学玄論

    (一回性/反復性)、(個別性/一般性)という区別から科学主義や反証主義を観察してみたい。 原理的に、反証可能性は、反復性のある命題にのみ適用され、一回性の命題には適用できない。 例えば、「リンカーンはアメリカ大統領になった」「リンカーンは死んだ」という命題は、歴史上の真実であるが、この命題には反証可能性はない。 一回性・個別性から構成されている命題についての真偽は、反証実験ができず、反証主義の適用外である。しかし、このような命題も歴史学では真実として扱われている。何を根拠にして真実であることがわかるのか? 歴史的事実=真実は、演繹的推論でもなく、実験でもなく、成立っているように思われている。 科学主義者は、「リンカーンはアメリカ大統領になった」「リンカーンは死んだ」という命題については、科学的に立証できないので、真実ではないと言うのだろうか?それでは、あまりにも歴史学者が可哀想である。ニセ

    歴史学は全て非科学的知識。 | 社会学玄論
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    ublftbo 2008/09/19
    相変わらず度し難い人だ。 / 前に、きくちさんとのやり取りで、科学は反証可能性だけでは云々、という流れになったような。 / >nimaiさん さすがに論宅さんを「社会学者」とするのは、他の社会学者に失礼かもです…。
  • 请稍等,正在进入...

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    ublftbo 2008/08/19
    へえ。論宅さんのブログって、卓越してるんだ…。
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