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2023年7月8日のブックマーク (5件)

  • 社畜エアプを感じるアニメの特徴

    アニメとか見てて「このアニメの脚とか原作者って普通の会社員生活しらんのだろうな」と思ったアニメの特徴。 特に最近は学生ラブコメが減って社会人ラブコメが多いので「ん?」と思うことが多い。個人の感想。 考えてみれば医療ドラマとか刑事ドラマなんかはエアプどころかファンタジーでも許されるのにこの手のものに違和感を感じてしまうのは、作っている側が「サラリーマンなんてこんなもんだろ」的なものと見ている俺の「んなわけあるか」という勝手な思い込みが有るからだろう。 何の会社に勤めているか分からない。郊外のアパート・マンションから都心のオフィスに満員電車に通勤して仕事しているんだけど、何の会社なのか不明。よくサザエさんの波平やクレヨンしんちゃんの野原ひろしが槍玉に上がるけど(ひろしや波平は商社の営業マンという設定で一応それっぽい感じはする、波平は昭和感あるけど)、そういうレベルではなく「データ入力をしてい

    社畜エアプを感じるアニメの特徴
    ublftbo
    ublftbo 2023/07/08
    ・SEがコードを書く(メインじゃない) ・SEが夜遅くまで働く ・SEが壊れて休職 ・女性が制服を着ている ←今もありますね。何やってるんだろうなあ(正確に言うと、《やらせている》)と思いながら眺めてますけど
  • 過剰診断の説明 - Interdisciplinary

    いくつかのパターン 用語のみ書く がん検診では、過剰診断という害が起こる可能性があります。 意味内容のみ書く がん検診では、症状を起こしたり、それによって死ぬ事の無いものまで見つけてしまう可能性があります。 意味内容と用語を両方書く がん検診では、症状を起こしたり、それによって死ぬ事の無いものまで見つけてしまう可能性があります。これを過剰診断と言います。 書きたく無い 過剰診断の議論をよく知っている人は、いかにややこしい用語であるかを認識しています。誤陽性や誤診と混同される事であったり、正確な意味の共有そっちのけで、その語を使って罵り合っているのを見たり、などです。 その前提があれば、過剰診断なる語そのものを避ける方針にしたい事もあるでしょう。よく解ります。あるいは、そういう現象が起きていないという信念があって、その現象が起きていると思わせたくないから使いたく無い、のような場合もありましょ

    過剰診断の説明 - Interdisciplinary
    ublftbo
    ublftbo 2023/07/08
    >settu-jp さん。直接の関係が無い記事へのコメントだったので、頂いたコメントはこちらに移してあります。元コメントも削除していません(非承認状態にしました)。
  • 『燎原の火の如く - Interdisciplinary』へのコメント

    ublftbo
    ublftbo 2023/07/08
    “論文を書かないから絶対に広まらない「余剰発見」” これはどういう意味なのでしょうね
  • 燎原の火の如く - Interdisciplinary

    昨今、いわゆるICTの発展により、空間的に大きく離れた地にいる者同士が即時的にやり取りをし、様々の情報を簡単に交換できるようになってきた。これはまさに、科学あるいは科学技術の発展の成果であり、大いに誇って良い事であると思う。 しかるにそのいっぽうで、SNSなどの隆盛に伴い、誹謗中傷や流言飛語の類の伝播する速さ早さも、数十年前とは比べ物にならなくなってきた。これは、ある技術なりの発展の負の側面であろう。 科学のようで科学で無いもの、すなわちニセ科学と呼ばれる言説についても、それがひとたびSNSで発信されれば、あっという間に世間の耳目を集め、あたかもそれがほんとうに確認された事実であるかのごとく流布される。特に健康関連のニセ科学であれば、これは由々しき事態である。 ここ数年では、新型コロナウイルス感染症関連の言説、たとえばワクチンに関するものについて積極的に発信されてきた。それより前には、東日

    燎原の火の如く - Interdisciplinary
    ublftbo
    ublftbo 2023/07/08
    ※記事を読んだ人向け コメント欄で、『千里眼その他』の続きに当たる中谷博士の随筆を紹介しておきました。
  • 中谷宇吉郎 科学の限界

    今世紀にはいってからの科学の進歩には、まことに目ざましいものがあった。とくにこの十年以来、その進歩は、一大飛躍をなし、原子力の開放、人工衛星の打ち揚げなど、人類の歴史の上に、金字塔として残る幾多の事業を為しとげた。 こういう華々しい科学の成果に幻惑された人々の中には、あたかも科学を万能のものとする考え方が、次第に一つの風潮となりつつある。そして科学がさらに数段の進歩をすれば、人間のいろいろな問題が、全部科学によって解決される日が来るかの如き錯覚に陥っている人もあるようである。宇宙時代というような言葉が流行し、それが何か人間を変えることのように思われているのも、その一つの現われである。月や火星の景色を見たり、其処にある資源が利用できる日が来ても、それは百年前に、北極や南極へ行ける日を夢見ていたのと、同じことである。今日では、北極へも南極へも、飛行機ならば、文明圏から、十数時間で行ける。しかし

    ublftbo
    ublftbo 2023/07/08
    いま読んでも何も古くないし、科学の本質を衝いている。科学というものは方法的な限界があって、またそれがあっても構わない。ある問題については、無力より《無縁》と言うほうが良い、とするのもその通りだと思う。