以下、2018年12月に投稿したレビューだが、なぜか消されたので再投稿する。 本書のクライマックスになるはずのウィーン学団についての記述は、30頁に満たない簡素なものである。著者はウィーン学団の思想運動が退潮した理由として新説を示す。原子が実在なのか、中世の「活力」のごとき悪しき形而上学なのか、という原子の実在論論争に実在論側が勝利して決着がついたため、実証主義(=反実在論)に科学者たちが興味をなくして科学哲学から立ち去ってしまったからだ、という。この結論に至る背景として、本書は1980年代以降の科学的実在論vs反実在論の二項対立を枠組みにして、その対立軸上に19世紀の英米仏語圏の実証主義の流れを整理し、実証主義(=反実在論)として1929年のウィーン学団を位置づける。実証主義者カルナップはおそらく原子の反実在論に立つだろうと推測する(270頁)。 ウィーン学団は科学的実在論じゃなかったか
著者は科学哲学内部で旗色の悪い科学的実在論を支持すると言っている人物である。現在の科学哲学が現実の科学研究に何かの役に立っていると言われればそれは何もない。科学哲学に取っては、科学は哲学の対象として意義を有しているに過ぎない。そのような現象はいつ起きたのか、といえば20世紀前半20-30年代のウイーン学団による論理実証主義の確立以降である。そこで著者の問題関心は、論理実証主義がどこから生まれて来たのかを知るために過去に遡行していき、19世紀前半の、ベーコンに触発されたハーシェルやヒューウェルといった人たちの帰納と演繹や仮説の性質に関する論争に立ち返る。帰納といっても、単純に事例を枚挙していくことから法則を導くことのみを意味しているわけではない。そして、科学の発展とともに科学哲学の中身も変わっていく、最も19世紀には専門領域としての科学哲学は存在していない。科学の役目を観察できる物事の性質や
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