ことし8月に県知事選挙の演説中、候補者に向けて複数の空包を投げつけたとして、書類送検されたチョウ類研究家の宮城秋乃さん。10月18日には初公判が行われました。「犯罪者でいい」と語る宮城さんを何がそこまで…
「日本も誠意を」は言語道断 自民部会、韓国外相に反発 2022年07月21日14時59分 自民党外交部会などの合同会議であいさつする佐藤正久部会長=21日午前、東京・永田町の自民党本部 自民党は21日、外交部会などの合同会議を開いた。来日した韓国の朴振外相が元徴用工問題で「日本側の誠意ある対応」を求めたことについて、出席者から反発が相次いだ。「安易に譲るべきではない」として、政府に強い姿勢で臨むよう求める意見も出た。 来月の再会談に期待 日本に前向き対応も要求―韓国外相 佐藤正久部会長は冒頭、朴氏の発言を「言語道断だ。国民の中にも反発が出ている」と批判した。出席した外務省の担当者は、林芳正外相が18日の日韓外相会談で「韓国側で解決すべき問題だ」とくぎを刺したと強調した。 政治 コメントをする
「戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ」――。田中角栄元首相にそう言われたという。その言葉が私の根っこにあると語るのは、藤井裕久・元衆議院議員(87)だ。大蔵官僚から国会議員になり、自民党、新生党、民主党などを渡り歩きながら、常に政界の中心にいた人物である。藤井さんは2012年に政界を引退した後も、全国各地に足を運んで戦争体験を語っている。なぜ、そんなことをしているのか。その思いを聞いた。(河野正一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部) 東京・白金台にあるマンションの3階。エレベーターのない急な階段を上がると、藤井裕久事務所がある。政界引退から7年、87歳になったいまも、藤井さんはこの事務所に毎日のように通っているという。「足腰の鍛錬ですよ」。そう笑う藤井さんには、一つの使命感がある。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇がウクライナ戦争を巡る所見を明らかにした/Alberto Pizzoli/AFP/Getty Images ローマ(CNN) ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、ウクライナでの戦争について「おそらく何らかの方法で誘発されたか、あるいは阻止されなかった」との認識を示した。14日刊行の伊紙に掲載された所見の中で述べた。 報道によると教皇は先月19日、キリスト教関連の文化的出版物に携わる団体の責任者と言葉を交わした中で、「我々が今目の当たりにしているのは残虐かつ凶暴な行為に他ならない。こうした戦争を遂行している部隊は大半が傭兵(ようへい)であり、ロシア軍がこれを活用している」と指摘。同軍がチェチェン人やシリア人を含む傭兵を進んで送り込んでいると付け加えた。 「しかし危険なことに我々は、この点にしか目を向けていない。確かに恐ろしい話ではあるが、それだ
米軍撮影のフィルムに映る震える少女(沖縄公文書館提供) 沖縄戦の記録映像で映し出される「震える少女」として本紙に名乗り出た浦崎末子さん(82)の自宅を男性が訪ね、証言をとがめるような言葉を投げ掛けていたことが25日、関係者への取材でわかった。浦崎さんはこの一件以来、外部との接触を控えるようになったという。座間味村での「集団自決」(強制集団死)の証言者らにも同様の接触があったことも判明。沖縄戦の継承が課題になる中、証言を封殺する動きに識者は「証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げになりかねない」と警鐘を鳴らしている。 浦崎さんの親族によると、浦崎さんの自宅に男性が現れたのは昨年8月ごろ。ドアを開けて応対した浦崎さんに「あなたが浦崎末子さんか」と尋ね、いきなり「どういうつもりか」と詰め寄った。 「震える少女は私」と浦崎末子さんが名乗り出たことを報じる2019年6月23日付本紙 本紙は昨年6月23日
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以前に、うちの師匠(湯川れい子)のお兄さんが書いた、昭和18年頃の日記を読ませてもらったことがある。とても貴重な日記で、彼が戦争に召集される前までのもの。 当時、お兄さんは大学生だけど、お父さんは海軍大佐で、弟も海軍エリート。だけど自分は戦争が嫌いで、召集されることを免除してもらう申請を何度も出して、戦争が嫌だ嫌だと何度も何度も書いていた。そのことで、お父さんとも言い合いをして、喧嘩をしたことも書いてあった。そういう申請があったことも知らなかったんだけど、とにかく、何度かそれを出して、なんとか引き延ばしてもらっていた。もしかしたらお父さんが偉い人だから、免除されたりもしていたのかもしれない。 お兄さんは映画が好きで、ああ、戦時中も映画は上映していたんですねぇ。まぁ、海軍大佐のお金持ちの家ですから、食べるものも都内でありながら困ることなくあり、友達と映画にも行ったりしてるんだけど、でも、とに
終戦記念日によせて 小林カツ代 「キッチンの窓から見えるもの」 2004年8月28日須坂市メセナホールにて 第6回信州岩波講座での講演要旨 2004年8月31日 信濃毎日新聞に掲載 《キッチンから戦争反対》 私が戦争を体験したのは、まだ小さい頃のことだった。ある日、空襲警報が鳴り、母に手を引かれて逃げ回った。焼夷弾で焼けた死体をたくさん見たけれど、幼かったのでそれほど深く何かを感じることもなく大人になった。 父は生粋の大阪の商人で、よく笑い話をする面白い人だった。けれども、毎晩、睡眠薬を飲んでいた。そして、お酒を飲むと、戦争中に中国で体験したことを話した。 「お父ちゃんは気が弱くて一人も殺せなかった」。上官の命令に背いて、どれだけ殴られたか、日本軍がどんなに残酷なことをしたか…。父は泣きながら話していた。 まるで「遊び」のように現地の人を殺す日本兵もいたそうだ。ギョーザや肉饅頭の作り方を教
2017年11月に同時刊行した講談社現代新書、井上寿一『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』と鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』。 多くの人に知られていない文書に光をあてた前著は7刷、後著は10刷と版を重ねています。10万部を突破した『不死身の特攻兵』では、「必ず死んでこい!」と命令されながら、9回生還した特攻兵に迫り、合理性を欠いた日本軍について考察しました。 敗戦へと突き進んでしまったのは何故だったのか。今回は、著者お二人が、太平洋戦争当時の日本のあり方や、歴史を語り継ぐ意義について対談しました。 日本人自らの手で戦争を検証する 鴻上: 井上先生が今回の著作のテーマに選んだ「戦争調査会」は、終戦間もない頃、幣原喜重郎首相の強い意向によって、日本が敗戦に至った理由を調査するために設置された機関なんですね。 井上: ええ、東京裁判が連合国による戦争責任追及の場であったと
2014年から毎年8月、国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)の軍縮会議で、日本の高校生が政府代表団の一員として演説してきたのが今年見送られた問題で、背景に中国による強い反対があったことが複数の日本政府関係者の話でわかった。中国は国連などの場で日本が第2次世界大戦の被害を強調することに反発を示しており、こうした異論も踏まえて判断したという。 高校生は、外務省からユース非核特使として委嘱された「高校生平和大使」。14年から16年まで計3回、代表が軍縮会議本会議で演説する機会を与えられてきた。日本政府関係者によると、今年に入って、演説を問題視した中国側がやめるよう要請してきたという。 同関係者は「ここ数年、日本だけ特別な対応が認められていることに核保有国を含む各国から異論があった」と指摘。「軍縮会議では全会一致で議決するのがルールなので、全員に納得してもらわなければ通らない。最終的に政府として判断
脊髄反射的な記号に 「軍歌を歌う幼稚園」のおかげで、「教育勅語」がひさしぶりに話題だ。 戦後「教育勅語」は、保守派によって定期的に再評価されてきた。それは、憎むべきライバルとして「教育基本法」が存在したからである。 保守派は「教育基本法」を排撃しようとして「教育勅語」を持ち出し、革新派は「教育勅語」を振り払おうとして「教育基本法」を擁護した。 だが、こうした保革対立は、いつしか「教育勅語」と「教育基本法」を脊髄反射的な記号に変えてしまった。保守派なら「教育勅語」に賛成、革新派なら「教育基本法」に賛成、というように。 「軍歌を歌う幼稚園」の「教育勅語」暗唱などは、その果てに発生した珍現象のひとつであろう。 とはいえ、「教育勅語」と「教育基本法」ははじめから対立関係にあったわけではない。その歴史をひもといてみよう。 教育基本法「押し付け」論は間違い 「教育基本法」は、占領下の1947年3月に公
一九四〇年の十月、日本軍はフランス領インドシナの北部へ進駐した。現在のヴェトナム、カンボディア、そしてラオスなどの一帯だ。中国を支配しようとしていた日本は、この進駐によって東南アジアから中国へ物資が入るルートを絶とう、という目的を持っていた。アメリカやイギリスは、当然、日本のこの動きを警戒した。シベリアへ出ようか、それとも東南アジアにしようかと迷っていた日本は、東南アジアへ出ていくことを決定した。 一九四一年の七月、今度はフランス領インドシナの南部へ、日本軍は進駐した。フランス政府との協定にもとづいた進駐だったが、これ… 初出:『映画を書く──日本映画の謎を解く』ハローケイエンターテインメント 一九九六年 底本:『映画を書く──日本映画の原風景』文春文庫 二〇〇一年
「戦争知るきっかけに」=侵略の歴史も直視を-元ゼロ戦搭乗員家族ら 「何のために行くのか。本音が見えない」。真珠湾攻撃にも参加した元ゼロ戦搭乗員で、5月に99歳で亡くなった原田要さんの三男孝成さん(66)=長野市=は、安倍晋三首相の真珠湾訪問に首をかしげつつ、「戦争を知るきっかけになれば」と願いを込める。 旧日本海軍のパイロットだった要さんは日中戦争からゼロ戦に搭乗し、真珠湾攻撃では艦隊の護衛を担当。終戦までに多くの戦闘機を撃墜する一方、自らも被弾して重傷を負った。 戦後は沈黙を守ったが、経営する幼稚園の園児が1991年の湾岸戦争の映像を見て「花火みたいできれい」と言ったことに衝撃を受け、講演や執筆を開始。全国各地で毎年20回程度、自身の体験を赤裸々に語り、戦争の悲惨さを訴える活動を約20年間続けた。 孝成さんの目には、安倍首相の真珠湾訪問がオバマ米大統領の広島訪問に対する「返礼」や、
【鳩山由紀夫氏が重慶爆撃を謝罪】『中国人も「さすが宇宙人」』最近は中国が主導し、日本は参加しないとしているアジアインフラ投資銀行(AIIB)の顧問となる「国際諮問委員会」の委員に就任するなど親中ぶりに拍車がかかっている https://t.co/EzjZQbbTLU pic.twitter.com/JMN4cymDwB— 黒色中国 (@bci_) 2016年11月24日 この数日、鳩山由紀夫元首相が重慶爆撃について謝罪したニュースをきっかけに、つぶやいたツイートが予想外にたくさんRTされた。 ほとんど誰も関心がない話と思っていたのだが、皆さん色々と思う所があったようだ。 南京事件であれば、日中共に関心が高いし、双方熱い議論になるわけだが、 重慶爆撃については日中では「温度差」が大きいのではないか…と以前から私は感じていた。 ツイートではそれらの所感を書いたのだが、こちらに収録し、幾つか補足
「土人」なんて言葉は僕らだって使わない。若い人がこんな言葉を使うことに驚いた。普通は使わないし、習うこともない。上の世代や警察幹部から、沖縄の人たちは「日本全体のことを考えない」という趣旨のことを聞く中で、市民運動に対する憎しみから出てきたのだろう。憎しみをつくり出しているのは誰なのか。
ザアタリ難民キャンプ(8万人のシリア難民を受け入れているヨルダン最大のキャンプ)内にある診療所を訪問して、抗生剤(オーグメンチン配合錠 510錠、セファレキシン錠 1000錠)と解熱剤(アセトアミノフェン 1kg)を寄付してきました。 個人の立場からの寄付にすぎませんので、この薬剤の量は「焼け石に水」だと思います。ただ、キャンプで医療活動を続けているシリア人の医師たちへ、日本人の医師として連帯の気持ちを伝えたかったのです。 2011年に勃発したシリア内戦では、攻撃対象となる地域の病院や診療所が徹底的に破壊され、負傷者の救命にあたる医療者を殺戮するようになっています。国際NGOのPHR(Physicians for Human Rights)によると、シリア東部に内戦前には1500人いた医師の大半が殺されたり、逃げ出したりしており、現在は80人以下になっているとのこと。とくに139人の医師に
嘉数高台公園の展望台から見た普天間基地=2015年7月、沖縄県宜野湾市(撮影/安田浩一)この記事の写真をすべて見る 基地移設反対の抗議をする市民=2015年11月、沖縄県名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前(撮影/安田浩一) “嫌沖”という言葉がある。身勝手、左翼の島、反日……。一部保守論壇やネットを中心に流布する言葉を、何の検証もなしに鵜呑みにし、対象を歪め、貶め、侮蔑する。それだけに、対象が与えられる傷は深く、悲しみは底知れない。 「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」 この“嫌沖”発言をきっかけに、ジャーナリストの安田浩一は、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版)を書き上げた。 槍玉に挙げられたのは「琉球新報」と「沖縄タイムス」2紙だ。両紙の新人記者から編集トップまで、安田はとにかく話を聞いて回った。地元紙を批判する人や、2紙に代わる新聞を立ち上げようと奔走した
オバマ米大統領の広島でのスピーチを、宗教哲学の研究者はどう聞いたのか。南山大学の佐藤啓介准教授に話を聞いた。 * ―オバマ大統領のスピーチを聞いていて、歴史的な演説として感動すると同時に、なにかもやもやした感情が残りました。カトリックの南山大学で宗教哲学の研究者として「死者の記憶」という概念に注目して論考を重ねてこられた佐藤先生は、それをどう聞いたのか伺えたらと思います。率直に、どうお聞きになりましたか。 国際政治上の配慮をしている部分も、もちろん評価すべきだと思うのですが、私自身が宗教哲学研究者としてむしろ大事だと思ったのは、「できる限り死んだ人一人一人をきちんと取り上げ、見よう」。ただたくさんの人が死んだのではなく“死者を集合化しない”という意思を感じたことです。そして「死んだ人に呼ばれてきたのです」と語り始めた。それがとても大事だと思いました。 「なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。
安全保障関連法の廃止や投票率向上などを掲げる「関西市民連合」が12日、大阪市内で意見交換会を開き、聴衆約700人(主催者発表)が集まった。「戦争をする国になってはいけない」と訴え、若者に投票を呼びかける俳優の吉永小百合さんのメッセージが読み上げられ、会場から大きな拍手が送られた。 吉永さんは「憲法9条を守って、武器ではなく対話で平和な世界を作っていきたい。私は強くそう思います」とつづり、10代の若者に「あなた達(たち)の思いを考えを一票に託して下さい」と語りかけるメッセージを寄せた。メッセージはリーフレットに印刷され、会場で配布された。 関西市民連合メンバーの岡野八代・同志社大大学院グローバル・スタディーズ研究科教授が、吉永さんの事務所を通じ、手紙で意見交換会への出席を依頼したところ、吉永さんの自筆のメッセージがメールに添付されて届いた。岡野さんは吉永さんとは面識がなく、「まさか返事が来る
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