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宗教曲と古楽に関するushiwatatのブックマーク (7)

  • 趣味的偏屈アート雑誌風同人誌

    趣味的偏屈アート雑誌風同人誌とは、 3人の筆者が書く同人誌ブログです。 音楽映画、文学に美術、政治・社会・教育、旅や散歩、発見や修理まで、 面白いこと気になることをなんでも、思いつくままに…。 (画像のリサイズのついでに、少し加筆:2月1日) ウィリアム・バード(William Byrd: 1543?~1623)の名前を知ったのは、しばしば天才・鬼才と称されるグレン・グールドというピアニストの演奏を通してだった。若者の知的内面世界が爆発的に拡大する「学生時代」のことだ。生物的には第二次性徴と言われる時期が「二回目の誕生」なのかもしれないが、そして確かにその時期に経験する主に性的な出来事は誰の個人史にとっても相当に大きな意味を持つのだろうけれども、自分の個人史の中では学生時代という「モラトリアム」こそが最も重要な意味を持っていたように思う。実に多くのことを知って、世界は高校時代と比較になら

    趣味的偏屈アート雑誌風同人誌
  • 【聴き比べ】モンテヴェルディ/聖母マリアの夕べの祈り | mixiユーザー(id:6540144)の日記

    モンテヴェルディ/聖母マリアの夕べの祈り(晩課)聴き比べです。 クリスマス鑑賞会に向けて、音盤選定と抜粋作業のため聴いていたら、こんなことになりました つい最近モーツァルトのピアノ協奏曲の聴き比べをやったばかりだったのに。聴き比べの楽しさに目覚めちゃったんでしょうか。 モーツァルトのときは推薦盤を挙げるだけでしたが、今回はもう少し踏み込んだ内容になりました。ここまでやって公開しないままというのももったいない気がするので、誰が読むんだと思いつつ、日記で公開させていただきます。色々調べたけど、この曲についてはこうした聴き比べ記事みたいなのはネット上にも少なく、もしかしたら貴重な記事になったりして。(笑) はじめに簡単な曲目解説。 後期ルネサンス〜初期バロックにかけて活躍したモンテヴェルディ(1567-1642)の代表作で、カトリックにおける夕刻の祈りの儀式(晩課)のために作曲された音楽。バッハ

    【聴き比べ】モンテヴェルディ/聖母マリアの夕べの祈り | mixiユーザー(id:6540144)の日記
  • モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」事前解説

  • モンテヴェルディ:《聖母マリアの夕べの祈り》楽曲解説

    モンテヴェルディが生まれた時代は、フランドル派の音楽理念がヨーロッパ中に相変わらず広く行渡り、厳格な対位法に基づく、パレストリーナ風の合唱様式が主流であった。事実モンテヴェルディの初期の作品はこの様式に沿ったもので、《サクレ・カンティウンクレ》などはその好例である。 一方で、この時代には新しい音楽的な芽吹きとして、フィレンツェのカメラータを中心とした、歌詞の鋭い表現を目指した音楽の試みが現れ始めていた。 モンテヴェルディも徐々にこの新しい流れにのった作品を作り始め、1605年出版の《マドリガーレ集第5巻》などでは、それまでも古い様式から脱却を試みている。 この新しい音楽の思想は、”言葉は音楽之召使ではなく、音楽の主人である”という考えに基づいて、簡素な通奏低音に支えられた朗唱風の旋律が特徴であった。 モンテヴェルディはこの2つの潮流を前者の古い様式を「第一の手法」と呼び、後者の新し

  • 聖母マリアの夕べの祈りの解説

    曲目、作曲家などの紹介ページ 第13回公演、第17回公演(参考解説) C.モンテヴェルディ 「聖母マリアの夕べの祈り」 【解説:ラ・ヴォーチェ・オルフィカ 杉村 泉】 1 モンテヴェルディと聖母マリアの夕べの祈り 1567年に北イタリアのクレモナに生まれたクラウディオ・モンテヴェルディは,同地でマルカントニオ・インジェニエーリに作曲を学んだ後,1590年からマントヴァのヴィンチェンツォ・ゴンザーガに仕えるようになる。マントヴァ時代には,《マドリガーレ集》第3巻〜第5巻を発表するなど,活発な作曲活動を行っていたが,彼が確固たる名声を得たのは意外に遅く,マントヴァ時代末期,1607年の《オルフェオ》初演後のことであった。《聖母マリアの夕べの祈り》が作曲されたのは,おそらくその翌年の1608年から1610年の間であると推測される。 1610年9月,《聖母マリアの夕べの祈り》は,《“イン・イッ

    ushiwatat
    ushiwatat 2015/07/16
    |標準ピッチが半音高かったとすれば,サクバットもA管またはD管という当時のスタンダードな調子として説明がつく。実際に現代の金管楽器の多くがB管であることの由来はトロンボーンにあるが,それが400年も昔のピッチ
  • 『アレグリ「ミゼレーレ」』

    久しぶりに音楽の記事です。 古楽、クラシックです。 アレグリの「ミゼレーレ」 ご存知の方は聴いたことがおありと思います。 おそらくは、イギリスの混声の声楽アンサンブル、 タリス・スコラーズの演唱が、もっとも日人には馴染み深いのではないでしょうか。 グレゴリオ・アレグリ(アッレーグリ) Gregorio Allegri は、17世紀初頭に活躍した、ローマ楽派の音楽家です。 彼は、16世紀イタリア最大の音楽家、パレストリーナの弟子であるナニーノの弟子にあたります。 教皇庁礼拝堂、すなわちシスティーナ礼拝堂で歌手として活躍しました。 「ミゼレーレ」は、 旧約聖書の詩篇第51篇(カトリックの伝統的な聖書の数え方では50篇)「神よ、私を憐れみたまえ」に作曲されています。 この詩篇は、家臣ウリヤのバテシバに欲情したダヴィデ王が強行な手段により人を我がものとしたのを、預言者ナタンに諌言され、神に自

    『アレグリ「ミゼレーレ」』
  • 図書館で偶然見つかった楽譜から多声音楽・ポリフォニーの起源が明らかに

    By pjbishop93 誰しもが親しんでいる音楽を構成する3つの重要な要素は、「旋律(メロディ)」「拍子(リズム)」「和音(ハーモニー)」の3つであるとされています。このうち、複数の旋律が1つの音楽を作り上げる多声音楽(ポリフォニー)は9世紀ごろに始まった比較的新しいものとされていたのですが、イギリス・大英図書館で偶然見つかった資料からは従来の説よりも100年以上前からポリフォニーが使われ始めていたことが浮き彫りになってきました。 Chance discovery casts new light on origins of polyphonic music | Music | The Guardian http://www.theguardian.com/music/2014/dec/17/polyphonic-music-fragment-origins-rewritten Disc

    図書館で偶然見つかった楽譜から多声音楽・ポリフォニーの起源が明らかに
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