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2008年3月30日のブックマーク (6件)

  • まず最初に、お詫びしたいことがあります。

    anond:20080318031119を書いた増田です。 ふと思ったことを何気なくつぶやいたつもりだったんですが、たくさんトラックバックやはてブコメントをいただいていてびっくりしました。 まず最初に、お詫びしたいことがあります。 私は「女性なら誰でもアダルト表現を見て傷つくものである。そうでない女性は繊細さが足りない」などというつもりで最初の一文を書いた訳ではありません。 むしろ自分は少し神経質な方だと思っていますし、気にならないのならその方が暮らしやすいと思います。 表現の仕方でそう受け取られた方がいらっしゃったようなので、そう受け取って不快になられた方にはお詫びします。 コメントを拝見すると、大まかに「見たくないのなら見なければいいのでは」というご意見と、「ナイーブ過ぎるのでは。そういうものに溢れているこの世の中でそんなことを言っていたら生きていけない。慣れるしかない」というご意見の

    まず最初に、お詫びしたいことがあります。
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/30
    |アダルト表現を以後書き込み禁止ワードとして登録していく時、郵便受けに入っているチラシをなるべく見ないようにしてゴミ箱に入れる時、ちょっとずつではありますが、確実に気力が消耗していく|
  • 会津戦争をお笑いのネタにするTBSは恥を知れ - good2nd

    おとといのニュースですが。 問題としているのは、2月16日夜に放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日史雑学クイズ100連発!」。この中で、戊辰戦争の際に旧幕府側が会津若松城を明け渡した理由を問うクイズの正解が「糞尿(ふんにょう)がたまり、その不衛生さから」と紹介された。 市によると、放送前に内容を知り、再三見直しを要求したが聞き入れられなかった。放送直後からは「抗議すべきだ」とのメールが市民から殺到。市議会からも毅然(きぜん)とした対応を求める声が出たという。 僕はその番組を見ていませんが、まったく、信じがたい無神経さです。籠城ですから糞尿がたまることはあったでしょうが、普通に考えれば落城の原因は列藩同盟の瓦解や物資の枯渇でしょう。凄惨な戦いを強いられた人々の死を冒涜する、許せない態度です。事実関係以上に、犠牲者を笑いものにしようというその態度そのものに、人間性が感じられない。

    会津戦争をお笑いのネタにするTBSは恥を知れ - good2nd
    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/30
    戦争の悲惨さという趣旨に反するものではないが、遺体埋葬の禁止については新政府軍の亡骸も対象だったという旨の記述がWikipedia「会津戦争」にある。
  • 広告β:もうひとつの検索

    「(あなたの)好みの人はどんな人?」 合コン序盤戦でもよく聞く、定番の質問。 これに対して「自分が好きになった人」、と、禅問答のような回答も 見かけたりはするのだが、ほとんどの人が何らかの内容を即答してくる。 しかし次の問いはけっこう難しい。 「あなたを好んでいる人はどんな人?」 就職シーズン真っ盛りだ。 思えば、就職活動当時、自分が入りたい会社はなんとなくあっても、 自分を求めている会社がどこなのかはさっぱりわからなかった。 最近なら、高性能なジョブマッチングサービスなどがあったりするのだろうか。 たとえば、新商品のオリエンを受ける。想定ターゲットは20代女性。 まあ、そうなのかもしれない。ただ、当かどうかはわからない。 わかるのは、開発陣はそういうつもりで作った、ということだけだ。 この商品は当は誰に求められうるのだろうか? あるいは、ある技術が、誰に必

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/30
    |「あなたを好んでいる人はどんな人?」|という問いの難しさ。 |「私を好んでいる人はどんな人ですか?」/10年もしないうちに、逆向きの検索は実装されるのだろうか。|
  • http://www.asahi.com/international/update/0329/TKY200803290269.html

  • 講談社BOOK倶楽部−本|消えぬ面影 - 佐藤洋二郎

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/30
    |それに今は呑気なことを言っているが、消えぬ面影の一つくらいはあるのだ。その面影があるからこそ生きてこられたし、息子が馬鹿にする小説家の端くれにもなれたのだ|
  • 日本人はなぜパンを食べるのか?: 鶴見済のブログ

    「いまになって、日では『米を見直す』キャンペーンを始めていることは承知しています。しかし、すでに小麦は日人、特に若い層の胃袋に確実に定着したものと私たちは理解しています。今後も消費は増えることはあっても減ることはないでしょう。私たちの関心は、とっくに他のアジア諸国に移っています。日の経験で得た市場開拓のノウハウを生かして、この巨大な潜在市場に第二・第三の日を作ってゆくのが今後の任務です。日のケースは私たちに大きな確信をあたえてくれました。それは米民族の習慣を米から小麦に変えてゆくことは可能なのだということです」 1) これはアメリカ西部小麦連合会の会長の、つい最近ではなく、70年代の終わり頃の発言だ。 日人は第二次大戦の終戦まで、一般にパンを主にした「洋」をべる習慣はなかった。戦前まではご飯に味噌汁、漬物あたりを基にした事が普通で、こうしたコメ中心の事を何千年も