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旅とウズベキスタンに関するvaivieのブックマーク (3)

  • [7]ウズベキスタン、なんちゃってイスラム - 伊藤千尋|論座アーカイブ

    [5]ウズベキスタン、城壁都市ブハラの血の歴史 [6]ウズベキスタンの「青の都」から正倉院へ 洋装の若い女性、民族衣装の年配女性 サマルカンドの町を歩くと不思議な気がする。14世紀の古いモスクがそそり立ち伝統的な民族衣装を着た年配の女性が歩くかたわらを、モダンな洋装の若い女性が闊歩する。中世と現代が混在している。半世紀前の日で洋服と着物が混在していたのに似ている。宗教の影響というよりも、近代化の過程ととらえた方が正しいようだ。 イスラム社会と言えば、身体をすっぽりと布で覆ったアフガニスタンのブルカやスカーフで頭髪を隠したイランのヒジャブなど、女性が身体を隠した姿を連想する。でも、ウズベキスタンは違う。 若い女性は日や欧米とまったく変わらない洋服姿だ。ノースリーブで腕も脚もあらわにしたピンクや赤の花柄のワンピースを着た女性などごく普通に歩いている。女子学生やOLたちは体にピッタリした白い

    [7]ウズベキスタン、なんちゃってイスラム - 伊藤千尋|論座アーカイブ
  • [6]ウズベキスタンの「青の都」から正倉院へ - 伊藤千尋|論座アーカイブ

    中央アジアで最大規模のオアシス都市であり交易の中心地で、シルクロードの十字路となったウズベキスタンの世界的な古都だ。文化の交差路としてユネスコの世界遺産に登録されている。 街はその美しさから「青の都」と呼ばれる。抜けるような青空が広がる下に、鮮やかな青緑のトルコ石の色をしたモスクのドームが陽光を反射して輝く。井上靖氏の表現を借りれば「魂がそこへ吸い込まれていかずにはいられないような青さ」(『遺跡の旅・シルクロード』)だ。 地元の市民は「地球上にある最も歴史の古い町」だと誇る。「東のローマ」とも呼ばれるが古代ローマより古い。 紀元前4世紀には遠征したアレキサンダー大王によって「死の町」となり、蘇ったあと13世紀にはチンギスハンの軍隊に踏みにじられて再び廃墟と化し、14世紀には中央アジアを席巻したティムール帝国の首都となって復活した。破壊と再生を繰り返した不死鳥のような町だ。「チンギスハンは破

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  • [5]ウズベキスタン、城壁都市ブハラの血の歴史 - 伊藤千尋|論座アーカイブ

    カザフスタンから飛行機でウズベキスタンへ。首都タシケントの空港で入国するさいは身構えた。「通関のさい厳しく検査される」と日でさんざん聞いたからだ。書類の記述に間違いがないよう何度も見直して提出した。ところが、税関の係官はビザを確認したらあっという間に通してくれた。所持金などの申告用紙もさっと見ただけで何も言わない。聞いていた話とはだいぶ違う。 空港で迎えてくれたウズベキスタン人のガイドの男性は、名をシュンコルさんという。隼(ハヤブサ)の意味だ。顔は「細川たかしの隠し子です」と自ら紹介するほど、あの演歌歌手に似ている。おだてると「北の~酒場通りには~」と日語で歌い出した。声まで似ている。陽気で人懐こい。 まずは列車に乗って地方都市ブハラを訪れることにした。かつて王朝の首都だった町で、日で言えば奈良に当たる古都だ。 シルクロードが活発だったころ、都市国家だったブハラを中国では「安国」と呼

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