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[6]ウズベキスタンの「青の都」から正倉院へ - 伊藤千尋|論座アーカイブ
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[6]ウズベキスタンの「青の都」から正倉院へ - 伊藤千尋|論座アーカイブ
中央アジアで最大規模のオアシス都市であり交易の中心地で、シルクロードの十字路となったウズベキスタ... 中央アジアで最大規模のオアシス都市であり交易の中心地で、シルクロードの十字路となったウズベキスタンの世界的な古都だ。文化の交差路としてユネスコの世界遺産に登録されている。 街はその美しさから「青の都」と呼ばれる。抜けるような青空が広がる下に、鮮やかな青緑のトルコ石の色をしたモスクのドームが陽光を反射して輝く。井上靖氏の表現を借りれば「魂がそこへ吸い込まれていかずにはいられないような青さ」(『遺跡の旅・シルクロード』)だ。 地元の市民は「地球上にある最も歴史の古い町」だと誇る。「東のローマ」とも呼ばれるが古代ローマより古い。 紀元前4世紀には遠征したアレキサンダー大王によって「死の町」となり、蘇ったあと13世紀にはチンギスハンの軍隊に踏みにじられて再び廃墟と化し、14世紀には中央アジアを席巻したティムール帝国の首都となって復活した。破壊と再生を繰り返した不死鳥のような町だ。「チンギスハンは破