安保法制が施行された。若干遅きに失した感はあるが、憲法と安全保障関連の問題は、今後ますます多くの議論が戦わされることになるだろう。だが、どうしても議論は、集団的自衛権の必要性と、9条の扱い、つまり解釈も含め変えないのか、解釈を大幅に変えるのか、憲法を変えるのか、というあたりに集中してしまう。つまり、中国・北朝鮮の軍事的な脅威にいかに向き合うのかという極めて現実的な問題と、憲法9条の掲げる理念との間で、どのような折り合いをつけていくのかの問題として論じられがちである。 日本国憲法の前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって(後略)」とあるが、「恒久平和の念願」と「崇高な理想の深い自覚」は、十分に国民の間に果たされているであろうか。当たり前のこと過ぎて、念願も自覚も形骸化してはいないであろうか。理念の形骸化した法規範がリアリズムに巻き