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ブックマーク / technique.hateblo.jp (9)

  • 「他者との連帯を拒絶する者が底辺である」(北田暁大) - Freezing Point

    @QueenWaks なぜわたしが大事に思ってる女の子たちがこんな社会の最底辺彷徨ってるようなクズに毎日毎日罵詈雑言投げつけられて苦しまなきゃいけないのか。こんなに言われると人でも殺したのかと思うけどデモやっただけだからね アホかよ。*1 @QueenWaks: わたしの「社会の最底辺のクズ」の定義はレイシストやセクシスト等の他者に対する想像力を持たず知性に対し敬意を払わない人間のことです。 2015-10-16 11:52:27 via Twitter for iPhone @a_kitada: 近代の「社会」の概念に照らして完全に正しい用法かと。「社会の最底辺」は、貧困者でも高価値を与えられる地位や職にないひとのことを意味しない。主体たりうる資源がありながら、主体となることなく他者との連帯を拒絶する者、それが「底辺」。 URL 2015-10-17 01:14:13 via Twitt

    「他者との連帯を拒絶する者が底辺である」(北田暁大) - Freezing Point
  • 「職歴のない40歳以上」が、焦点になりつつある - Freezing Point

    ■《1000人に3人ひきこもり 15〜39歳 山形県が初調査》(産経ニュース) 社会的支援の必要性が指摘されている15〜39歳に限ると855人で、1千人のうち3人の割合になるという。 ■《ひきこもり「40代以上半数」》(NHK、山形県) 当初、県は、若者の「ひきこもり」が社会問題になったこともあって15歳から39歳までの比較的若い層を想定していましたが、調査の結果、40歳以上が全体の45%と半数近くを占めていたことが分かりました。 同じ調査に関する記事ですが、 産経は40歳以上を無視しており、 NHKでは逆に、40歳以上が半数近くを占めることが強調されています。*1 社会的ひきこもりについては、 「雇用の口があれば解決する」わけではありません。つまり、 (1)継続的就労を難しくさせる、関係性や意識のトラブルを抱えている (2)職歴や技能に基づいた就職活動ができない こうしたいきさつは、高齢

    「職歴のない40歳以上」が、焦点になりつつある - Freezing Point
  • 「その体験は、完全に無駄だった」のか - Freezing Point

    髭男爵・山田ルイ53世「引きこもりは完全に無駄」 人生の豊かさという意味で完全にロス。みんなと一緒に楽しく勉強して遊んだ方が絶対にいい。人生設計的にも苦境に追い込まれますからね。美化するのは違うと思うんですよ。 引きこもったら、不登校になったら、後々どれだけしんどいことになるかがよくわかります。ツケは自分で払うしかないんですよ。よく歌詞で「歯車になりたくない」ってありますけど、歯車、親の敷いたレール、めっちゃいいですよ。ドロップアウトすると、こっちは純正の部品じゃないから組み込まれるのはなかなか難しい。 《その体験は、完全に無駄だった》―― 病気・貧困・事故・犯罪被害・障害・医療過誤など、 「あるよりは、ないほうがいい体験」について、つねに問われ得るモチーフだと思う。 安直な美化は、弱さゆえのイデオロギーであり、必要な問題意識をかえって抑圧してしまう*1。その逃避的な態度は、じつは体験を受

    「その体験は、完全に無駄だった」のか - Freezing Point
  • 現代社会のフォーマットとしての、完成詐欺 - Freezing Point

    画家・永瀬恭一 「《完成》は恣意的な判断にすぎない」(togetter) これは作家としての議論なのだけれど、モチーフとして決定的に大事なのは、 私たちの生活世界への着手そのものに関わるから。 商品というのは、「私は完成しています」という詐欺ではないだろうか。 完成サギに身を染めないと、正しく存在していると見做されない、 それが私たちの生活世界ではないか? 「完成している」というアリバイゆえに、あなたも私も、それぞれの制作物も、 社会的な存在を許されているのではないか。 それを守ろうとするから、いろいろ、おかしくなるのではないか?*1 私にとって「当事者」とは、やり直しの場所ということだ。 名詞形で居直ることではない。 だからなんとか、動詞化したいのだ。 検証して、やり直すことじゃないか、自分の話というのは。 永瀬氏は漱石の『明暗 (新潮文庫)』を挙げているが、 まさに書物というのは、「こ

    現代社会のフォーマットとしての、完成詐欺 - Freezing Point
    weissbier
    weissbier 2014/03/25
  • 「生まれてこないほうが良かった」について - Freezing Point

    はてブ:《子供を作るのは鬼畜の所業。それか馬鹿。》 【メタはてブ】  【さらにメタ】 与えられた生を引き受けられないと感じたときに、 どうしても直面させられる(参照)。*1 ひきこもる人の一部は、 勝手に産んだのだから、親は俺の面倒を見る義務がある という論陣を張る。それをバカにすることはできても、 この言い分が生を引き受けられずにいる姿そのものであるという事実は残る。*2 「結論」を知的に出せるかどうかはともかく、 生まれてしまったものを引き受けられない弱さは、 事実として対処を迫られる。 生を肯定することが哲学で問われるのは、それほどまでに肯定が難しいから。知的というよりも、具体的な処方箋や技法として。世界を肯定することが(石ころのように)自明なら、問いや技法は必要ない。 《引き受けられない》という、そのこと自体がヒトの事実性になっている。*3 「肯定しろ」と外在的なお説教しかできない

    「生まれてこないほうが良かった」について - Freezing Point
    weissbier
    weissbier 2014/03/25
  • ひきこもることと社会契約 - Freezing Point

    ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)』より: だから純粋に公民的な信仰告白というものが必要なのである。その箇条を定めるのは主権者の役割である。それは厳密に宗教的な教義としてではなく、社会性の感情としてである。この感情なしでは、善き市民でも、忠実な国民でもありえないのである。主権者はそれを信じることを誰にも強制できないが、これを信じない者を国家から追放することはできる。主権者はこの人物を、不信心な人物として追放できるのではない。非社会的な人物として、法と正義を真摯に愛することができない人物として、そして必要とされるときに義務のためにみずからの生命を捧げることのできない人物として、追放できるのである。もしも誰かがこの教義を公式に是認したあとで、あたかもそれを信じていないかのようにふるまったとしたら、その人物は死をもって罰せられるべきである。この人物は最大の罪を犯したのであ

    ひきこもることと社会契約 - Freezing Point
    weissbier
    weissbier 2014/03/25
    “ルソーは、社会性の教義を受け容れた後になってこれを無視する者は、 「死刑になるべきだ」” “みんな、いつの間にか受け容れたことになっている” “主観性そのものが萎縮している”
  • 『なるにわ』さんの呼びかけから - Freezing Point

    『全国ひきこもりデー(4月1日)』の呼びかけから考えたこと ●(1)積極的に「ひきこもろう」という呼びかけは、実際のひきこもり状態にあるような《切断》とは、異質のふるまいになる。ストライキは、社会的な意思表示であり、最初から活動的だ。 ストライキに生じている意識や関係の動きと、「やむにやまれず引きこもるしかない」に生じているそれとで、何が違うか。――これは、重要な検証テーマ。*1 ●(2)日頃働いている人たちが引きこもるという日に、「いつも閉じこもっている人たち」に任せられることがあるなら素晴らしい。 それまでの経歴から、差別的に「ひきこもり」とレッテルを貼られていても、すでに求職活動を続けていて、むしろ参加や就労のチャンスがないことに苦しんでいるケースだって多いはず。(私もその一人) ●(3)ひきこもろうが、ストライキをしようが、結局は同じ社会に暮らしている。そこで、どういう参加を私たち

    『なるにわ』さんの呼びかけから - Freezing Point
    weissbier
    weissbier 2014/03/25
  • 笑いと権力について - Freezing Point

    contractio 氏、「正しいこと言いたいなら 笑いか権力、どっちか取らなあかんで」(togetter) お忙しいところ、お返事ありがとうございます。 【※エントリに頂いたお返事も、togetter に追加しました。】 私は 《権力》 という言葉を、「領土的な反復や強制力」というぐらいの意味で使っていました。 集団のなかで自分だけが笑えない場合、その場に反復される《笑いのスタイル》に、どうしても入っていけない。 これはマイノリティだけでなくて、例えば 「とんねるず⇔ダウンタウン」 のように、それぞれがお笑い強者のはずなのに、同席すると笑えない、ということがあります。 つまり、ある解釈のフレームがその場を支配する必要があって、それが軋み(きしみ)を起こすと、笑えない。私はそこに、権力の話との重なりを読みとったのでした。 周囲が笑っているのに、自分が笑えない場合、それが お笑いのスタイル

  • 笑いの難しさ - Freezing Point

    愛とユーモアの社会運動論―末期資主義を生きるために 作者: 渡邊太出版社/メーカー: 北大路書房発売日: 2012/02/01メディア: 単行購入: 5人 クリック: 106回この商品を含むブログ (8件) を見る 著者からご恵投いただき、読み始めたら、一日でほとんど読んでしまった。 すごく勉強されていて、ご自身がイタリアや韓国に足を運んでいるし、 現在の左派にどんな議論や活動があるかを知るには、ちょうどよい読み物だと思う。 第7章から読み始めることを、強くお勧めしたい。著者の「なりゆき」のスケッチであり、きっと書も、その延長上にあるのだと思う。 《場所》を支える、という氏の活動に、私も恩恵を得ている。 書からは、《労働》を話題にしてよいのだ、という元気をいただいた。と同時に、反論したいことがたくさんある。また議論をご一緒できることを期待しつつ、以下ではいくつか、メモ的に記しておく

    笑いの難しさ - Freezing Point
    weissbier
    weissbier 2012/08/27
    "ひとつの笑いに支配された場では、別のスタイルの問題意識を作ることは、ほとんどできない。 / 《笑いを共有できるかどうか》が、参加できるかどうかの決定的な分水嶺になり得る"
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