野村克也さんの言葉は強い。だから選手たちは夜のミーティングでも決して寝落ちしなかったという。どんな言葉を使っていたのか。野村監督の番記者だった加藤弘士さんの著書『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)より紹介する――。(1回目) 阪神の監督から社会人野球・シダックスのGM兼監督に 2003年1月8日、シダックスGM兼監督としての新生活がスタートした。 平日は世田谷区玉川田園調布の自宅を出て、新宿のヒルトン東京に宿泊することになった。自宅から練習場となる調布市内のグラウンドへ車で向かうには、渋滞が避けられず、到着時刻が読めないからだ。 新宿から調布なら距離は離れるが、高速道路で約30分。通勤時の混雑とは逆方向となり、楽に行ける。 マネジャーの梅沢とは、毎朝午前10時にヒルトンのロビーで待ち合わせることに決めた。上下ジャージ姿。赤いスタジャンを着て、梅沢の運転する黒塗りのセドリックの