磐城国田村郡御木沢村(現福島県田村郡三春町)に、三春藩士・村田七郎兵衛の次男として生まれ、幼いとき三浦義純の養子となった。 明治2年(1869年)藩校の講文堂に入る。寄宿舎の同期に加藤木重教がいる[1]。明治5年(1872年)東京に出て岡千仭の門に入り漢学を修めた。明治6年(1873年)大学東校に入り、明治14年(1881年)東京大学医学部を首席で卒業し、内科助手となった。同級に高橋順太郎、中濱東一郎、森林太郎、小池正直、賀古鶴所がいる。 明治15年(1882年)第5回文部省国費留学生に選ばれ、ドイツのライプツィヒ大学に留学、コーンハイムに師事。翌年ベルリン大学に移り、ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーに師事。病理学を専攻し、ドクトル・デル・メディチーネの学位を得て明治20年(1887年)帰国。 帰国して間もない明治20年3月17日、帝国大学医科大学教授に就任し、病理学病理解剖学
在日韓国人指紋捺印拒否者第1号で、反対運動の象徴的存在だった韓宗碩(ハン・ジョンソク)さん(写真)が25日未明、東京の病院で亡くなった。79歳。 慶尚北道出身である韓宗碩さんは1980年、在日韓国人としては初めて指紋捺印を拒否し、日本全域を回って反対運動を展開した。日本政府は55年、外国人を管理する目的で強制指紋捺印制度を導入し、拒否時には1年以下の懲役または20万円以下の罰金に処すとした。外国人登録法違反の疑いで起訴された初の人物でもあった韓さんは89年、昭和天皇死去に伴い裁判所に免訴判決を言い渡された。 韓宗碩さんの活動で日本全域にいる1万人以上の在日韓国人がこれを拒否した。結局、日本の裁判所は「外国人に対する強制指紋捺印は人権侵害」という判決を下し、2000年にこの制度が廃止された。葬儀は30日、東京新宿区落合で行われる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く