君が代斉唱を拒否するってことは、君が代斉唱が愛国心の象徴であるという認識を君が代斉唱を強制する立場と共有しているということだ。 従って、君が代斉唱拒否運動が高まれば高まるほど君が代が愛国心の象徴であるという認識が強化されていってしまう。つまり皮肉なことに、意図したのと全く逆の結果になるのだ。 だから、君が代が特別な歌であるという認識を薄めていくためにはむしろ、他の歌と同じようにどんどん君が代を歌った方がいい 思えば、君が代問題同様、日本の左翼運動は常に右翼と認識を共有する点で同根である。例えば、中国や韓国に第二次大戦における日本軍の残虐な行為のことで現日本政府に謝罪しろと迫る左翼は、国家や民族の世代を越えた同質性や連続性という認識を右翼と共有している。右翼と左翼は前提となる認識を共有するという点で実は同胞であり従って、反原発で右翼と左翼が共闘しているように見えるのは当然なのである。
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