『記紀』の原史料として重要なものとして『帝紀』や『旧辞』がある。これらの内容は古くに佚失し伝存していないが、前者は天皇の名前、系譜、后妃や子供の名、宮の場所、治世中の重要な出来事、治世年数、王陵の場所[4]、後者は神代の物語、神々の祭の物語、天皇や英雄の歴史物語、歌謡、地名・事物の起源説話などからなっていたと推定されている[5][注釈 4]。欠史八代が「欠史」とされるのは、『記紀』に伝わる各天皇の記事がほとんど『帝紀』的な系譜情報のみからなり、『旧辞』の部分、即ち物語や歌謡など具体的な歴史情報が存在しないことによる[7]。このため、この8代の天皇が皇室の起源をより古いものとするために後世に追加されたものであることが疑われ、その実在性が問題となった[7]。 欠史八代議論が本格化するのは第二次世界大戦終結後である。戦前、『記紀』の研究には皇統や国体といった概念への一定の配慮が必要であり、特に1