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中国と台湾に関するyosi0605のブックマーク (5)

  • 「二重国籍」か判断避ける=蓮舫氏問題で法務省 (時事通信) - Yahoo!ニュース

    民進党の蓮舫代表代行が、日国籍取得後も台湾中華民国)籍が残っていたことを認めた問題で、国籍事務を管轄する法務省は、「二重国籍」に当たるかどうか判断を避けている。 日台湾の間に国交がなく、今回のようなケースに台湾中国中華人民共和国)のどちらの法律を適用するかが定まっていないためだ。 台湾の「国籍法」は、台湾籍を放棄するには台湾当局の許可を必要としているが、蓮舫氏はこの手続きを取っていなかった。一方、中国の国籍法は、外国籍取得の時点で自動的に中国籍を失うと定めており、中国の法律に従えば二重国籍の問題は生じない。 法務省の担当者は13日、「実際に外国籍があるかどうかは、その外国政府が判断すべき事柄だ」と指摘する一方、蓮舫氏のケースで「外国政府」が台湾当局と中国政府のどちらを指すかは特定しなかった。 日は1972年に中国と国交を正常化し、台湾と断交。同年の日中共同声明では「日

    「二重国籍」か判断避ける=蓮舫氏問題で法務省 (時事通信) - Yahoo!ニュース
  • 『台湾海峡一九四九』 - HONZ

    中国は、日の侵略に耐えぬき、戦後5大国の一員として重要な地位を認められた。しかし、国内では大戦末期から再燃した国共両党の対立が続いた。 中国共産党は毛沢東の指導のもとに新民主主義をとなえ、農村部で土地改革を指導して支持をかため、47年なかばから人民解放軍によって反攻に出た。 49年12月蒋介石は大陸から追われて台湾にのがれ、ここで中華民国政府を維持した。(山川出版社・詳説世界史より) 教科書の記述はこうだ。侵略、対立、反攻、維持……しかし、人々を襲った嵐はそんな言葉では表しきれないものであった。書は、兵役によりまもなく入営しなくてはならない十九歳の息子・フィリップに「家族の歴史を知りたい」と求められた母・龍應台さんが、それに応えるべく、父母の漂泊の人生をたどり、父祖の地を訪ね、あるいはまた今は年老いたかつての少年たちなど数多くの人々に聞き取りをしながら綴った“物語”だ。収められた多くの

    『台湾海峡一九四九』 - HONZ
  • 中国への接近に「NO」を突きつけた台湾の「ひまわり学運」 方向転換を迫られる馬英九政権 | JBpress (ジェイビープレス)

    4月10日、台湾で24日間にわたって立法院を占拠していた学生たちが自主的に撤退した。学生たちの行動は、日に置き換えてみれば国会議事堂を学生が占拠したに等しいから、過激な行動であったことは間違いない。しかし、その行動は非暴力に徹し、非常に組織立って遂行されたこともあり、これら学生たちを多くの台湾市民が支持したことも事実である。台湾ではこの学生運動を「ひまわり学運」と呼称している。 学生たちによる立法院占拠のきっかけは、中台の自由貿易取り決め(「経済協力枠組み協定」: ECFA)に依拠し2013年6月に中台間で調印された「サービス貿易協定」の批准手続きを、与党・国民党が強硬に採決しようとしたことである。与党・国民党は規定の3カ月の討議期間が過ぎたことを理由に採決の審議を打ち切ったのだった。 「なし崩し的な中台統一」実現への懸念 学生たちの行動は、野党・民主進歩党との連携に基づくものではなく自

    中国への接近に「NO」を突きつけた台湾の「ひまわり学運」 方向転換を迫られる馬英九政権 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 朝日出版社第二編集部ブログ  梶谷懐 第11回 第4章 日本と中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察(1)――

    4.25.2014 梶谷懐第11回 第4章 日中国のあいだ ――「近代性」をめぐる考察(1)―― 「ひまわり学生運動」と安保闘争 この連載では、これまで中国の「民主」や「立憲主義」、そして「国家」の関係について考察を行ってきた。これらの問題を考える上でも決して無視できない重要な動きが、近年経済面を中心に中国との結びつきがますます強まりつつある台湾で起きた。2013年に台湾中国と締結したサービス産業部門における市場相互開放協定「ECFA(海峡両岸サービス貿易協定)」について、その内容および批准プロセスの不透明さに抗議する学生たちの運動「ひまわり学生運動(ひまわり学運)」をめぐる動きがそれだ。 規制緩和による既存の産業への影響や、政治経済面における中国の影響力の拡大が予想されるなど、かなりセンシティヴな問題を含んでいたにも関わらず、協定の内容を十分に情報公開しないまま批准を進め

  • (@台北)台湾立法院占拠、ぼくたちの23日間戦争:朝日新聞デジタル

    ■特派員リポート 鵜飼啓(台北支局長) 11日朝に訪れた台湾立法院(国会)の議場は、何事もなかったかのようにすっかり元の様子に戻っていた。 10日夜までの23日間、立法院では異様な光景が繰り広げられていた。学生らが議場に突入し、たてこもったのだ。出入り口にはバリケードが築かれ、標語やポスターなどが所狭しと張り出された。学生らは寝袋などを調達して泊まり込み、生活感があふれる空間にもなっていた。その痕跡が、一掃されていた。 議場に戻ってきた立法委員(国会議員)たちが、自席の引き出しを点検する姿が多く見られた。「私たちを失望させないで」。そんな手書きのメッセージが残されていた議員もいた。歯ブラシや、ビタミン剤が入ったままになっていた引き出しもあった。 確かに、彼らはここにいた。 占拠の引き金を引いたのは、3月17日に立法院であった一つの動きだった。内政などの合同委員会が、昨年6月に調印した中国

    (@台北)台湾立法院占拠、ぼくたちの23日間戦争:朝日新聞デジタル
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