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ブックマーク / www.gcd.org (9)

  • 仙石浩明の日記: 新規一括 0円の Galaxy Nexus (SC-04D) を買ってみた 〜 国際版 Galaxy Nexus と全く同じにする

    よほど在庫が積み上がってるのか、 ドコモ SC-04D Galaxy Nexus が新規一括 0円で売っていた。 あんなに大々的な宣伝を行なっておいて何をやってるんだか... 私が見た店は、 0円の条件として、 ひとりでも割50 が必須。 つまり 2年間の契約期間中に割引サービスを廃止 (あるいは回線ごと解約) する場合は、 9,975円の解約金が必要となる。 契約事務手数料 3000円の他、 初月のみ 「パケ・ホーダイ ダブル2定額」 など諸々のオプション (写真→) を付ける必要があり、 違約金以外に 5000〜7000円ほどかかる。 加入条件のオプションの多さに圧倒されるが、 「パケホダブル」 以外のオプションは初月無料がほとんどで、 今月中に解約すれば費用はかからない。 パケホダブルは月額2,100円だが日割が適用されるので、 月末近くに契約すればもっと安くなる (あいにく私が買っ

  • 仙石浩明の日記: ロングテール戦略が格差社会を生む: 機会均等

    「機会均等」には三つの種類がある。 金持ちになるための機会 貧乏にならないための機会 貧困から脱出するための機会 一番目の「金持ちになるための機会」とは、 例えば「アメリカン ドリーム」のようなものである。 ほとんど全ての人は夢想することはあっても気で目指そうとは思わない。 気で目指さないのだから達成できなくても、それは当然だろう。 ほとんどの人が、そういった夢を達成できないからといって、 機会が均等でないことの理由にはならない。 二番目の「貧乏にならないための機会」とは、 「安定した生活」のようなものである。 機会なんかなくても、人並みの努力していれば人並みの生活を維持できると、 かつては信じられていた。 昨今の競争社会は、生活水準が悪くなったと感じる人が増えつつあることから、 努力しても報われない社会だと言う人がいる。 果たしてそうだろうか? むしろ、「人並みの努力」で中流が維持で

    yugui
    yugui 2006/12/30
    3つの機会均等について
  • SED 教室

    SED 教室 SEDLEC Release 1.11 Copyright(c)1992-95 by Hiroaki Sengoku sengoku@gcd.org SED は、UNIX, MS-DOS など多くの OS 上で利用可能な非会話型ストリームエ ディタです。高機能である反面、スクリプトが慣れるまでは難しいので、あまり 使われていませんでした。そこで少しでも多くの方に SED のすばらしさを知っ ていただきたいと思い、SED 教室を Nifty Serve FMCN フォーラム 17 番会議室 で開講しました。その第一回目から第十三回目までの内容に加筆訂正を行ったも のがこのパッケージです。 Release 1.00 (平成四年夏) SED 教室 第一回 〜 第十一回 Release 1.11 (平成七年秋) SED 教室 第一回 〜 第十三回 SED 教室パッケージは以下のファイ

    yugui
    yugui 2006/10/20
    sedの解説
  • 仙石浩明の日記 「ソフトウェア開発」は「モノ作り」ではない

    いつのころからか、 ソフトウェア開発がモノ作りに喩えられるようになった。 典型的なのは、製造業(例えば自動車製造)と IT 業界とを比較して、 前者が高度にシステム化されているのに対し、 後者がまるで家内制手工業のようだ、という批判である。 日経ビジネス online の記事に次のようなくだりがあった: 「というより、何といいますか、経営トップからすると、 ITはとにかく非常識な世界だ、としか思えないのではないかなあ。 例えば大きなシステム開発プロジェクトに取り組むと、 すぐ100億円を投資する、という話になってしまう。 100億円の経常利益を出そうと思ったら当に大変。 ところが、100億円を投じたのに、期限までに完成しない、 出来上がってきたものが当初計画と違う、 直そうとするとさらに金がかかる。 こんなことが起きるわけですから、『一体なぜなんだ』と経営トップは思うわけです」 IT業界

    yugui
    yugui 2006/07/29
    まぁ、昔から言われてるアナロジーの罠。コメント欄が秀逸。
  • 仙石浩明の日記: 勤労の義務

    「勤労の義務」は、 言うまでもなく日国憲法第27条に規定されている、 日国民の3大義務の一つであるが、 そのそろこの勤労に対する固定観念をかえていくべきなのではないか? 来るべき共産社会へのビジョンは、 Web2.0 で初めて見えてきたわけでは決してなく、 何十年も前から様々な形で繰り返し描かれてきた。 例えば、 断絶への航海 ハヤカワ文庫 SF (586) ジェイムズ・P・ホーガン (著), 小隅 黎 などの近未来小説などの形でも。 SF においては、StarTrek を引き合いに出すまでも無く、 未来には貨幣経済が存在しないという設定のほうが、 むしろ普通となっている。 にもかかわらず、いまだに資主義以前の ナイーブな勤労観がはびこっているのは、 憲法に基づく洗脳教育のたまものなのだろうか? 人力検索はてな から引用: 「年収300万の自分にとって最高に面白い仕事」か「年収100

    yugui
    yugui 2006/07/06
    私も会社で奨めたけど、『断絶への航海』は個人にとっての価値と会社にとっての価値の差を用いてよりよいwin-winな搾取を行うための指南書だわさ。
  • 仙石浩明の日記: ロングテール戦略が格差社会を生む: 必要は発明の母

    格差が広がりつつあることの根拠として、 親の資金力が子供にかけられる教育費に影響を与え、 子供の知能に影響する、という点があげられることがあるが、 果たしてそうだろうか? 確かに、お金に糸目をつけなければ いくらでも(授業料が)高い教育を受けさせることができる。 いくらデキの悪い子でも、 教えたぶんくらいは学力が上がるだろう。 しかしながら学力と知能は違う。 知能とは考える力であり、 いい学校にいけば身につけられる、 というものでもない。 学びて思わざれば則ち罔し 教わるだけで考えなければダメ、とは 論語以来くり返し言われ続けてきていることであるが、 考える訓練を学校で行なっているかと言えば、 なかなか心もとないものがある。 少なくとも私の経験だと、 考える習慣というのは学校とは関係のないところで身につけたような気がする。 どういうときに考える習慣が身についたかと言えば、 それは何か不足し

    yugui
    yugui 2006/07/06
    世代が下だから初めて触ったときのレイヤーはもっと上だったけど、「「知」に対する渇望」で言ってることは同感。私も乏しい資料を漁っては何度も読み込んで考えて、工夫したもんだった。
  • 仙石浩明の日記: TCP/IP を使った DNS 問合わせ

    DNS問合わせというと、 ネームサーバの UDP/IP の 53番ポートへ問合わせるのが一般的であり、 TCP/IP の 53番ポートはゾーン転送のみに使われることが多い。 しかし RFC (RFC1035 および RFC2136) 上は TCP も、UDP と同様、 通常の問合わせにも利用することができることになっているし、 多くのネームサーバでそのような実装になっている。 手近なネームサーバが利用できない環境 (某ホテルの無線LAN 環境など ;) で、 やむを得ず遠方のネームサーバを利用する際などに、 TCP を使って問合わせをすると、 ポートフォワードすることもできて便利である。 拙著「ネーム・サーバ (前編)」に書いたようにネームサーバには二種類あって、 ここで言うネームサーバは、 「/etc/resolv.conf に登録できるネーム・サーバー」のことである。 つまり、リゾルバ

  • 仙石浩明の日記: プログラマを目指すのに適した時代、適していない時代

    プログラマの道を目指すのに適した時代、適していない時代、 というのがあるように思う。 もちろんプログラマに限らず、あらゆる職種、それぞれについて、 適した時代というのがありそうだ。 最初に断っておくが、 適していない時代だからといって、その職種を目指すな、と言っているわけではない。 ただ単に、適していない時代であることを意識し、 適していないことを覚悟して ;-)、その道を目指すべきだ、という意味である。 現代は、プログラマを目指すのには適していない時代だとつくづく思う。 そんな馬鹿な、インターネットの普及によって、何でも簡単に調べられて、 その気さえあればいくらでも高度な勉強ができて、 いくらでもプログラマとしてのスキルアップができるではないか、 という反論が聞こえてきそうであるが、 もうしばらく黙って私の話を聞いて欲しい。 「自分なりに体系化するセンス」で、長久氏曰く: 「仙石浩明の日

  • 仙石浩明の日記: プログラマ 35歳 定年説

    「プログラマ 35歳 定年説」、みなさんも一度は 聞いたことがあるのではないかと思います。 35歳ぐらいになったらプログラミングなんて仕事は若い人に譲って、 マネジメントをやりなさい、 という趣旨ですね。 その理由として、体力的な面だとか、 歳をとってくると新技術を覚えられないとかが、 あげられるようです。 実際、多くの企業でプログラミングは新人ないし外注の人 (最近はオフショアも増えてきました) の仕事とされ、 中堅社員はマネジメントや上流行程を担当することが多いようです。 そして、この定年説に真っ向から異を唱える主張が、 ここ 10年くらいずーっと続いています。 よくもまあ、こんなに長い間、 アンチ定年説が唱え続けられるものだと感心してしまいますが、 やはりこれは定年説に異を唱える人が多いにもかかわらず、 世間一般では 35歳を越えるあたりで、プログラマ人口が減るからなのでしょう。 寄

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