6434人が亡くなった、阪神・淡路大震災。 その多くの人が地震当日に亡くなっていたとされている。 しかし、発生当日の正午に兵庫県警が発表した死者数は200人だった。 「東京に情報が入らず、何がなんだか分からなかった。これは尋常ではない…」 あの日、何が起きていたのか。当時の警察庁長官が初動対応の裏側を明かした。 (神戸放送局 記者 井出瑞葉) 1995年 地下鉄サリン事件も銃撃事件も… 「1995年は、大変な1年だった。阪神・淡路大震災が起きて、オウム真理教による地下鉄サリン事件もあって。そして私も撃たれてしまって―」 警察庁元長官の國松孝次(85)は、インタビューの中で、阪神・淡路大震災が起きた1995年(平成7年)をこう振り返った。 國松は1961年に警察庁に入庁し、警視庁公安部長や警察庁刑事局長などを歴任。 1997年3月までのおよそ2年8か月にわたり 警察庁長官を務め、阪神・淡路大
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