もしも 生まれ 変わるなら ぼくは あの子の サドルに なりたい 青くて かわいい 自転車の サドルに ぼくは 憧れる あの子の おしりを まぢかに 感じ 走りだしたい へんたい のうた
2009 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 2010 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 2011 | 01 | 05 | 06 | 07 | 10 | 11 | 2012 | 04 | 05 | 10 | 今日の会社 おなかすいたし焼肉食べたいし外に出てる営業さんがいまから焼肉って恵比寿の高そうな焼肉屋のURL送ってくるし私も…私も行かせて…(積み荷を燃やしてくらいの切迫した感じで読んでください) はてなハイク ほんとに終わってしまうん??? ひとりごと 信号待ちの車の窓が開いて、助手席のひとがポトンと吸い殻を外に捨てた。持って帰ればいいじゃんとおもって車内を見たら、助手席の目の前に禁煙ってシールが貼ってあり、ナンバーを見たらレンタカーだった
別に皮肉でもなんでもなく、本当にそう思う。 News×News : なんで昔の人はいっぱい子供生んだの? 生まれた子供は今よりもずっとたくさん大人になれなかった 子供は小さいうちから労働力として期待され働かされた 富国強兵・産めよ増やせよ=>一億総玉砕 そんなこんなで、女の人は体が壊れようと、死んでしまおうと、子供が嫌いだろうと、とにかくたくさん子供を産むことを強制された。 生まれた子供を両親が育てられなければ、どんどん養子やら里子やら奉公やらまあとにかく親元から引き離された。 幸運にも引き離されなくても、なんでもない病気や怪我であっという間に死んでしまったりしていた。 「産む・産まない」「産ませる・産ませない」を選択できるこの時代は間違いなく幸せな時代だ。 戦後、親となる人やその子供たちを守るためのさまざまな努力で、結果的に「少子化」となっているとしても、その努力自体を否定してはいけない
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
# しゅふ 『というか、そういう子育ての現場にいなさそうな人のエントリっぽいので、論理的に説明されてても戯言にしか聞こえないなあ。自己責任が招いた事故だから子供殺されても仕方ないってことなんだろうか?よくわかんない。』 (2007/02/16 05:00) 「みんなと同じ」でないと「異常」であるという日本ルール - こころ世代のテンノーゲーム 短絡的な罵倒や定型区的な書き込みはともかく、これは、これこそは最も恐ろしいコメントである。 それは「現場にいない人間の思考や想像力はすべて無効である」という、一見もっともらしいがその実最も反社会的な考えであるにもかかわらず、「実感として正論である」と受け入れられる考え方である。 これを真実だとするなら、今話題の経済学論争など、見事にすべてがたわ言・戯れ事だということになるだろう。 ことはそれに留まらない、そもそも「現場に携わっていることだけが発言を保
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