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ブックマーク / www.nippon.com (20)

  • J-POPを席巻する「Just The Two of Us」コード進行を読み解く

    近年、音楽ファンの間で「丸サ進行」、「Just The Two of Us進行」なるワードが注目を集めている。「丸サ」とは、椎名林檎の楽曲「丸の内サディスティック」の略で、同曲の小気味の良いメロディーラインが若者の間で再評価されると共に、この曲のコード進行の影響を感じさせるJ-POPのヒット曲も誕生。俄かに丸サ進行の「ルーツ」と目される楽曲「Just The Two of Us」のコード進行にも関心が高まっている。はたしてこのJ-POPにも少なからぬ影響を与えている「Just The Two of Us進行」とは、どんなコード進行なのか。クラシックから最先端のものまで、さまざまなジャンルの音楽への造詣が深い音楽プロデューサーの横山裕章さんにこの現象を解説してもらった。 横山 裕章 YOKOYAMA Hiroaki 音楽プロデューサー。米国テキサス州生まれ。幼少時代をオランダで過ごす。5歳よ

    J-POPを席巻する「Just The Two of Us」コード進行を読み解く
  • ラグビーW杯総括:南アフリカ優勝に見た世界ラグビーの新潮流と日本代表の課題

    南半球勢の強さが目立ったラグビーワールドカップフランス大会は、南アフリカが史上最多4度目の優勝を果たして幕を閉じた。大会を振り返り、解析技術が進んだラグビーの新潮流と、ベスト8進出がかなわなかった日本代表のさらなる進化のための課題を検証する。 南アフリカ4度目の戴冠を支えた分析能力 ラグビーワールドカップ2023は決勝で南アフリカ(南ア)がニュージーランド(NZ)を破り、2019年日大会に続く2連覇を飾って幕を閉じた。南アは4度目の優勝となり、3度で並んでいたNZを抜き単独最多となった。 優勝した南アが際立っていたのは接戦を勝ち切る強さだ。準々決勝のフランス戦が29-28、準決勝のイングランド戦が16-15、決勝のNZ戦が12-11と、すべて1点差の勝利だった。 また、南アは日大会に続き、プール戦で1敗を喫し、2位で通過しながらの優勝。それ以前の8大会ではすべて、プール戦から全勝したチ

    ラグビーW杯総括:南アフリカ優勝に見た世界ラグビーの新潮流と日本代表の課題
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2023/11/11
    「頂点を争う上位チームはどこも、プール戦では選手をローテーション起用して肉体的疲労をコントロール…日本代表も優勝を目標に掲げる以上、誰が出ても変わらない力を発揮できる選手層の厚さを作る必要がある」
  • 「もっとうまくなりたい」: ラグビー韓国代表の父を持つ具智元が、国籍を変えてまで日本代表としてプレーする理由

    ラグビーW杯2019に日本代表スクラムの要として出場した具智元(26歳、ホンダヒート)は、韓国ラグビー界の英雄を父に持つ選手だ。W杯でのジャパン躍進に貢献した後、日国籍を取得。両国関係を考えれば異例の出来事だが、根底にあるのはラグビープレーヤーとしての純粋な思いだった。 例えば、ある団体スポーツにおいて、国際大会に出場したチームの対戦相手が、政治歴史的に因縁浅からぬ隣国だったとする。その歴史的な“ダービー”の勝利に大きく貢献した名プレーヤーの息子が、父の背中を追うようにその競技を始め、やがて、父がかつて破ったその隣国の代表選手となる——。 地球規模で見回しても、極めて稀有(けう)な事例ではないだろうか。そんな超レアな背景を持つ選手が、ラグビー日本代表の一員に名を連ねている。少なくとも、サッカーや野球では考えられない。宿敵“イルボン”を倒したチームの英雄の息子が、日の丸を背負って戦うな

    「もっとうまくなりたい」: ラグビー韓国代表の父を持つ具智元が、国籍を変えてまで日本代表としてプレーする理由
  • 方言:残したい地域社会の心の支え

    共通言語化やコミュニティーの弱体化で使用される機会が激減し、地域の暮らしと共にあった多くの方言が衰退しつつある。特に東日大震災の被災地でその傾向が顕著だ。消滅の危機を防ぐため、筆者らはかけがえのない東北方言を記録する活動を行っている。 日列島ではさまざまな方言が話されている。ある研究者の分類によれば、日列島は北から南まで24個の方言に区画される。しかし、これは非常に大まかな区分であり、具体的な単語や文法の違いに注目すれば、全ての市町村、いや集落ごとに方言が異なると言っても過言ではない。 そうした方言は、かつては田舎者の象徴であり、蔑視の対象となっていたが、近年ではその評価は逆転し、温かさや親しみを感じさせるものと受け止められるようになってきた。相手との距離感を縮め、楽しく交流するためのコミュニケーションツールとして、効果的に方言が活用されている。商品のネーミングに使用されたり、ドラマ

    方言:残したい地域社会の心の支え
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2020/02/26
    「瞬時に発せられるこうした言葉にさえ多様性が見られることは、日本がいかに方言の豊かな国であるかを物語る。」
  • 日本で唯一の「国際町」の今:新潟県南魚沼市から見える「国際化」の厳しい現実

    コシヒカリの産地として知られる新潟県南魚沼市は、約60カ国からの留学生たちが学ぶ国際大学の所在地だ。行政は彼らを「住民」扱いしていない。豪雪地帯の「陸の孤島」で閉塞的な生活を送る多様な人材を、今こそ地域活性化に生かすべきではないのか。南魚沼を拠点に活動するライターが問題提起する。 57カ国の出身者が集まる「国際町」 私たちの日常生活は「国際」という言葉であふれている。新聞記事で目にするのはもちろんのこと、空港、学校、駅、病院、会社など、当たり前のように名称の一部に使われている。 しかし、「国際」という言葉を含む地名はまれで、日に3つ(あとの2つは神奈川県の「湘南国際村」、長野県の「神山国際村」)しかない。 1982年、コシヒカリで有名な新潟県南魚沼郡大和町(2000年代の市町村合併で現在は南魚沼市)の16ヘクタールという広大な元農地に、日で初めて、そして唯一の「国際町」地区が生まれた。

    日本で唯一の「国際町」の今:新潟県南魚沼市から見える「国際化」の厳しい現実
  • ラグビーW杯主催の日本人はどうやって世界の心をわしづかみしたのかー元BBC支局長

    ラグビーのワールドカップ(W杯)日大会では、日が準々決勝で南アフリカに敗れて4強入りを逃したものの、世界の強豪を連破しての予選1位通過は、海外メディアの賞賛の的となった。元BBC(英国放送協会)東京支局長の国際ジャーナリスト、ウィリアム・ホーズレー氏は「ホスト国ニッポン」を称え、ニッポンドットコムに寄稿した。 サッカーファンは、サッカーを「ビューティフルなゲーム」と呼ぶのを好むが、ラグビーはまさに「ハートのゲーム」である。なぜなら選手たちの肉体に宿る勇気、すなわち真のガッツがむき出しになるからだ。彼らはラックの中で泥に足を滑らせ、体をねじるようにして折り重ね、数インチでも前進しようと真っ向からぶつかり合う。そして、ウイングやスクラムハーフが敵の防御ラインを突破してゴールラインめがけて飛び込むとき、ファンの心臓は興奮で張り裂けそうになる。 そして日人たちも、心のこもったもてなしやスポー

    ラグビーW杯主催の日本人はどうやって世界の心をわしづかみしたのかー元BBC支局長
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2019/10/31
    「私が感銘したのは、ごく普通の日本人の意識の中に多くの外国人ファンが潜り込み、影響を与えたことだ。例えば、英国のテレビ局から街頭インタビューを受けた、ある日本人女性のように。」
  • ラグビー日本代表:4戦全勝の軌跡と南ア戦勝利へのシナリオ

    自国開催のラグビーW杯で、プールステージA組を4戦全勝で1位通過し、2015年大会に続いて世界を驚かせた日本代表。楽な勝利は一つもなかった苦闘を振り返り、初進出となったファイナルステージの戦いを占う。 ラグビーの日本代表ってこんなに強かったの? どれだけの人が、そんな問いを発し、あるいはつぶやいただろう。 ラグビー伝統国以外で開催された初めてのワールドカップ(W杯)。ホスト国の日はプールステージ(1次リーグ)A組の4試合を見事全勝で通過し、史上初めてベスト8進出を決めた。 これ以上ない結果だが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。 開幕戦の重圧を解き放った松島幸太朗の豪脚 快足を発揮し、W杯で日選手初となる1試合3トライを挙げた松島幸太朗=2019年9月20日、東京スタジアム(時事) 幕開きは東京スタジアムのロシア戦。日本代表を覆っていたのは極限の緊張だった。 初めての自国開催。ロシ

    ラグビー日本代表:4戦全勝の軌跡と南ア戦勝利へのシナリオ
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2019/10/18
    大友信彦さん
  • ラグビーW杯2019:日本代表メンバー31人のプロフィールと試合日程

    関連記事> ラグビーW杯2019日大会の開催都市と試合会場【東日編】 ラグビーW杯2019日大会の開催都市と試合会場【西日編】 ラグビーW杯2019日大会 日本代表メンバー (年齢、代表戦、W杯のデータは2019年10月13日現在) ■ヘッドコーチ(HC) ジェイミー・ジョセフ Jamie Joseph 生年月日/年齢:1969.11.21/49歳 出身地/出身校:ニュージーランド/オタゴ大学[NZ] 選手代表歴:ニュージーランド代表(20Cap)、日本代表(9 Cap) 主なHC経歴:2011-2016 ニュージーランド・ハイランダーズ(スーパーラグビー)HC ※2015シーズン優勝 ■フォワード(FW) ●プロップ(PR) 稲垣 啓太 Inagaki Keita 生年月日/年齢:1990.06.02/29歳 身長/体重:186cm/116kg 出身地/出身校:新潟県/関東学院

    ラグビーW杯2019:日本代表メンバー31人のプロフィールと試合日程
  • エディー・ジョーンズが変えた日本のラグビーとビジネスカルチャー

    2015年のラグビーW杯で日本代表を率いた名将エディー・ジョーンズ。その多大な影響は日のラグビー界だけでなく、ビジネス界にまで今なお残っている。「エディーさん」を間近で取材し続けた筆者が見た、その哲学とは。 もう4年前のことなのか。 ラグビーワールドカップ(W杯)で日がラグビー界の巨人、南アフリカを破ったのは。 1987年に始まったワールドカップにおいて、日は2011年の大会まで、わずか1勝しか挙げたことがない弱小国だった。 唯一の勝ち星は、1991年のイングランド大会、相手はジンバブエである。 それが2015年のイングランド大会では、南アフリカに勝ち、スコットランドには完敗を喫したものの、サモア、アメリカに勝って3勝を挙げた。 ワールドカップ史上、3勝を挙げても準々決勝に進むことができなかったのは初めてのことではあったが、最終戦のアメリカに勝って帰国するという「ハッピー・エンディン

    エディー・ジョーンズが変えた日本のラグビーとビジネスカルチャー
  • 67年前の“戦後秘話”に込められた日英の「絆」

    と英国の交流400年にあたる2013年、第2次世界大戦の終戦5か月後に起きた日英の“戦後秘話”が映画化された。その映画とは、女優・比嘉愛未(ひが・まなみ)さん初主演、油谷誠至監督の『飛べ! ダコタ』だ。 ©「飛べ! ダコタ」製作委員会 映画は、新潟県・佐渡島の寒村に不時着したイギリス軍輸送機、愛称「ダコタ」を、村民が一丸となって救援し、無事帰還させるまでを描いたもので、まさに佐渡島民と英軍兵士の“絆”と“再生”の物語だ。映画完成までには3年の歳月がかかり、途中紆余(うよ)曲折を繰り返したが、エキストラ出演、裏方支援など約3千人の島民が協力を惜しまなかった。佐渡島民の協力なくしては完成しなかった「佐渡ん人間(さどんもん)」の映画だともいえる。 しかし、なぜ今頃になって、こんな秘話が映画化されたのだろうか。 「佐渡ん人間(さどんもん)」精神で英軍輸送機を救出 ©「飛べ! ダコタ」製作委員会

    67年前の“戦後秘話”に込められた日英の「絆」
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2018/04/27
    「映画は、新潟県・佐渡島の寒村に不時着したイギリス軍輸送機、愛称「ダコタ」を、村民が一丸となって救援し、無事帰還させるまでを描いたもので、まさに佐渡島民と英軍兵士の“絆”と“再生”の物語だ」
  • 真鍋大度:テクノロジー×アートの遙かなる行方

    ドローンやAR(拡張現実)などの最先端技術を駆使した表現で、世界的注目を集めるライゾマティクスリサーチ。代表の真鍋大度が放つ非凡なる創造性はどこを目指すのか。リオ五輪の“あの眺め”を糸口に、その行方を追う。 真鍋 大度 MANABE Daito メディアアーティスト、プログラマー、DJ。ライゾマティクス取締役、ライゾマティクスリサーチ代表。1976年、東京都生まれ。東京理科大学、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)を卒業後、2006年にライゾマティクスを共同設立。15年より、同社のクリエイション&テクノロジー開発チームであるライゾマティクスリサーチを共同主宰。身体やプログラミング、データが持つ魅力に着目して作品を制作し、国内外で受賞多数。 真鍋大度:http://www.daito.ws/ ライゾマティクス:https://rhizomatiks.com/ 日を代表するテクノ

    真鍋大度:テクノロジー×アートの遙かなる行方
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2018/03/17
    「ダムタイプのステージを手伝っていたこと。そこへ演出家・振付家のMIKIKOさんが訪れて、『Perfumeの次の公演で、テクノロジーを取り入れた演出をやってみたい』という相談を受けたのが、すべての始まりでした」
  • 外国人神主、ウィルチコ・フローリアン

    子どもの頃から日に興味を抱き、ウィーン大学で「日学」を専攻後、外国人神主になったウィルチコ・フローリアン氏。「神道は宗教ではなく、何千年も継承されてきた素晴らしい智恵」という。ウィルチコ氏に神道の精神性について聞いた。 ウィルチコ・フローリアン WILTSCHKO Florian 1987年オーストリア・リンツ生まれ。幼い頃から日に興味を持ち、14歳の時に家族とともに観光で初来日し、ますます関心を高めていく。兵役後、ウィーン大学で「日学」を専攻。2007年縁あって名古屋市の上野天満宮に入り、住み込みで神道を学ぶ。その後、母国に戻りウィーン大学を卒業、再び来日し國學院大學神道学専攻科に入学。専門課程を経て、2012年渋谷区の金王八幡宮の権禰宜(ごんねぎ)に任命され、4年間務める。2016年5月からは、結婚にともなって三重県津市久居の野邊野神社に移る。 日は世界の正倉院——ウィルチコ

    外国人神主、ウィルチコ・フローリアン
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2016/10/27
    「外国人の神主はほとんどいないので、みなさんがどう思われるだろうか心配もしました。しかし、「外国人が神主になれないというのは、日本らしくない」とおっしゃってくれる先輩方が後押ししてくれました。」
  • 広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家

    1945年8月6日に広島に落とされた原子爆弾によって亡くなった犠牲者の中には、12人の米兵捕虜も含まれていた。アマチュア歴史家の森重昭さんは、40年以上を費やし、被爆米兵の遺族を探し当てた。アメリカのバリー・フレシェット監督が、その記録を『灯篭流し(Paper Lanterns)』にまとめた。 森 重昭 MORI Shigeaki 1937年生まれ。アマチュア歴史家。広島原子爆弾を経験。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版。広島で・佳代子と暮らし、2人の子供がいる。 バリー・フレシェット Barry FRECHETTE 1970年生まれ。1992年米ストーンヒル大学卒業。25年間、ボストンで広報の短編ビデオを初めとする制作の仕事に携わる。現在Connelly Partnersでククリエイティブ・サービスのディレクターを務める。「灯篭流し(Paper Lanterns)は、映

    広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家
  • ようやく普通の法律になった労働者派遣法

    厚生労働省 今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会 第1回(2012年10月17日)資料「労働者派遣制度の現状」より。ピンク色の項目が各改正時の追加分 しかし、その「専門的業務」の主たる中身は、派遣法制定当時は結婚退職することが多かったOLと呼ばれる事務職の女性たちが担う「事務的書記的労働」(法制定に尽力した労働経済学者、故高梨昌氏の言葉)であった。「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、法律と現実の間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルとなる「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めた。 このごまかしが世間で通用したのは、OLは新規学卒から結婚退職までの短期雇用という暗黙の了解の下に、派遣労働者でOLを代替することは常用代替ではないと認識されていたからであろう。男性正社員の終身雇用さえ維持できれば、OLが

    ようやく普通の法律になった労働者派遣法
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2015/11/11
    「いずれにせよ、男性正社員の常用代替防止ばかりを金科玉条にしてきた旧来の思想がようやく法律条文から払拭され、派遣労働者保護を第一に考える法律への第一歩が踏み出されたことになる。」
  • 能楽の扉を開く | nippon.com

    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/07/24
    「能楽は、演劇、音楽、ダンス、文学、衣装などが集大成された巨大な文化装置だ。「伝統継承」、「愛欲」など、この古典芸能を読み解くためのテーマを設け、そこを入口として能楽の奥深い世界に分け入ってみよう。」
  • 「元祖」ゴジラ・スーツアクター中島春雄

    初代ゴジラのスーツアクター・中島春雄さんは、100キロのスーツの中での「演技」に苦戦した。「特撮の神様」円谷英二監督の指導やゴジラを初めて目にした子供たちの驚きなど、当時のエピソードを語る。 リスペクトされるゴジラ・スーツアクター ゴジラ映画のコアなファンは、「ゴジラの中身」、つまりゴジラのスーツ(着ぐるみ)の中に入っている俳優に大きなリスペクトを寄せている。円谷英二特技監督(1901-70年)が60年前に生み出した怪獣・ゴジラは、初代スーツアクターに抜てきされた中島春雄さんの名演があったからこそ、リアリティーを持ったキャラクターとして世界中に熱狂的なファンを得たといえる。 海外の特撮映画ファンのイベントに招かれることも多く、米国へは10回以上訪れている。上は2014年6月フロリダのイベントで、第1作の『ゴジラ』に主演した宝田明さん、アメリカ人ファンと一緒に撮った1枚 (中島春雄さん提供)

    「元祖」ゴジラ・スーツアクター中島春雄
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/07/24
    「円谷英二特技監督(1901-70年)が60年前に生み出した怪獣・ゴジラは、初代スーツアクターに抜てきされた中島春雄さんの名演があったからこそ、リアリティーを持ったキャラクターとして世界中に熱狂的なファンを得た」
  • 「国際競争力」の幻想に惑わされた日本の大学改革

    国際競争力強化が日の大学の課題とされているが、「リアル」と「想像上」の競争のギャップを認識しなければ、真の大学改革には効果がない。オックスフォード大学の苅谷剛彦教授が大学の「グローバル化戦略」の盲点を突く。 大学の国際競争力をテーマに、日の大学について論じる場合、なぜ国際競争力が問題なのかを議論しておく必要がある。特に、英国と比較する場合、国際競争力が問題となるコンテクスト自体が大きく異なることに目を向けることが重要となる。そのことを明らかにしておかなければ、比較もできなければ、比較の結果に意味を持たせることもできない。 「リアル」と「想像上」の国際競争 はじめに「大学」の国際競争力がなぜ問題となるのかを、他の分野と比べることで明確にしておこう。例えば、ある国の企業群の生産性、政府の外交力・軍事力、あるいは一国の先端的な科学技術の水準といった領域において、その国の企業や政府、科学技術

    「国際競争力」の幻想に惑わされた日本の大学改革
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2014/02/13
    「英語圏やそれに近い西欧語圏の大学との違いをむしろはっきり認識し、日本にしかできない付加価値の教育と研究を表に出していく方が、身の丈に合っている」
  • 「獺祭(だっさい)」で日本酒の活路を開いた「山口の小さな酒蔵」——旭酒造

    錦帯橋で名高い山口県・岩国市街から車を西に走らせること約30分。草深く小川の流れる山あいに国内外から喝采を浴びる純米大吟醸酒「獺祭」(だっさい)のふるさとがあった。造っているのは「山口の山奥の小さな酒蔵」を名乗る旭酒造だ。 衰退業界で一人気を吐く「国酒」である日酒の販売(消費)数量が減り始めて久しい。1975年の167万5000klをピークに2010年には58万9000klにまで減少した。35年間でほぼ3分の1に激減した。若者のアルコール離れなどが要因だ。かつて全国に3000以上あった酒蔵も今や約1500に半減する衰退ぶり。 獺祭おためしセット こうした衰退ムードの中で一人気を吐く酒蔵がある。それが旭酒造(山口県岩国市周東町獺越、桜井博志社長)だ。200年以上の伝統を持つ普通酒「旭富士」を捨て、苦闘の末に造った純米大吟醸酒「獺祭」を引っ提げて1990年に東京進出。92年には、今や看板商品

    「獺祭(だっさい)」で日本酒の活路を開いた「山口の小さな酒蔵」——旭酒造
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/12/22
    「2010年には776kl(43万本、13億円)、11年1011kl(56万本、16.5億円)、12年1447kl(80万本、25億円)へと急拡大。13年は2052kl(114万本、39億円)とさらに販売量を伸ばしている。旭酒造の最近の売れ行きは突出している。」
  • NHK朝ドラの「伝説」のヒロインたち―『おはなはん』『おしん』、そして『あまちゃん』へ

    NHK朝ドラの「伝説」のヒロインたち―『おはなはん』『おしん』、そして『あまちゃん』へ 社会 文化 2013.08.29 NHK連続テレビ小説『あまちゃん』は、「じぇじぇじぇ」という流行語まで生み出すほどの大人気。日のお茶の間で半世紀にわたり親しまれてきたNHKの「朝ドラ」とそのヒロインたちの変遷と人気の理由を、テレビ情報誌記者出身のコラムニストが振り返る。 ネットで広がった『あまちゃん』論 NHKの朝ドラ『あまちゃん』がブームになっている。東日大震災の被災地、東北を舞台にした物語だが、全般明るいコメディータッチで、「じぇじぇじぇ」という流行語を生み、劇中の曲も大ヒットしている。 アイドルを目指すヒロインを軸に、80年代風俗のパロディーを散りばめたストーリー展開は、サブカル(オタク)層の論題にもうってつけであり、ネットを中心に『あまちゃん』論が広がっていった。 『あまちゃん』の主人公・

    NHK朝ドラの「伝説」のヒロインたち―『おはなはん』『おしん』、そして『あまちゃん』へ
  • 日本にはなぜラブホテルがあるの?

    ラブホテルは日が生んだ文化——。そう語るのは、大学時代からラブホテルをテーマに選び社会学的なアプローチで研究してきた金益見さん。この特異な性愛空間の変遷について話してもらった。 金益見 KIM Ikkyon 神戸学院大学講師。1979年大阪府生まれ、在日コリアン3世。神戸学院大学大学院人間文化学研究科地域文化論専攻博士後期課程修了。著書に『ラブホテル進化論』(文藝春秋、2008年、<第18回橋峰雄賞受賞>)、『サブカルで読むセクシュアリティ――欲望を加速させる装置と流通』(共著、青弓社、2012年)、『性愛空間の文化史――「連れ込み宿」から「ラブホテル」まで』(ミネルヴァ書房、2012年)ほか。 ラブホテルは「日文化」 (提供:金益見) 和製英語が世界に広まった例はあまりないが、その数少ないひとつが「ラブホテル」。海外のメディアが日特有の空間として、繰り返し面白おかしく取り上げて

    日本にはなぜラブホテルがあるの?
    yyamaguchi
    yyamaguchi 2013/03/29
    「しかしこうした宿屋の多くが戦争で焼失した。戦後しばらくの間、男女が愛を交わす「人気スポット」は、例えば東京なら皇居前広場、大阪なら大阪城の草むらだったという。」
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