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人物に関するMasao_hateのブックマーク (4)

  • 埼玉ジャック

    我々は跳び箱が好きである。跳び箱に憧れる。何故か。それは、跳び箱が常に上を向いているからである。常に少しでも上に行こうとしているからである。 今まで数え切れないほどの人間が、跳び箱の段を少しでも増やそうと努力してきたし、実際にそれで随分高いところまで行けた。といっても現代の話である。 古代でも跳び箱は盛んであったし、実際に段も増えていったし、次第にはピラミッドになった。ピラミッドになった。 少しでも高いところに行こうとしたらピラミッドになったし、これは人類の普遍的な願望であるし、実際にそうなった。 とにかく高いものは飛び越えたいし、それがピラミッドを作るうえでの動機付けになったし、実際にそれでそうなった。でもピラミッドの高さは一定である。それは何故か。 人間の限界である。人間の体力的な限界だ。あれだけ大きなものを飛び越せる訳がない。だから、あそこで終わった。あれが人間の限界だし、ピラミッド

    Masao_hate
    Masao_hate 2007/10/22
    初めて知ったけど、この人おもしろいな。
  • 若月俊一と佐久病院についてほんのわずか: 極東ブログ

    若月俊一が二十二日に死んだ。九十六歳だった。死因は肺炎とのことだが、このお歳での肺炎は寿命に近いかもしれない。すでに伝説の人というべきか。ウィキペディアには簡潔な説明がある(参照)。二十世紀医学そのものの人生といってもよいだろう。医学的にはどう評価されているのかわからないが、長野県の長寿の一端は彼が開始した巡回診療の影響もあるのではないか。 私の祖父は佐久病院で死んだ。単に地域医療というだけのことだが、見舞いに行ったおり、なんとなくだがこれはよい病院だなという印象を持った。彼が入院するころはもう佐久病院への信頼は揺るぎないものになっていた。もちろん、大衆は警戒的な噂をときおりしたがどうというものでもない。このあたりの大衆と医療の歴史の機微というのはなかなか言葉にならないものがある。 佐久病院といえば、司馬遼太郎の「ひとびとの跫音(参照〈上〉・〈下〉)では、正岡子規の養子忠三郎の友人西沢隆二

  • 80年代のネアカとネクラ - ARTIFACT@はてブロ

    世界のはて - 「80年代地下文化論講義」を読んでたら、宮沢章夫を痛烈にDisってやりたくなってきた http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20060829/1156780108 以前「今の時代にネアカとネクラの再生産しているんじゃないの?」って書いたのに! わかってもらえてなかった! って80年代の空気を知らない人に言ってもしょうがないか。 という訳で再度紹介。 ARTIFACT@ハテナ系 - 2000年代に考える「ネアカ」と「ネクラ」 http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050817/neaka ARTIFACT@ハテナ系 - 自分と違う価値観の人と対話できることが「コミュニケーションスキル」の高さ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050820/conversation ARTIFACT@ハテナ系 -

    80年代のネアカとネクラ - ARTIFACT@はてブロ
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/08/30
    美味しそうな情報がたくさん!/「ネアカ/ネクラ」は、「(異文化)コミュ能力の高/低」ではなく「プレゼン能力の高/低」に近いのかな/脱オタは、80年代「ネアカ/ネクラ」の最後の残り香なのかも。
  • 大島幸治の世界

    Masao_hate
    Masao_hate 2006/01/19
    この人の書いた「ファッション・クリエイションのひみつ」(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4490205368/503-7799599-6632739)という本が面白かったのでチェック
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