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ブックマーク / takonoki-p.seesaa.net (28)

  • 「新しいヘルパーを見つけないとね」という当事者と

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 昨日、ガイヘルでお出かけしていた時の事。 唐突に「新しいヘルパーさんを見つけないとね」と言葉を発した当事者。 間髪入れず「そうだよね~」と応える私。 彼は、現在「短期入所」という枠で月の殆どを入所施設で暮らしている。 月に数日親もとに帰ってくるのだが、戻っている日中の殆どは移動支援を使っている。 さらに移動支援をの利用に際しては、2人派遣が認められる。 行政も認める程の「強度行動障害」と評さられる彼。 親もとに戻れば、夜中中両親や家族を起こして話しまくり、対応を誤ればたちまち大パニックになる。 「短期入所」+「(二人派遣の)移動支援」というのは、 家族にとっては、「入所施設に入れたくない」しかし「現実は耐えられない」という状況でのギリギリの選択。 行政も、(財

    「新しいヘルパーを見つけないとね」という当事者と
  • 「失敗は成功のもと」にならない当事者たち

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 「失敗は成功のもと」というのは、 どこか成功したものが、過去を振り返って言う言葉のように思う。 でも、 私たちは幼い頃から小さな失敗を積み重ねて今日に至っているというのも実際だと思う。 ところが、 これが障害者と呼ばれる人たちにとってはどうだろうか? 自閉症圏にある重度知的当事者たちに対しては、 「失敗よりも成功体験を」と言われる。 それも決して間違いとは思っていないけど、 これがこうじて、 「失敗させない支援」となってしまうと話が違ってくるように思う。 「失敗をする権利」という事を言う障害当事者もいる。 それも間違いではないと思う。 他の人たちと同様に、障害があっても失敗をする権利はあると言うのは、 「失敗から学ぶ権利」だと言っているのだろうと思う。 ところ

    「失敗は成功のもと」にならない当事者たち
    AFCP
    AFCP 2015/08/31
    "「失敗させない支援」というのも解るような気がする。でも、なにか腑に落ちない"
  • 「楽しくやってるよ~」という当事者からの電話に

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 久しぶりに遠方で一人暮らしをしている当事者から電話があった。 何か伝えたい事があったのかなかったのかは不明。 でも、様子伺いの電話としては互いの近況を報告し合った。 私「最近どうよ?」 Kさん「楽しくやってるよ~」 「一人暮らしを楽しんでいるなら何より」と言ってしまえばそれだけの事。 でも、 Kさんが一人暮らしを始めた頃は、 「自立生活、頑張ってるって、言って~」と、懸命に一人暮らしをしている事を励まして欲しいという要望だった。 その度に「自立生活は頑張るもんではないよ」「頑張るのは介助者の方だよね」とKさんの要望をどこかずらす形で応えていた私。 今回も、「頑張ってるって言って~」という言葉はある。 でもそれは、今取り組んでいる事柄についての話で、「自立生活」

    「楽しくやってるよ~」という当事者からの電話に
    AFCP
    AFCP 2015/04/01
    "「自立生活は頑張るもんではないよ」"
  • 支援者の勝手な解釈

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する なぜか使える材を捨ててしまう知的当事者。 何度も「捨てないで!」「もったいない!」と言った事か。 各ヘルパーさん達も彼の行動が理解できずイラつくばかり。 やさしく言っても厳しく言ってもとにかく収まらない。 一人暮らしをしている重度知的当事者。 でも、24時間誰かと一緒と言うわけではなく、 夜の泊りはなし。休日の日中も一人で過ごす時間もある。 そんな介助シフトで長年やってきた彼には、 一人になる時間がそれなりにあって、その一人の時間に材を捨ててしまう。 「これは捨てないでねと言い残して帰ります」と介助ノートに記載するヘルパー。 その後にやってきたヘルパーの記載を見ると「捨ててありました」と。 いろんな人がいろんな形で当事者とやり取りする中で、 「捨てる」と言

    支援者の勝手な解釈
    AFCP
    AFCP 2015/01/06
    "ゴミをきちんと分別できるようその意味を理解するというのではなく、結果分別されているという状況を生み出せば良いという事"
  • 騒ぎの中身は?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する いつも何を起こす(起こる)か解らない自閉症を伴う重度知的当事者といつもの場所へ一緒に出かける。 この日は「いつもより30分早めに来て欲しい」と言われていた彼。 自閉症の人にありがちなこだわり故に、果たしてその時間にいけるか?少々不安を抱えつつ、 「まぁ~いつもどおりの時間にたどり着けば30分遅刻で済む」と思って出かける準備から関わった。 この日はとてもご機嫌な彼。 その理由は解らないけど、出かけるまでの時間いつも以上にルンルン気分でいる。 いつもの時間より30分早めに声かけすると。 予想に反しすんなりと家を出れた。 そんな絶好調の彼。 私よりも先に駆けていく彼にも余裕の私。 ところが、 彼が目的の場所の扉を明けて中に入った瞬間に! 「キィ~~~~~ィ!!!!」

    騒ぎの中身は?
    AFCP
    AFCP 2014/06/11
    連想。この騒ぎを聞いて、それが理由になって隣の人も騒ぎ出す、というのがよくある光景。それがわかっているのに、騒ぎに弱い人達を、なぜひとところに集めないといけないのか、とか思ったりもする。
  • 重度訪問介護利用にあたってのアセスメントとは?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    重度訪問介護利用にあたってのアセスメントとは?
  • 異性介助を考える

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    異性介助を考える
    AFCP
    AFCP 2014/05/26
    このテーマにLGBTを絡めると、簡単に自分の処理能力の限界を超える。
  • 大事なのは互いに「了解する」事ではないだろうか?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    大事なのは互いに「了解する」事ではないだろうか?
    AFCP
    AFCP 2014/05/14
    "専門書とは間逆のやり取りであったとしても、そこには、当事者と私の(だけのと言っても良いかも)間にある了解事項が存在しているのだと思う"
  • 説得することが支援でないのだけど・・・

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    説得することが支援でないのだけど・・・
    AFCP
    AFCP 2014/04/05
    "支援者は親御さんの意向を本人に納得してもらうことが支援とされてしまう" 親は、いつか支援者が手を引いたとき、子どもが帰ってくることを予想してる、という構図も思い浮かぶのだけれど。悩ましい。
  • プレイバックガイヘル

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    プレイバックガイヘル
    AFCP
    AFCP 2014/04/01
    "彼自身がガイヘルを使いプレイバックする事で、 止まっていた時間が動き出し、新たなものに向かっていくような気がする"
  • 無意識の評価

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する うつ病の精神当事者のお宅に行く。 普段は片付けができない。 自分の生活に必要な空間は残しつつ、それ以外の場所には様々な物が積み重ねられている。 ゴミや腐敗するようなものはかろうじて処理できているので、 印象としては、「かなり散らかった部屋」と言う印象。 ところが、 今朝訊ねてみると、 普段見えない床が見えている。 部屋が広く感じる。 台所の流し台に鍋釜器がない。 その変わりように驚いたのだが、 私は普段と変わらない雰囲気でお邪魔し、 きれいに片付いている部屋について何も語らずにいた。 しばらくすると家主が 「ねぇ~。部屋が片付いているでしょ!」 「頑張ったねって言ってよ~」と言う。 私は、まったく片づけられなかった家主が片づけられた事に驚きをもっていたが、

    無意識の評価
    AFCP
    AFCP 2014/02/18
    "普段「ありのままで良い」と言いつつ、それは実感としてあるのではなく理解として描いているだけなんだ"
  • 支給量を減らすために支給しろと言う私

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 一人暮らしをしている自閉症を伴う知的当事者。 24時間何らかの支援を受け自らの暮らしを成り立たせている。 しかし、 その支援のすべてが支給されているわけではない。 彼の一人暮らしを支援する事業所が様々な形で持ち出し成り立たせている。 昔は、当事者を取り巻く人たちが人の暮らしを維持するために力を集め担っていた。 しかし、昨今の制度が事業所による居宅介護の派遣となり、事業所による支援と人を取り巻く人たちによる支援とが切り分けられた。 一旦切り分けられた支援の状況は、 事業として担う側の方がより見えやすく、 又お金を貰って支援する人とお金を介さず付き合ってきた人の中に温度差を生み出し、 後者の人たちは「事業所による支援があるならば」と日々の支援から遠のいていった

    支給量を減らすために支給しろと言う私
  • これって歓迎する事なの?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 今朝ネット上に流れてきた記事⇒ http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20130904-OYT8T01439.htm?from=tw 「館林市は4日、発達障害者を乳児期から就労まで一貫して支援するため、保健師や学校、企業など関係機関が記録を共有する『発達障がい者支援センター(仮称)』を設立する方針を固めた」と言う。 私はこれはとんでもない事だと思う。 「保健師や学校、企業などの関係機関」とあるが、 そこだけの情報で一個人の事を理解するのは無理。 なので、保育園や幼稚園も当然集める情報となるだろう。 医師からの情報も必要。 利用しているサービス事業所からの情報も必要になるだろう。 それでも、人の障がいを理解する

    これって歓迎する事なの?
    AFCP
    AFCP 2013/09/05
    で、おおむね同感。
  • 発達の凸凹と周囲の関係を考える

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    発達の凸凹と周囲の関係を考える
    AFCP
    AFCP 2013/09/01
    "凸も凹も〇によって含めていく"
  • 「行動援護」と「重度訪問介護」はまったく別物 その2

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 8月11日に書いた記事(http://takonoki-p.seesaa.net/article/371697878.html )について、 今日のガイヘルから改めて考えてみた。 今日は10時~18時半まで移動支援で当事者過ごした。 彼は、いわゆる「行動援護」対象者であり、これまでどこの事業所もサジを投げた人らしい。 「行動援護」では、益々どこの事業所も受けてくれないので、移動支援で支給されている。 支給の内容は、当該市にしてみれば異例中の異例。二人派遣を認め、車を使って移動支援を担うことも黙認され、通常20時間のところ彼に対しては当初青天井で支給されていた。 それほどに家族が抱える困難さがあり、かと言って入所施設にもは言えないと言う状態の人らしい。 らしいと

    「行動援護」と「重度訪問介護」はまったく別物 その2
  • 「重度訪問介護」を「行動援護」風にして、なぜ支援を限定する?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 昨日は、100名を超える方々がこのブログを訪ねてくれた。( http://takonoki-p.seesaa.net/article/371697878.html ) 一昨日は10名ほどだったので、「重度訪問介護対象拡大」に対する関心の高さが伺える。 又、ツイッターのフォロワーが急に増えたことやツイートを「お気に入りに」登録された方が多いのも関心の高さなんだろと思う。 私は、重度知的当事者の自立生活を支援している。 十名を超える当事者たちそれぞれの暮らしに関わり、 そこで巻き起こる様々な課題の解決を図るために、 全国で自立生活をしている重度知的当事者やその支援者たちとつながってきた。 地域で生まれ育ち、その延長として特定の知的当事者の自立生活支援に関わる人は、

    「重度訪問介護」を「行動援護」風にして、なぜ支援を限定する?
  • 「行動援護」と「重度訪問介護」はまったく別物

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    「行動援護」と「重度訪問介護」はまったく別物
  • 「禁止法」が「解消法」となって採択されるって大変だぞ!!

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    「禁止法」が「解消法」となって採択されるって大変だぞ!!
  • ただただ解って欲しいだけ

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する

    ただただ解って欲しいだけ
    AFCP
    AFCP 2013/05/12
    「障害者」に限った話でもないわけだけど。
  • 事業化するとはどういうことか?

    私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する 「ともに生きる」ことを願い,長年活動をしてきた人たちがここ数年の中で、 継続的な取り組みや自らの想いを広げていくために、運動や活動ではなく事業として担う道を選択している。 それは、 70年代からの就学運動の担い手たちが高齢化し、 自らが担ってきた事を若い世代に引き継いでいくという意味があるだろう。 また、 ともに生きることを願い普通学級に通わせた子どもたちはすでに大人となり、 大人となった子ども達の中で、障がい故に閉ざされた事柄の打開のためだったりする。 さらに、その親の高齢化に伴い、この先も当事者とともに地域で暮らし続けるために、継続的に担う事ができるように想い描いている。 たこの木は未だ小さな市民団体として活動しているが、 推薦登録ヘルパーという、個と個の

    事業化するとはどういうことか?
    AFCP
    AFCP 2013/04/28