タグ

ブログ・サイトに関するAdYandWのブックマーク (671)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • ポジティブエントリは無くならない - 出られないから仕方なくここにいるよ。

    はてなブックマーク - heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろここを見て考えたこと。 心配しなくても大丈夫。回復の為の糧に乏しいネガな人達は叩かれ続ければそのうち気力が尽きる。運良く状況が好転したネガティブさんはポジ側に転向する事もあるし、単に口を閉ざして「引退」する人もいる。なので、ネガな人が新たに生まれる速さよりも、「見なければ良いのに」を受け入れないポジティブさん達が、ネガティブさんを殲滅する早さが上回ればそのうち絶滅する。逆にネガティブさん達が頑張ってネガティブエントリをアップし続けて、ポジティブエントリを殲滅しようとしてもそれは不可能だと思う。ネガエントリを読んで不快な気分になったポジティブさん達が、同じ気分を共有する相手を見つけるのはネガティブさん達よりはずっと容易だし、気力を回復させる手段も

  • 面白かった体験を語ると食いついてくる人たちがいる - 北の大地から送る物欲日記

    「webで書く意味を自覚しているブロガーを増やしたい - パソコンはおもちゃ箱」を読んで。 ブクマコメントに返事を頂いていたので、更に返答。ブクマコメントから繋がるってのも結構面白い。 まだ多くに知られていない素晴らしいブログがあるということ どうしてもウェブ界隈を見ていると、有名なブログの記事がピックアップされがちで、あまり固定読者の少ないブログの記事はなかなか浮かび上がってこないのですが、有名ではないブログでも素晴らしい記事があってそんな記事を読みたいとは常々思います。 そういう人にもっと多くの人に向けた記事を書いて欲しいと啓蒙?するのもひとつの方法だと思いますが、ブログに何を書くか、どうやって使うかは人それぞれな部分が大きいので、そこは各自好きにやってもらえれば、と私は思っています。 人に見てもらうことをあまり意識しすぎると、面白く無くなっちゃうってのもちょっと危惧していたり。 むし

    面白かった体験を語ると食いついてくる人たちがいる - 北の大地から送る物欲日記
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 「無断リンク禁止」をシステムで解決するのって、無理じゃね?の話。 - 風のコメ

    「私は、私と仲良くできる人とだけたくさん出会いたいし、このサイトを見てキモイと思ったりバカにしたりするような人には、私のサイトを見てほしくないのです。」 これが私の考える、「無断リンク禁止」の、技術的に手の施しようがない条件。これは極端な場合と思いますが、無断リンク禁止を言う人の感覚は、これに近いのではないかと思います。  Webに何かを公開しているということは、誰かと関わりたいという欲求があるわけで。 そんでもって、「リンクするなら連絡して」っていうのは、興味を持ってくれた人と関わりたいという欲求があるわけで。 そこんところの敷居は下げておきたいと思っているのではないだろうか。  晒されて嘲られたくないというのは別に無断リンク論者に限った話ではなく、まあやめてくれと。 居丈高な奴は気に入らない、ってのは分かる。 が、同じ事はリンク自由論者にも言えること。居丈高に「リンク自由が常識」といわ

  • 同じことを書くこと - 勝虫日記

    数学ガール (数学ガールシリーズ 1) 作者: 結城浩出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ発売日: 2007/06/27メディア: 単行購入: 54人 クリック: 953回この商品を含むブログ (972件) を見る 他の人のブログを読んでいると「これはもう書いた」という言葉を見つける。このとき、何ともさみしい思いがするのは、僕だけだろうか。僕は、同じことをよく書く。いや、正確に言うと、これは前にも書いたなと思うことが多い。ただ、一応自覚的に書いている。なぜそうするかというと、ブログというのは、きっと今日初めてここに来た人がいて、その人は前に書いたことがどこにあるか分らないからだ。もし、ここに書いてあるよというリンクを張っているとしても、そこをクリックしないといけない。このひと手間を重くみている。とはいっても、分かり易い文章を書く能力もねぇなぁとも思うから、意味はないかもしれない

    同じことを書くこと - 勝虫日記
  • 更新の停止したブログに惹かれるのは、廃墟に惹かれるのに似ている。 -

    廃墟の美学だとか廃墟論だとかをおれは知らないのだけれども、廃墟ってのはようは建物から人を引いたもの、ってことなのかな? だとしたら、更新の停止したブログというのは廃墟と同じであり、廃墟が美しいように廃墟ブログもまた美しいのかなーなんて。 美しいってのはちょっと違うかもしれないけど。ちょっと惹かれる。 いまここに二つのブログがあるとする。ひとつはライブなブログで、もうひとつは更新の停止した廃墟ブログ。 ライブなブログに接するときには、コメントやブクマなんて道具を持ち出すまでもなく読むだけで書き手に影響を与えてしまう。すごく好きな文章や写真がもしかしたら自分が見たことで好きでない方向に変容してしまうかもしれない。あるいは書き手からのなんらかのレスポンスによって、あるエントリから受けた印象ががらっと変わってしまうかもしれない。 一方、廃墟ブログは見ても読んでも変わらずそこにある。読むことで廃墟が

    更新の停止したブログに惹かれるのは、廃墟に惹かれるのに似ている。 -
  • MetLog:実は言及と称して言いたいことを言うだけ

    趣味Webデザイン コスト意識だけで「常識」を選択してもよいが…… 引用文中の(略)は、私。 極東ブログ: 母親毒殺未遂高一少女事件の印象 あんな事件ひとつでいちいちこんなことまで考えるのか、と思った。 (略) 別にそれってとくにどうのこうのというようなことなのかな、という感じ。 正直、そんなこと一つでいちいち書く事かなと思った。それをどうのこうのと書くようなことかな、という感じ。私だったら言わなくてもいいようなこと、書かなくてもいいことだと思った。 引用の大元、極東ブログでは死人が出た事件に対する内容だから、それなりに思うことはあるでしょう。それに興味が無いという立場もまたあるでしょう。しかしそこまでいちいち興味が無い意思表示を言われると私のブログなど立つ瀬がない。下らないガジェットが発売されたといっては写真付きでアップし、日常の自分のことだとか娘とどこに行っただとか、挙句の果ては今ど

    AdYandW
    AdYandW 2007/07/21
    私もそう。ときどき話が全く違う方向にずれていくのもそのせいだろうと思っている。だからなのか、私は自分が書くものが「言及」とはちょっと違うのではないかと感じている。
  • 「吐き出す」ことより「伝える」こと。 - オオカミの遠吠え通信

    溢れ出る感情の全てを言葉に代えることができたならば。 きっと私は、今まで以上に多くの事柄に言及してきたことだろう。 例えば、罪も無い人々の命がいとも簡単に奪われてしまうこととか。 例えば、“言葉の暴力”についてあまりにも簡単に語られてしまうことへの危惧とか。 私の中に芽生えた“ちいさな違和感”の大半は言葉にすることさえ出来ず、何度も何度も書き直しては結局封印されていった。 私には書けない。 私には無理だ。 劣等感ばかりが膨れ上がり、ますます私は自信を喪失していった。 やがて私は無理に言葉を探すことをやめ、迷うことなく「捨てる」ことを覚えた。 時が熟せば、言葉は自然に出てくる。 焦って書き記しても空回りするだけなら、潔く捨ててしまえばいい。 「吐き出す」ことより「伝える」ことを欲するようになった私は“言葉を寝かせる”ことを覚え、少しだけ冷めた視線で物事を捉えることを覚え

  • uumin3の日記:読む側の一論理

    結論のはっきりしたブログ記事を読むのは確かに面白いと感じます。でも案外それはその結論が自分の今まで持っていた考えに沿ったものであることを前提にするんじゃないかとも思います。そこでは自然に「いやなら読まなきゃいいじゃない」が実行されているのかもしれません。あるいは自分の信念と逆方向のことを断ずるところにあたってしまった場合、どこがおかしいかを(好感を持てる記事の何倍もの熱意をもって)探してしまったりするのではないでしょうか。 そういう意味では白黒をはっきりさせる書き方をなさる人のところは、自分の考え方を強化・補強する役割を担っていると言えるかもしれません。 これに対してうだうだ悩み結論がはっきりしないようなブログ記事や自分が考えたこともないような観点で書かれた記事は、よほど意味が通らない場合を除いて、何か立止まって考えるきっかけを多く与えてくれるようにも思います。頭に素直に入ってこない見慣れ

    uumin3の日記:読む側の一論理
  • コメント欄って、どのくらい見てます? - 紅髪の小部屋

    通りすがりでもコメントをつけられることがメリットだと思い、 はてなダイアリーを選んだ私ですが、 自分の記事に対してのコメントには活用できている一方、 同じようにはてなダイアリーでblogを書いている人の記事に対する コメントを見ることは殆どないことに気がつきました。 エントリ内容がとても興味深いものだったり、挑発的なものだったりして、 文よりコメント欄の占める割合が大きくなっていたり、 場合によってはそこでのやり取りが翌日以降の メイントピックスになっているblogを見かけることがありますが、 その場合でも、基的に大元のエントリしか読みません。 私自身はコメントを題材にして書くこともあるのに、 読み手に回ったときの、その割り切り方には自分でも驚きます。 どうやら私の中で、 「コメントはその記事を書いた人宛のもの」という認識があり、 自分の書いた記事以外のコメントには あまり興味をそそら

    コメント欄って、どのくらい見てます? - 紅髪の小部屋
  • 稚拙なことを書くことについて: あんたジャージでどこ行くの

    多くの人が誤解してると思うんだけど、僕がブログを書く理由というのは「偉そうにしたい、虚勢を張りたいから」ではないのです。 ブログを書くというのは、個人の知をweb上に公開する、という大げさに言えば社会貢献なわけでしょう。 で「自分が知っていることを公開する」というのは「自分の無知を晒す」ことと表裏一体、というよりもイコールなのですよ。後者を恐れる人間にブログを書く資格はない、というか僕はそういう人のブログを読まない。さっき書いた「ヘタこいた」と同じ事だけど。 と、いうようなことをここのコメントを見て思ったわけですよ。 ・はてなブックマーク - 他人の不幸は蜜の味: べ物と料理に関する「オレ常識」 ダメだとか浅いとか、独り善がりだとか、そんなこた当人が一番良く分かってるのですよ。でもそれだから、バカにされたらいやだからって言うんで黙ってても仕方ないじゃん、という。webって、あるいはblo

    AdYandW
    AdYandW 2007/06/26
    "「自分が知っていることを公開する」というのは「自分の無知を晒す」ことと表裏一体” 
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 不快認定したブロガーが書くことはなんでもかんでも悪い - REV's blog

    不快認定したブロガーが書くことはなんでもかんでも悪いんだと手抜きをして決め付けているが、手抜きの作業自体が自明でない。 第一段階 不快に感じるエントリー → 全人格否定 → 全エントリー否定 第二段階 不快なエントリーをぶくまする人 → 不快感を共有できない → ぶくまする人の人格否定 → ぶくまする人のエントリー全否定 嫌いなものはなんでもかんでも嫌いなんだという謎の思考連鎖。美意識は自分の心には響かないものだろう。 http://anond.hatelabo.jp/20070624062022 論理的に無意味(と、私が思っている)論法に、[ジャングルは地獄][不良少女白書]、高い倫理基準の恣意的適応、なんかがある。 あなたが逃げるのは、後ろ暗いところがあるからだ。つまり、あなたはべトコンだ。逃げなければ、あなたが逃げないのは、訓練された証拠だ。つまりあなたは、べトコンだ。聴いた人間は、

    不快認定したブロガーが書くことはなんでもかんでも悪い - REV's blog
  • http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20070621/p1

  • ブログでネタがなくなったときのアイデアの出し方 - 304 Not Modified

    更新したいのに書きたいことが何も思い浮かばないときがある。 理由はそんなに難しくない。 自由だから。 何を書いても良いから、何も書けないのだ。 記事にしやすいことと言えば変化だろう。 今日はいつもと違う○○をして、△△と思った。 そのためには、自分が動かなくてはならない。 でも、毎日がそんなわけではない。 起きて、会社/学校に行って、まっすぐ帰宅して、パソコンの前に居る。 こんな何もない日が一番落ち着いたりもするもんだ。 さーて、書くことがない。 困ったぞ。 そんなときは、自由を奪えばいい。 自分に制約を与えればいい。 ゴムボールだって、誰かにむぎゅっと握られれば反発する。 人間だって、納得いかないルールで縛り付けられたら反発する。 だからね、ネタがなくなったらみんなに向かってこう言うの。 私を縛ってください! はてなブックマークに追加 はてなブックマークのコメントを参照

    ブログでネタがなくなったときのアイデアの出し方 - 304 Not Modified
  • 猫の夜更かし

    内館牧子さんがエッセイ集「きょうもいい塩梅」のあとがきにこんな話を書いていた。 会社勤めをしながら脚家養成学校の夜学に通っていた頃、雑誌で向田邦子さんのエッセイを読んだ。そのとき、「自分は脚家にはなれないな」と思ったという。こんなにも日常的なワンシーンから人間の弱さや愛しさまで表現する力が脚家には必要なのだ、と思い知らされたからだ。 しかし以来、内館さんは向田さんの「力」に憧れつづけ、その後格的に脚家を目指すために三十半ばで会社を辞めるとき、みなの前で「私はいつかきっと向田邦子になります」と宣言したそうだ。 これを読み、私は自分が初めて向田さんの文章を読んだときのことを思い出した。「無名仮名人名簿」というエッセイ集だったのだが、ものすごい衝撃を受けた。 こんなどうということのない出来事、ありふれた情景がエッセイの種になるのか!という驚き。……いや、「この人だからエッセイにできるの

  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

    はてなブログ
  • 個人サイト界にも進むアクセス格差社会

    先日、「百数十件もアクセスがありながら、『人が来ない過疎ブログ』とは何事か!」という記事を書いた後に、そういえば昔にもこういう議論があったことを(こうした議論は10年前も10年後も繰り返されるだろうけど)思い出した。 上位2.5%以内のサイトが全体の75%のアクセスを握っているのです。これが消えれば97.5%の利用者が快適なサーバ環境を確保できるのです。 (「巨大なアクセスを有するサイトではない」のか?) 読み物系サイトのランキングサイト『Read Me!』のデータを抽出してみると、コンスタントに数百件のアクセス数を獲得しているのは、上位のほんの数パーセント。さながら人口の数パーセントが国中の富を独占しているアメリカ社会のような比率になっていたのだった。 しかしこれは3年前の話。今はどうなっているのかと、同じくRead Me!でデータを調べて比較してみた。 すると、驚くべきことが分かった。

    個人サイト界にも進むアクセス格差社会
  • 「書くまでもないなと思っている事でも、とりあえず書いてみる」という事:ekken

    はてなブックマークのホッテントリなんかをほけらーっと眺めているとですね、「えっ!? こんなのが300usersになっちゃうの!?」と思うことがしばしばあるわけですよ。ブクマコメントを読むと「これはすごい」とか、「これは便利」と賞賛されていたりするの。 で、僕は左手の小指でハナクソをほじりながら「ふーん」などと呟いているのですね。「何でこんな誰でも知っているようなことを書いた記事が話題になっているんだろ?」と。 これとは逆のパターンで、僕が「おおっ、これはすごい!」と思ってブクマしたけれど、その後のブクマ数が全然伸びていなかったりすることもあったりするわけです。きっと「あたりまえすぎる事」なのか、あるいは「実はそんなの凄くはない事」だったのでしょう。 また、なんとなく「こんな良いこと考えたッ!」と思って書き上げた文章が、書き上げたとたん、デジャヴを感じて「やっぱりアップするのやめておこう」な